自分の限界

 

 人に頼ると、自分の限界を勝手に他人が決めてしまうことがある。
 例えば、医者に「もう治らない」と言われたら、自分は治らないという暗示にかかってしまう。
 本当はここからが自分の心との勝負であるはずなのに最初から「負け」を認めている。

 大学受験で高校の先生にうける「今の君のレベルだと○○大学は受かるのが難しいので△△大学を受験した方がよい」というアドバイスもそうだ。
 本当に行きたいところであれば、5、6年かけてでも挑戦すればよい。社会にでるのが少し遅れても本当に自分がやりたいことであればストレートで大学に入った人とそんなに差はでない。それに、頭は良くなくてもじっくり根気強くがんばる人は、たとえ、大学に入るのに5年かかっ たとしても、社会に出てから根気強く研究を続けノーベル賞を受賞することだってある。
 だから、「高校3年間の短期間のうちに能力が発揮できなければその後の人生はそれで終わり」では決してない。

 葬式でお経をあげるお坊さんもそうだ。
 最近のお葬式では、金額によって読むお経を決めるがお坊さんが多く、さらには、世間に出たことがないにもかかわらず、さもその”世間”を知っているかのように”世間の事例”を挙げて説教 し、周りはありがたくお坊さんの話しを聞いている。

 どんなにきつくても、やっぱり、「自分の限界は自分で決めるべきだ」と思うし、その結果に誇りを持とう。

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