無謀なこと

  「何日も何日も”南無妙法蓮華経”というお題目を唱えていたら、ハンディキャップを持っていた子供が元気になって、今では人前で話すことができるようになった・・・。やっぱり、お題目の力はすごい!!」
 という話を聞いた。

 そのとき、僕はこう言った。
 「”南無妙法蓮華経”というお題目を唱えることにそんな魔法の力はない。ただ、その子の親が何日も何日もお題目を唱えているうちに、”そもそも、うちの子どものハンディキャップのどこが悪いの?”と考えるようになっただけだ。そして、それがきっかけで、自分の子どもに対して”普通の子ども”と同じような態度が取れるようになり、そんな親を見ているうちに、その子どもも”僕は普通と変わらない”と思うようになり、その結果、元気になったのではないか?」

 親が子どもに与える影響はとても大きい。

 でも、親だって一人の人間であり、困難にぶつかると「なんで私だけこんなに不幸なの?」と思い詰めることがある。

 そんな時、何も”南無妙法蓮華経”に限らず、”座右の銘”でもいいので根気強く声に出して唱え、何日も何日も「なぜなんだ?」と自問自答していると「目の前に起こっている出来事が”幸せ”か”不幸”を判断するのは、結局は自分の考え方次第だ」という答えに辿り着く。

 実は、昨日の夜、僕のパートナーが掃除機を廊下に置きっぱなしにして、僕はそれに躓いて脇を強打した。その時、僕は「なんで置きっぱなしにしてんだよ!!」とパートナーを怒鳴り、自分の不幸を嘆いた。

 でも、今日になって、「彼女は、僕が掃除ができないので一人で掃除をしてくれていたのになぜ怒鳴ってしまったんだろう?それに、躓いた時も腕や足を骨折することが無く運が良かったじゃないか」と考えることができた。

 既に言ってしまった”一言の過ち”を取り返すにはすごく時間がかかる。
 でも、その場の感情で言ってしまった自分が悪いのだから、地道に取り返していくしかない。
 しかし、よく考えてみると、僕は、この5年間の夫婦生活の中で、こんな”後悔する一言”を何度も言ってしまっている。そして、「最も近くにいてほしい」と思って結婚したのがきっかけで、誰よりも距離が開いてしまったことに気がついた。

 正直なところ、この距離を取り返しに行くのは少し無謀な気がする。
 だから、そんな無謀なことはやめて、とりあえず、”この距離が更に離れることがないように”努力することから始めよう。

戻る