今の自分の答え

  また、病気の魔法にかかってしまった。

 今朝、家族で出かけようとして昨日買ったズボンを履いたところ、悔しいことに僕の足の長さが足りないことが判明した。
 障害があり試着に時間がかかるため、店員さんに服の上から計ってもらってサイズを決めたのが原因だった。

 仕方がないので、ズボンを脱ごうとしたら、パートナーが「せっかく履かせたのに何してるの?それくらいいいじゃない。もうすぐ出発の時間なのに・・・。もう手伝わないからね」と怒って、僕を残して車に乗り込んでしまった。

 体に障害があっても”サイズの合うズボン”ぐらいは履く権利はあるはずだ。

 そう思って、一人でズボンを着替え、昨日買ったズボンの返品の準備をした。

 時間にして約10分。

 出発の時間を過ぎても出てこない僕にしびれを切らしたパートナーが車から降りてきて、「いったい何してるの!」と言いながら手伝おうとしたので、「今更手伝うな!」と言い返してしまった。

 結局、ズボンを着替え始めてから出発するまで15分を要することになり、結果、目的地へ着く時間も遅れてしまった。
 もちろん、車の中で沈黙が続いたことは言うまでもない。

 些細なケンカだが、着替えが1〜2分でできる”普通の人”であれば起きないケンカだ。

 まさに”病気の魔法”にまんまとかかってしまったわけだ。

 そこで、沈黙が続く車の中で、この”魔法”の解き方をずっと考えていた。

 「残念だけど、病気で身体にハンディキャップを持っている人は”普通の人”のように動けない。でも”動かない”わけではないのだから、その人を”活かしたい”と思うのであれば、”普通の人”がハンディキャップを持つ人の”時間の流れ”に合わせてやるしかないのではないか?」

 さらに考える。

「はたして、僕が”普通の人”であれば他の人の”時間の流れ”に合わせることができるだろうか?しかも、それが”毎日”であったならばどうか?もしそんなことができる人がいたら、周りの人から”偉いわね”と褒められるに違いない。」

「でも、本当は、僕だって”普通の人”なんだ。しかし、24時間、”ハンディキャップを持つ人の時間の流れ”に合わせなければならない。それも”強制的”に。でも、何とか”その人(=自分)を活かしたい”と毎日がんばっているんだ。」

 そして、結論が出た。

「”普通の人”にお願いしたい。僕のように”24時間合わせてくれ”とは言わない。1日のわずかな時間だけでいい。たったそれだけでいいので、”自分を活かそう”と24時間がんばってハンディキャップを克服しようとしている人の”時間の流れ”に合わせてくれないだろうか?  ”普通の人”が”時間を合わせよう”と努力してくれるだけで、ハンディキャップを持つ人は大きな勇気を得ることができるのだから。」

 わがままな”魔法の解き方”かもしれないが、今の僕にはこの答えしか出せなかった。

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