患者のわがまま

  創価学会に入会すると、入会を勧めた学会員の方が”世話人”となって入会した人のお世話を1年はしなければならないことになっている。

 もちろん、僕にも”世話人”がいて、仏法に関する質問の答えを示してくれたり、毎週行う勤行の練習にもかかさず顔を出してくれるなど、文字通り、とてもお世話になっている。
 そして、その世話人は、僕のためになるような記事や本などを見つけてくれるなど、日を追うごとに、これまで僕が描いていた「外から見た創価学会」と、実際に体験した「中から見た創価学会」の違いを感じるようになった。

 しかし、「1つの新聞記事」と「1つのメール」によって、その世話人に文句を言ってしまった。

 「1つの新聞記事」とは、骨肉腫が原因で13歳という若さでなくなった子が書いた「命を見つめて」という作文の記事。
 この作文は「入院中に亡くなった人たちが教えてくれた命の大切さを伝えていくことが私の使命だ」という内容であったが、その作者は、この作文の”コンテストの入賞”という報告を聞く前に、病状が急変し、ついにその報告を聞くことはなかった。

 僕も病気を患い、「この病気を克服して世界中の”医者に見捨てられた人”に勇気を与え、健康な人にも”命の大切さ”を教えたい」と思っている。
 だから、「僕の”同志”が亡くなった」という記事は少なからず僕にショックを与えたのだ。

 「1つのメール」とは、筋萎縮性の病気を患いながらもがんばっている記事を見つけ、僕に「この人の病気もALSと”ほとんど同類の病気”なのに・・・この方もすごいですね」という内容のメールを送ってきたことだ。

 ALSという病気は神経疾患のなかでも最悪の病気であり、僕が検査入院したときも「他の疾患の可能性はないか?」と大学の先生も加わって検査をした結果、医師から「 誠に残念ながら・・・」という形で告知を受けたもの。
 この病気に治療法はなく、数年で死に至るもので、言い換えるなら「ホスピスに入院するガン患者」の心境にも似ている。
 それなのに、”その病気”と「一生つきあっていかないといけない病気」とを同類にされたのが、無性に腹が立った。
 僕だって、神経の病気とわかった時点では「たとえ両腕両足が動かなくなっても生き抜いてみせる」と言って見せたのだが、「医学の教科書によるうと、後4年で動けなくなり、その後も4年の命・・・」と言われると、さすがに言葉に詰まってしまった。

 実は、病気の告知を受けた後、パートナーにきつく当たってしまう自分が嫌になり、大阪まで行って、ホスピス病棟の医師に相談したことがある。
 彼は「病人がわがままになってしまうことは仕方がないこと。ただ、”病気と闘うお父さん”というものを子どもに見せてあげてはいかがですか?」と言って励ましてくれた。

 残念ながら、患者との距離が近くなればなるほど、”患者”は必死に世話をしてくれる人に甘えてしまい、結果、わがままを言ってしまう。

 本当に残念ではあるけれども、その患者は「”症状が悪化していく恐怖”を理解していない」と思うと、とても”理性”では押さえられない”寂しさ”を感じてしまうのだ。

 だから、身近な方にお願いしたい。
 「病気が治るまでで良い。だから、それまでは、この”患者のわがまま”を”仕方がないもの”と思って欲しい」と。

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