綱渡り

  職場で疑問に思うことがあり、上司と熱く議論していると、 「この考えの何が疑問なんだ?この前の提案もそうだが、いろんなパターンがあるんだから・・・」と言われ、結局、この問題に対する”納得いく答え”を導き出すことができなかった。

 僕だって、全く同じ内容の問題がそんなに無いことはわかっているけど、目の前にある問題 の”答え”の理由を一つ一つ理解していってこそ、新しい問題に直面したとき、”より正しい答え”を導き出すことができるものだ。

 だから、示された答えを、理由も考えずに「イエス」と言っていたら、いつまで経っても成長しない。

 例えば、大学受験。
 入学試験では、過去の問題と全く同じ問題が出てくることはほどんど無いが、より多くの問題をきちんと理解しながら解いていくうちに、入試の時に初めて出会う問題にも焦らずに対応できるようになる。

「知らぬは一生の恥。知るは一瞬の恥」

 このポリシーのおかげで、僕はだいぶ成長したような気がしたが、その裏では、毎日のように恥を掻き続けている。

 ところで、さっきの”熱い議論”について、本当であれば納得するまで引かずに議論をするのだが、立ったままでの議論であったため、次第に膝が震えてきて、 呼吸も苦しくなってきて話に集中できなくなったので、やむを得ず、結論を出せずに席に戻ってしまったのだ。

 そして、席に着くと、急に「病気の恐怖」が襲ってきて、正直なところ、恐くなって家に帰りたくなった。

 しかし、今日は、僕の「古き良き指導者たち」がはるばる”飲み”にやってくる日であり早退するわけには行かない。

 何とか退庁時間を迎えることができた。

 待ち合わせの時間まで壁に寄り掛かって座り込んでいたのだが、懐かしい面々に会うと急に元気になり、昔話に花が咲いた。

 そして、ほろ酔い気分で、気持ちも大分持ち直して家に帰り、メールのチェックをしていると、別の「古き良き指導者」のお子さまから「あなたのことは父から聞いていて、いつかHPを見ることができればと思ってまして・・・、HPを拝見させていただいて・・・、読んでいくうちに涙がぼろぼろ出てしまいましたが、逆に私がものすごく励まされたくらいです!・・・」というメールが届いていることに気付いた。

 このHPは、”自分の夢”を実現するまでの”闘い”を赤裸々に書いているだけで、まだ、その闘いに勝利してもいないのに「一人の人」を励ますことができたなんて!!

 結局、今日も、気持ちの浮き沈みが激しかったが、「嬉しくて仕方が無い気持ち」で布団に入ることができた。

 これからは、「自分の気持ちが切れないようにする」ためには”綱渡り”のようなバランスが必要になってきたようだ。

 でも、それと同時に「ささやかな幸せ」にも感謝できるようになってきたような気がする。

 僕は、もう、間違いなく”一人”では生きていけない。

 しかし、それでも、「なんとか、最後まで”綱”から落ちないでゴールしたい」と懸命にもがいている自分が、そこにはいた。

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