自分を褒めること

  とある宗教関連の新聞に連載されている小説に以下のような内容が記載されていた。
 「仏法の道を歩んでいくためには師弟の道が必要・・・。芸の道でも、何かを学び、究めようとするならば、必ず、師匠、指導者が必要です・・・」

 一方、別の仏法の本には「願いが叶わないのは師のせいではない。・・・強い決意と具体的な目標という”一念の定まった”強い祈りであってこそ願いは叶う」とある。

 僕は、これまで、目標を設定すると「その目標はきっとかなえることができる」と信じて一心不乱に努力をしてきた。
 ここでいう”一心不乱”というのは、少なくとも「夢の中でも努力する」程度のものでなければならない。

 つまり、「その目標を達成することができない場合」は、仏法と同じで、他の誰でもない「自分の努力不足」と思ってきた。
 しかし、「その目標を達成することができた場合」は、仏法とは異なり、”1人の師”に感謝するのではなく、それまでお世話になった”多くの人”に感謝するとともに、そこまでがんばれた”自分”を褒めてやることにしている。

 「願いが叶わなかったら自分の努力不足」で「願いが叶ったら”師”のおかげ」ではいつまで経っても”本当の自信”は養えないような気がする。
 それに、もともと、仏法の教えを生み出した”お釈迦様”にも”師”というものはおらず、ただひたすら「自分」を信じて仏法を広めていったはずだ。
 それに、”仏”というのが全ての人の中に存在するのであれば、その教えを信仰する以上、いつかは、お釈迦様と同じぐらい「自分を信じる」ことができるようになることを”最終目標”にしても決しておかしくはないような気がする。

 仏法を信仰しながら一生懸命がんばって結果が出せたとき、自分ぐらいは自分を褒めてあげても、きっと罰は当たらないと思う。

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