”死”を見つめ

  先週から風邪を引いてしまい、2日も職場を休んでしまった。

 いったん、緊張の糸が緩んでしまうと、なかなか元に戻らず、「みんなより事務処理ができない現場」を目の当たりにする”職場”に行くことが本当に辛くなってきて「もう仕事を辞めようか?」ということも考えてしまった。

 臨床心理学者の河合隼雄氏が「現代の日本人は、”今、いかに生きるか”に熱心になり”いかに死ぬか”を忘れている人が多い。・・・”死”をみつめ、そこからの問いかけがあってこそ、本当の意味での”いかに生きるか”の答えも見えてくるのではないか?」と言っているようだが、本当にその通りであれば、僕は同年代の誰よりも”死”を見つめているのだから、”いかに生きるか”の答えが見えても良いはずだ。
 こんな”机上の理論”をいう彼こそ、”死”というものを見つめたことがないのではないか?

 話は変わるが、今日、東京の知人が遊びに来た。
 7年ぶりの再会であった。
 彼には7歳と1歳の子どもがいるのだが、今日、初めて聞いた話に驚いた。
「実は、本当なら君の息子と同い年の子どもがいたんだ。でも、生後9ヶ月で”突然死”で亡くなってしまった・・・。でも、警察やマスコミは”公務員による虐待死”の疑いをかけ、新聞にも載り、”夫婦で話合うこと”も禁止された・・・。僕は一生分の涙を流してしまい、7歳の子どもは妹の死を受け入れられずに性格が変わってしまい、保育所には”きちんとシツケをしますから入園させてください”って何度もお願いしたよ。・・・、それなのに、その子が小学校に入る頃”難聴”であることがわかったんだ。 ある人は”補聴器をつければ聞こえるんでしょ”と軽く言うのだが、正直、小学生の子どもに補聴器をつけさせるなんてショックだった。職場にも難聴の女性がいるが、彼女は”やっぱり 、障害を持った人が健常者と心の底まで分かり合うなんて無理だし、結婚も難しい”って言っている。だから、僕はその子に礼儀をきちんと教えて、せめて”人に嫌われない子”に育てたいんだ・・・。実は僕も体調が悪くて、先日も 病院で検査を受けたんだけど、2人の子どもを世に送る出すことができたし、もう、何時死んでも良いと思っている。」

 僕は、彼に”僕の病気のこと”を話した。

「君も色々あったんだね。今日は無理して迎えに来たんじゃないか?でも、キャンセル待ちでこの旅行が3日前に決まったとき、急に君の顔が浮かんで会いたくなったんだ。突然連絡し てしまって迷惑かけたけど、会って、そして、君のことが聞けて本当に良かったよ」

 ふと、見ると、7歳のお子さんが僕の息子の世話をしてくれていた。

 彼らは、間違いなく「”死”というものを見つめたことがある」人たちで、彼らの気持ちが僕の心の奥まで浸みてきた。

 よけいなお世話とはわかっていたが、「どうか、彼の子ども達が”幸せ”を手に入れることができますように!」と祈らずにはいられなかった。 

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