”死”を見つめ
先週から風邪を引いてしまい、2日も職場を休んでしまった。 いったん、緊張の糸が緩んでしまうと、なかなか元に戻らず、「みんなより事務処理ができない現場」を目の当たりにする”職場”に行くことが本当に辛くなってきて「もう仕事を辞めようか?」ということも考えてしまった。
臨床心理学者の河合隼雄氏が「現代の日本人は、”今、いかに生きるか”に熱心になり”いかに死ぬか”を忘れている人が多い。・・・”死”をみつめ、そこからの問いかけがあってこそ、本当の意味での”いかに生きるか”の答えも見えてくるのではないか?」と言っているようだが、本当にその通りであれば、僕は同年代の誰よりも”死”を見つめているのだから、”いかに生きるか”の答えが見えても良いはずだ。 話は変わるが、今日、東京の知人が遊びに来た。 僕は、彼に”僕の病気のこと”を話した。 「君も色々あったんだね。今日は無理して迎えに来たんじゃないか?でも、キャンセル待ちでこの旅行が3日前に決まったとき、急に君の顔が浮かんで会いたくなったんだ。突然連絡し てしまって迷惑かけたけど、会って、そして、君のことが聞けて本当に良かったよ」 ふと、見ると、7歳のお子さんが僕の息子の世話をしてくれていた。 彼らは、間違いなく「”死”というものを見つめたことがある」人たちで、彼らの気持ちが僕の心の奥まで浸みてきた。 よけいなお世話とはわかっていたが、「どうか、彼の子ども達が”幸せ”を手に入れることができますように!」と祈らずにはいられなかった。 |