”プロ”の意識

  今日本屋に行くと、以下のようなフレーズの本があった。

「仕事、好きですか?毎日がつまらないのは、あなたが”真のプロ”じゃないからです」

 僕は、公務員になって以来、常に”プロ意識”を持って仕事に臨んでいたし、職種は違うけど、民間企業の方に負けないようにがんばってきた。
 その結果、世界的な企業で働き担当部門を世界一にすべくがんばっている方からも「アメリカで年収2千万円クラスのスタッフも部下に持ったことがあるが君には及ばないだろう」と言われたり、先週も「この自治体での活躍を期待している」というエールを頂いた。

 僕は、明確な目標を見つけたときの集中力は本当にすごいらしく、確かに、その状態では「見るもの、聞くもの」全てが”ヒント”に思え、気がつくとノートにアイデアなどを書きつづって、一人で”問答”をしている時がよくある。

 しかし、今の状態はというと、職員の数に余裕があるため、これまで僕がやってきた「知恵を出す手法」を必要とせず、どちらかというと、単純な事務が多いため「数字を書くことさえ困難な状況」の僕はみんなの足を引っ張っている。
 正直、毎日がつまらない日々に感じてならないのだ。

「仕事、好きですか?毎日がつまらないのは、あなたが”真のプロ”じゃないからです」

 僕は公務員であることに誇りを持っていて、公務員の仕事が好きだ。でも、毎日がつまらないと思うのは、僕の中の”プロ意識”が足りないからなのだろうか?

 「神様はその人が乗り越えられる困難しか与えない」と言うが、僕たち夫婦の間では「新聞には”困難が乗り越えられなくてこの世を去ってしまった人”の記事もたくさんあるよね」と言っている。
 もしかすると、神様は僕を「乗り越えられない試練」に向かわせているのかもしれない。
 もし、そうであれば、僕は「神様との勝負」にも勝たなければならなくなる。

 今日、NHKのニュースで、僕と同じ病気を患っていた人がその人の親に殺害される事件の判決について放送していた。
 その人は「もう自分には未来がない」と言って親に自分の命を絶つようにお願いしたそうだ。しかし、裁判所は「同様の病気を持つ患者に与えたショックは大きい」として、その親に執行猶予付きの有罪判決を言い渡した。

 毎回、毎回、点を取られてばかりで、もう最終回の逆転劇はないのではないか?という思いになるのもわかる。

 でも、僕は、せめて職場に行っているときは、”病人”である前に”真のプロの公務員”でありたい!
 何ができるかわからないけど、給料をもらっている限りは「プロ意識」を捨てたくないのだ。

 今日で、結婚6周年。
 貰えるはずがなかったチョコレートをパートナーからもらった。
 きっと、彼女も、僕が”プロ”であり続けることを願っているに違いない。 

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