子どもの選択

  一昨日から子どもが熱を出している。
 そこで、昨日パートナーから相談があった。
「子どもの熱が明日も下がらないかも知れないけど、私はどうしても休めない仕事があるから代わりに仕事を休んで子どもの世話をしてくれない?」

 僕は、今、急ぎの仕事もないし、昼食や薬の準備もしてある、それに、一緒にいるだけなら僕にもできる、と考え 、心地よく承知した。

 翌日、熱が少し下がって気分が良くなったのか、子どもが「おばちゃん家に行きたいなあ」と言ってきた。この”おばちゃん”は、パートナーの親戚に当たり、時々子どもを保育園 まで迎えに行ってくれるほど世話好きで、また、怒らずに遊んでくれたりお菓子を上げたりするので、子ども達もこのおばちゃんのことがとても好きだった。
 しかし、僕は、子どもの体調のことも考え「今日は外出は無理だからお父さんと一緒にいようね」と思っていた。

 すると、パートナーが「おばちゃんのとこに行くのと、お父さんといっしょにいるのとどっちが良い?」と子どもに聞き、驚いた。
「う〜ん・・・。おばちゃん家に行きたい」
 僕は、驚き、というよりは、唖然、とした。

 「昨日からの打ち合わせはいったい何だったのか?今の体調で子どもを外に遊びに行かせたらまた熱が出てくるじゃないか!」というパートナーへの反感 も「”僕の体調”への配慮」と思えばそんなに腹も立たないが、「僕よりおばちゃんを選んだ」というショックを取り払うには多少時間がかかってしまった。

 確かに、僕は”こんな体”だから子どもの遊び相手になってやることはできないが、それでも愛情だけはたくさん注いできたつもりだ。なのに、子どもは、やっぱり、「遊んであげずに注意をする”人”」を煙たがるのだろうか?

 その後、パートナーから「どうする?出発まで10分しかないけど、準備ができるんだったら送っていくわよ」と言われたが、寝間着の僕が10分で準備できるわけもなく、 結局、一人で家に残ることになった。

 こんな状態で家にいるとろくな事は考えない。
「世の中には”遊んであげずに注意をするお父さん”であっても、愛情さえあれば”一番”に選んでくれる子どもがいるのではないか? 僕はその子のそばにいた方が役に立つのではないか?」などと考えてしまったのだ。
 しかし、夕方、子どもが「ただいま〜」と言って帰ってくると、「寒くなかったかい?」と抱きしめてしまう自分がいた。

 しかし、案の定、その夜も高熱と咳がひどくなった。

 よし、決めた!
 明日、もし、子どもの体調が良くなかったら、勇気を持って「お父さんがいるから家にいなさい!」と言うことにしよう。

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