全員主義

  世界最大の会社を創った「ジャック・ウェルチ」という人の自伝を読んだことがある。
 その本の中にこんな内容があった。

 「とある会議で、前例に捕らわれないやり方で飛躍的に業績を伸ばした部下に、その手法をみんなの前で説明をさせた。そして、その後、みんなは彼の手法を自分流にアレンジしながら業績を伸ばしたが、その新しい手法を開発した人の成績は前回と余り変わらなかった。そこで、ジャック・ウェルチは、彼に”みんなは君のやり方を習って業績を伸ばしているのに、君は前回と何ら変わっていないじゃないか!”といって叱った。・・・」

 僕は、県庁に入って以来、”行政の手法”の改善策が浮かべば、知事や管理職の方に提案するとともに、自分自身でできることは即やってみた。
 そして、”行政の悪いところ”に気付いたときも遠慮無く口に出してきた。

 しかし、そのたびに「職員の中にもがんばっている人がいるんだよ」とか「○○の部署ではこんな”事務改善”をしているんだよ」と言われるだけだった。

 先日、「”職員の意識改革”の一環として”職場改善策”を募集したとこと100件以上の応募があり、”担当部署はホクホク顔”」、という記事を読んだ。
 そこで、提案された改善策を拝見したところ、「至急の決裁が必要な場合は決議案に赤いシールを貼る」とか「みんなが使うフォルダの名前を工夫する」など、「多くの部署で既に導入しているもの」ばかりであり、「こんなことで”ホクホク顔”をしているようでは、公務員の意識改革を促進することはできない」と思っていた。

 しかし、”こんなこと”も取り入れていない職場が多いのであれば、”こんなこと”を全ての職場で導入したら効果は大きいかも知れない。

 つまり、募集した「職場改善策」を「全ての職場で導入すべき事項」と位置づけて、全ての職場で”導入の有無”を調査し、導入しない場合の理由を明確にさせる。
 そして、一定期間を経て、また、職員から「職場改善策」を募集し全職場への導入を行っていく。
 こうすることによって、各職員が「自分のアイデアが自治体全ての改善に役立っていく」ことを実感し、そのような雰囲気の中でこそ「本当に有意義な新しい発想」が生まれていくのではないだろうか?

 例えば「起案文書を担当者に修正させるのは各部署で”1回限り”とする」というやり方を全ての職場で導入させる。簡単なことだが、それが導入されれば、本庁を中心に大幅な事務量の削減につながることは間違いない。そして、それによって生み出された”時間”を利用して「週に一度の”係員会議”の開催と、月に一度の”職場内協議”の開催」を全ての職場に義務づけ ると、新しい発想が出てくるのは時間の問題である。

 僕自身でいうと、これまでも「これのどこを修正すればよいのか明確にして欲しい」と言って起案文書の修正回数を減らし、その一方で「ちょっといいですか?」といって係内の協議を強制的に開いてはみなさんの仕事の妨げをしてきたように思う が、これを自発的に全職員が実行することを期待するのは非常に難しいと思うし、そもそも、上司の理解を得ることができないだろう。

 「自分は効率的に仕事をしている」とか「毎日事務改善を行っている職場を知っている」というのではなく、「これは!」という方法については全ての職員が実行する。

 これが、”最も単純”で”最も効果的”である方法と思う。

 「上司に言われて資料を作って毎日帰りが遅いんだ」という”上司に気に入られている人”の自慢話よりも、「自分のやっている事務の効率化が全庁に導入されたおかげで、多くの人が早く帰れるようになった」という自慢話を聞いた方が何倍も楽しいに違いない。

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