精一杯の人生

  ALSと診断されて以来、月に一度血液検査を受けているのだが、ここ数ヶ月の間、CPKという項目の数値が高く、医師から「無理をしてはいけないよ」と言われた。
 このCPKは、激しい運動によって筋肉を酷使した時に高くなるそうだ。
 「少ない筋肉にもかかわらずがんばって使っている」という事の裏返しであろうが、仕事場では、その”がんばり”の結果が「他の職員の仕事量の1/3にも満たない」のであるから複雑な心境だ。

 先日から「職場や事務の改善案」を提案していたが、その中でも去年の2月から提案していた内容が、やっと導入される見通しとなった。

「1年がかりでやっと1つ改善された」といううれしさがある一方で、「事務手続き上で問題があり住民からの苦情があった内容」の改善に1年もかかったことに素直に喜べない自分がいた。

 こんな状況だと、「お昼休みの窓口当番をしている人は、昼食は当番が終わった後の休憩時間にとってはどうか?」という改善案などは、住民から「昼休みに神聖に来てすいませんね」と恐縮されることもあることから導入は何年も先になるかもしれない。
 ましてや、「定期的に職場内の打ち合わせをして情報の共有化や改善策を検討する」といったことなどは、検討さえしてもらえない可能性もある。

 もちろん、上司が検討してくれるのを待ってばかりいるわけではなく、「毎日のようにお酒のにおいをさせて出勤してくる人」や「昼休みに来客用のソファーで寝ている人」に対する事項など「明らかに住民に不快感を与えること」は、「もし上司の方が問題視しないのであれば人事課に直接相談します」と宣戦布告をしたケースもある。

の余地も無いかもしてない。

る見方を変えると「2月27日の「県難病連絡協議会設立総会」で知り合った”僕と同じ病気を患った父親を持つ女性”からこんなメールを頂いた。

多大なる期待をもってあなたを応援いたしますので,本当に宜しくお願いいたします。プレッシャーではなくて,とてもあなたを必要としている人がいると思います。あなたの人生の中にその人たちのことを入れて あげてください。ご家族と共に。私も本当に微力ではありますが,私にできることで,何かあれば,一緒に考えるていきたいです。・・・」

 僕が先の総会で「自分にできることはなんでもやります」と言ったことに対する期待なのだろうが、「こんなぼろぼろになった僕にでも何かできるのではないか?」と思わせてくれる内容だった。

 実は、最近、体調がすこぶる悪く、仕事中もたいしたことはしていないのに脂汗が噴き出てくる。
 そんな状態で、ふと、こんな事を考えた。
 「8時間仕事をする」よりも「横になって8時間テレビを見ている」方が疲れないし、時間が過ぎるのも早く感じるにちがいない。本当は、その方が「楽に長生きできる」のではないだろうか?

 人間とは、「弱っているときは”弱いこと”しか考えられない」とつくづく思った。

 今日も、何とか無事に終業時間を迎えることができ、仲間内で定期的に行っている座談会に足を運んだ。
 ”開催日”を忘れる人がいる程度の会合ではあったが、今日、毎回顔を出してくれる人から手紙をもらい、嬉しい気持ちになった。

「ありがとう。まるで昔からの知り合いのような初対面でした。人なつっこいあなたの笑顔に引き込まれそうで、あなたがそんな病気を患っているなんてとても思えない私がいました。どうすれば、何をしてあげたらいいんだろう。・・・」

 僕は、「彼女は”この手紙の力”を知らないんだ」と思いながらも「ありがとう」とだけ言った。
 いつまで続くかわからないけど、僕は、これからも、やっぱり「8時間仕事をする」不器用な道を選びながら、そして、「こんな僕でも何かができる」と思わせてくれる人のために精一杯生きていこうと思う。

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