彼女と僕の夢

  とある新聞で骨肉腫という病気と闘いながら13歳という若さでなくなった人の記事が載っていた。

 彼女は、口が閉じれなくなるぐらいの大きな腫瘍が口の中にでき、手足も動かなくなり、医師も「頭ははっきりしているのに体が動かない。気が狂いそうな精神状態だったでしょう」と言っていたそうだ。

 しかし、彼女は、泣き崩れる母親に対し「それぐらいで泣かんで。私は両手と両足が動かないだけ。首と背中がガンでつぶれてるだけ。口にガンがあるだけ。私の心はガンに侵されてないから幸せ。世の中の人は5体満足でも心が侵されている人がいてかわいそう」と言った。

 「私、骨肉腫で良かった。骨肉腫ありがとう」
 これは、骨肉腫との壮絶な戦いを経て、多くの人の痛みを理解できるようになり、これからは世界中の人々を救える、そんな思いから発せられた言葉だろう、と彼女の母親は受け止めている。

 更に彼女は、作文の中で「私の体から世界中の病気で苦しんでいる人達を救う特効薬を造り出してみせたい。だから、病気を完全に克服して夢を実現させて見せます」と書いている。
 この作文について、骨肉腫と闘っている少年少女を診てきた医師は「彼女が作文に込めた思いと同じ思いを闘病中の子ども達は抱いている。その代表として彼女ががんばってくれたんだ」と考えている。

 そして、彼女は担当の教諭に「治します。体育祭に間に合わせます」と誓って、その翌日に息を引き取ったそうだ。

 この記事を読んだ多くの人が「彼女はすごいね」と言った。

 しかし、誰も、彼女が「病気を克服して世界中の人たちを救って上げたい」という切なる思いを実現することができなかった無念さがあったことを感じ取っていない。

 本当に彼女の気持ちを理解した医師であれば、彼女と同じように骨肉腫と闘っている子ども達に「彼女が果たせなかった夢を君たちが成し遂げて欲しい」というべきだ。

 彼女は「亡くなってしまう」なんて夢にも思っていなかったろうし、亡くなった後も「なぜ私がこんな目に・・・。誰か私の代わりに病気を克服して夢を実現させて!」という思いだったに違いない。

 病院が決めた「死に至る病気」を患うと、どんなにその人が「私が死ぬわけはない。私が新しい事実があることを証明してみせる」と言っても、周りの人は医師の言葉を信じて「あなたは(死を宣告されたのに)すごいね」という言葉は出ても、「君が新しい事実を作って、同じ病気で苦しんでいる人を救って上げて!」という言葉を心の底から言う人は非常に少ない。

 彼女も、僕と同じで「死を宣告された」なんて少しも思っておらず、この病気の治し方を見つけて多くの人を”死”の苦しみから解放させて上げたいと思っていたはずだ。

 僕は、どんなことをしてでも彼女がなし得なかった夢を叶えてみせる。

 だから、周りのみんなも「医者よりも君を信じるよ。絶対、世界で最初に病気を克服して見せてよ」ぐらい言って、いっしょに”その気”になって僕を応援して欲しい。

 そして、万が一、僕がその夢を叶えることができなかったとしたら、「すごいね」ではなく、「お前は口だけだったんだな」とあざ笑って欲しい。

「夢は叶えるためにある」

 僕は今までこの言葉に裏切られたことはないし、これからもあり得ないと思っている。

 そして、その夢を叶えたとき、僕は彼女に語りかけよう。
 「あなたの夢が叶ったよ」と。

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