初めての調停

  怪我をして以来、歩くのがとても恐い。

 元々、こけないように注意していた中で起こった事故だから、今後は並々ならぬ注意が必要になるが、果たしてそういう”注意”が有効なのだろうか?

 今度、こけたらまた救急車で運ばれるのだろうか?
 そして、その時も、”数針縫う怪我”ですむのだろうか?

 僕は、この事故によって、頭だけでなく、左肩を強打し、そして右手の中指をねんざしたため、左手はますます上がらなくなり、 右手の握力も弱まった。
 普通であれば、怪我が治ってからリハビリをすればよいのだが、僕の病気は筋肉が無くなっていく病気なので、そういうわけにもいかない。

 当然、歩くのを止めるわけにもいかず、「こけたときのイメージ」を振り払いながら、できるだけいつもと同じように外に出るようにしている。

 そのような中、今日、裁判所に申し立てていた調停の”呼び出し期日”を迎えることになり、パートナーに同行してもらいながら、裁判所に行くことにした。

 「初めて体験する裁判所」に夫婦で緊張し、そして、調停室に入った。

 はじめに、申し立ての主旨の説明を求められた。
 続けて3分も話していると、舌の筋肉が疲れて思ったように話せなくなったが、なんとか裁判官から「内容はわかった」という言葉を聞くことができた。
 しかし、その直後に「僕に落ち度がある」ような発言があり、結局、裁判官に本当に主旨をわかってもらうまでに、1時間以上の問答が必要になった。

 そして、裁判官は、僕たちと入れ替わりで調停室に入ってきた住宅供給公社に僕の申し立ての主旨を説明し、公社はその申し立てを受け入れる方向で検討することになり、後日、改めて調停を行うことになった。

 僕は、この申し立てで公社に要望していたのは、「損害賠償金」といったものではなく、公社が僕たちに土地を分譲したときに「説明が不足しているところがあった」ことを認め、その内容を説明するように言っているだけなのだ。

 再度、公社と入れ替わりで調停室に入ることになり、いくつかのお話を聞いた後、最後に、裁判官の補佐官が「私が君だったとしても公社に同じような説明を求めるよ」と言ってくれた。
 なんだかこれまでの苦労が報われたような気がしてうれしかった。

 「歩くこと」も勇気。
 そして、たとえどんなに大きな相手であっても「自分が正しい」と思うことはがんばって発言していくことも勇気。

 世の中にはいろんな勇気がある。

 僕は、たとえ、目の前に立ちはだかる病気がどんなに大きなものになろうとも、決して、勇気だけは見失わずにいたい。

 そして、いつの日か、その勇気で病気をうち負かしてやるんだ!

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