家庭訪問
今日、”僕と同じ病気の方を介護している方”が抱えて問題を「なんとか解決できないだろうか?」と思い、片道1時間30分かけて訪ねていった。 彼女の悩みとはこんな内容だった。
早速、一緒に訪問した方達と役割を分担しながら、「これまで通りのサービスが受けられるよう」に、いろんな方法で働きかけていくことにした。 病気を患った人やその人を看病している人は、”目の前にある問題”に毎日立ち向かうだけでも心身共に大変であり、行政サービスが低下したことに「声を上げる 体力」は余り残っていない。 やはり、「行政を担当する公務員は、上だけを見るのではなく、たとえ”聞こえにくい小さい声”であっても、冷たくあしらわず、その人にもっと耳を近づけて聞いてあげることが大事だ 」ということを改めて感じた。 それから、もう一つ、僕は、僕と同じ病気の方で、症状が重く”目”以外は動かすことができない「寝たきりの方」を初めて見た ことに大きなショックを感じた。 彼が寝ている部屋の壁には、数年前の元気な姿で撮った”家族との写真”が 何枚も掛けてあった。 ”数年前までとても病気とは思えなかった人”が、今、目の前で、手も足も口も肺も何もかも動かすことができず、ただ呼吸器によって息をして横たわっているのだ。
正直に言って「僕ももうすぐこうなってしまうのではないか?」という考えが頭をよぎり、恐かった。 しかし、その方は僕をずっと見つめて目を離してくれない。 そして、そのまま数分が経った後、僕は、彼の手を握って、こんな事を言った。 「悔しいでしょう。言いたいことも言えずに悔しいでしょう。だからがんばって病気を治しましょうね。病院で治せないのなら僕たちで治しましょう。ね。がんばりましょうよ。僕がまず治してみせるから。だから、絶対、病気を治して、 みんなに言いたいことを言ってやりましょうよ!」 僕にとっての精一杯の勇気だった。 絶対に治してみせる。 現実を直視するのはとても恐いことだ。 |