「被害妄想」と「自信過剰」
「被害妄想」と「自信過剰」。 最近、この言葉が心に引っかかって離れない。 「ALSという病気になっても自分はがんばっているのに周りはわかってくれない」という思いが心のどこかにあるのではないか?
だから、”命に関わらない病気”を克服した人の話を聞いても「”命に関わる病気”とは重さが違う」という気持ちが浮かんでくる。 しかし、よくよく考えてみると、もし僕がALSという病気にかかったことがない状態で予期しなかった腹痛に見舞われたら「この世の地獄」のような気がするだろうし、それを治すことができたら「本当にあきらめずにがんばったよな」と思うに違いない。 「がんばってもがんばっても病気が治らない。きっと、僕が一番きついに違いない」という被害妄想。
これが、僕の世話を最もしてくれる人に対してさえ、時として「なぜこんなこともわからないのか!」と苛立ち「心から感謝する」ことができなかったのかも知れない。 また、被害妄想の他に、僕の中には「なんでこんなことがわからないのか?」という”自信過剰”もあるような気がした。
例えば、職場で「”当たり前”と思う”事務作業”の手法」がなかなか理解されない。それにイライラしてきつい口調になってしまう。 また、世界を股に掛けて活躍している知人からも「気をわるくしないで欲しいのですが、日本人でもアメリカ人でもあなたのように周囲より頭の回転のよい人が陥りやすいのは、今までのやり方に対し、無意識にしろ否定してしまい敵をつくってしまうことです。何かよいアイデアを実行したいときは、反対勢力のトップと話し、そのアイデアが彼の発案であるかのように錯覚させ、うごかすのが効果的です。坂本竜馬のやりかたです。目先の自分の手柄は捨ててかかることだと思います。・・・」
そういえば、政策提案@プロジェクトAで”観光振興策”を協議していた時、「このチームで知事に提案する」ことばかり考えていたような気がする。 「被害妄想」と「自信過剰」。 今年度は、これを、なんとか、「心から感謝する気持ち」と「周りの人に自信を持たせる気持ち」に変えていきたい。 そうすることが、”僕の夢”を叶えるための「遠いようで最も近い道」であるような気がする。 |