能力の低下
最近、左手の親指と人差し指と中指が僕の言うことを聞かずに個人行動をとって困っている。 パソコンに向かっている時も「押してもらいたくないキー」を押され、四苦八苦にしている。 人というものは、「自分の能力の低下に伴うミス」が出てくるとイライラしてしまい、「これまで許容範囲であった他人の行動」にまで敏感に反応して、つい”余計なこと”を言ってしまい”災い”を招いてしまう。
もともと、「自分が100%悪いこと」も無ければ「相手が100%正しいこと」もほとんどないのが現実だ。 しかし、年を取ってくると「自分の悪いところが増えていること」は棚に上げて「相手の悪いところ」ばかりが目に付いてしまい、あたかもその人が自分よりも格下であるような気になってしまう。 僕自身は、年齢に加え、肉体的なハンディキャップがあるため、いろんな人に「格下である」と思われているに違いないが、それでも僕のことを手伝ってくれる人には「”ありがとう”という感謝の気持ちから始めよう」と、毎日心がけている。 しかし、今日、深夜23時ぐらいから1時間近く長電話していたパートナーが、”日課になっているマッサージ”も受話器片手にやろうとしたので、「なんだその態度は!いい加減にしろ!」と怒鳴ってしまい、逆に「「あなたはいつも自分勝手。もうつくづく嫌になった。別れたい。子どもは私が連れて行く」と言われ困ってしまった。 僕の世話をすることが嫌になって別れるのは止められないが、僕の肉体的ハンディキャップが原因で子どもを犠牲にするのは絶対に嫌だ。 だったら僕は「受話器片手にマッサージしてもらうこと」に対しても「そこまでしてマッサージをしてくれてありがとう」と感謝すべきだったのだろうか? でも、こんな病気を患いながら「一生懸命生きてやる!いや、元気になってみせる!」という”必死な気持ち”を理解してもらい、そして、「毎日、協力してほしい」と思うことはそんなに自分勝手なことなのだろうか? そんなことを考えていると、何だか悲しい気持ちになってきた。 そして、こんな気持ちになった。 もし、僕が元気になったら、「年齢による自分の能力の低下」をしっかり受け止め、そして「相手の悪いところ」は「どうしたらよりよくなるのか」を一緒になって考え、その実行のための”毎日の協力”は決して惜しまないようにしよう。 なんだか、またひとつ、この病気から何かを学んだような気がした。 |