メールのやりとり
先日知事に提案した内容について、以下のような回答をいただいた。 「メールをいただきありがとうございました。総務部長の”君への話”は、君の体調、病気をおもんばかってのことであり、理解をしてもらいたいと思います。また、今回、メールで提案してもらった内容については、職員の意識改革、組織の活性化のために参考になるものもあるので、部長を通して検討させることにします。今後とも、病気に負けず、無理をしないように、そして職場の皆さんと協力して担当業務を全うしながら、県政の新しい取り組みについても前向きに検討してください。」 この件については、自分が提案した内容とはいえ、「やりすぎではないか?」という気もちが強く、本当に辛かったため、この回答が届いた後、思わず、以下のようなメールを送っ てしまった。 「知事が僕のような末端の職員の体調をご心配していただいていたことは十分承知し、感謝しておりましたので、職員の意識の底上げをしないと何も変わらないという思いがあったとはいえ、今回のような職場の現状がわかる内容のメールをお送りしたことは、胃が痛くなるくらい辛い思いでした。今回のご指導に従い、今後、提案内容の検討は他の職員の方達にお任せし、僕は、担当業務に全うし、そして、残ったエネルギーは、僕を含む”ハンディキャップを持った方”が少しでも過ごしやすい環境になるための活動に費やしていこうと思っております。」 また、この提案の内容を読まれ、そして、僕のことを真剣に気遣ってくれている方から、こんなメールが届いた。 「・・・仕事も、熱心でない人たちに、自分の気持ちや体をずたずたにされるのはもったいない。自分のペースで、いま自分が何をしたいのか、何ができるのかを見つけて、周りを味方につけながら、ゆっくり進んでみてもよいのかなぁと思います。自分のために、自分を少し、甘やかしてみませんか?」 このメールに対する感謝の気持ちを含め、こんなメールを送った。 「・・・僕のようなものにもこのようなメールを送ってくれる、そんな素敵な人たちが納めている税金から給料をもらっているんだから、やっぱ、公務員は、熱心に働いても”熱心すぎる”ことはなさそうですね。身の引き締まる思いがしました。」 「僕の病気が声を出して話す自由さえ奪う」という事を聞いたことがあるが、実は、最近、昔ほど上手に話が出来なくなったような気がしている。 そこで、万が一に備えて、子どもにビデオレターを残すことにして、既に何回か録画した。 もちろん、病気は治すことにしている。 でも、万が一に備え、これらのメールで伝えることが出来ない”真意”について、「可能なうちにできるだけ”生の声”で話がしたい 」と焦っている僕がそこにはいた。 |