助けてください
「世界の中心で、愛を叫ぶ」という映画がある。 白血病を患っている女子高校生が主人公のストーリー。 僕はこの映画を見ながら、主人公に恋する高校生に自分を重ねてしまった。
彼は、入院してしまった彼女を見舞う際、悲しい気持を隠して「ロミオ参上!」とおどけてみせる。 僕は、先日、この地域の「ALSの患者を支援する会」を立ち上げるため、風邪を引いて体調が悪かったにもかかわらず、せっかく集まってくれた方に失礼にならないように、と、精一杯の気配りを頭に置きながら、2時間半、司会を務めた。
途中から呼吸がきつくなり、無理に声を出そうとすると、のどの筋肉が悲鳴を上げ何度も吐きそうになった。 そして、30名を越える有志のみなさまの「何かしてあげたい」という温かい気持ちのお陰で、この会の役員も決まり、新たな第一歩を踏み出すことが出来た。 本当に嬉しかった。 これで、今後は、僕一人が頑張らなくても、この会が発展していくような気がして嬉しかった。 しかし、この日の無理が祟り、2日ほど寝込んでしまい、布団の中で、ふと、こんなことを考える。 「自分の症状を悪化させてまで、ALSの方達を支援するための会を立ち上げなければならなかったのか?もう、僕は既に多くの情報を得たのだから、こんなに無理してまでやらなくても良かったのではないか?」 いろいろ思い悩んではみるのだが、結局は、みんなの喜ぶ顔を想像してしまい、自分の状態も省みず、「ロミオ参上!」、とおどけてしまう僕が、そこにはいた。 しかし、自分に対しては、決しておどけることはできない。 仏法とは自分の中に「答え」を見つけだし、そして、「自分自身が仏になる」ものであり、それは、本来、神様やご本尊に頼るものではない。 一生懸命、そのように考えようとするのだが、一向に治る兆しがない症状に、何度「誰か助けてください!」と叫んだかしれない。 それに、最近、「体が元気に動いている自分」をイメージできなくなってきた。 何年戦っても病気に負け続けていると「負け癖」がついてくるのかもしれない。 負け癖。 僕が人生の中でもっとも嫌う言葉の一つが、ふ〜と頭に浮かんでくる。 「助けてください!」 「健康な僕」の記憶を消さないでください。 それが消えてしまったら、本当に病気に飲み込まれてしまいそうだから。 でも、本当は、病気に飲み込まれてしまった方が楽なのかもしれない。 なのに、未だに、「苦しい道」を選ぼうとしている。 「助けてください!」 早くそのような思いをなくしたい。 だって、最後に頼れるのは自分自身のはずなのだから。 |