花嫁の父親

 

 昨日、職場でこのようなことがあった。

 きっかけは、”僕の職場”以外の職員の中で、 僕の上司に対し「ホームページの”ひとり言”の中の”誕生日”」の内容を報告した人がいたことだった。

 これを受け、その上司は、勤務中にもかかわらず、僕を除く全ての班員を2回に分けて別室に集めて、このホームページの内容について、延べ1時間半、話し合っていた。

 そして、その後、勤務中にもかかわらず、かつ、お客さんが来る執務室にもかかわらず、僕と課長・班長・班の全ての係長及び班員により、以下のようなやり取りがあった。

「このホームページは君のか?」
「え?仕事中に、どうしてそんなことを聞くのですか?それよりこの会議の内容は何ですか?」

「先日話し合った事務改善の内容を話し合うことだが、このホームページは君のか?と聞いているんだ。」
「僕のだとしても、誰のだって良いでいいでしょ?それより、先日話し合った事務改善の内容ってなんですか?」

「何だ、その言い方は!こっちとしては良くないんだ!このホームページの真意について説明がないと、先日話し合った事務改善の内容を話し合うことができないから聞いているんだ!」

 仕事中、そして、お客さんが来る職務室にもかかわらず、課長や班長が目の色変えてこんなことを聞いてくるのにだんだん腹が立ってきた。

「なんで、仕事中に、プライベートで作っているホームページの内容の真意を、こんなところで課長や班員全員の前で言わないといけないんですか!個人的に聞きたいので有れば、”ちょっといい?”と言って、別室に呼んでこっそり聞けばいいでしょ。本人がいないところで、課長や班長が中心となって主事に対してそんなことやってたら、パワーハラスメントにも抵触するんじゃないですか?いや、そんなことは後で考えます。さあ、先日話し合った事務改善の内容について議論しましょう。」

「何を言っているんだ!やはり、このホームページは君が書いたんだな。だったら、”後の8人は評論家”とはどういうことだ!」
「僕らがやっている仕事を”バイトさんでもできる”とは何事だ!だったら、君がやっている仕事もバイトにできるというのか!」

 ”後の8人”とは、まさしく、今、僕の目の前にいる人たちのことだが、ここでちょっとした誤解が生じていることに気付いた。
 僕が言う”評論家”とは、「何年もここで仕事をしているのに、事務改善の話し合いの時になると、他人の意見の評価しかせず、決して、自分の改善案を言わない人」のことだ。

 つまり、ここの職場に来て1〜2年しか経ってない人や僕の意見を理解しようとしていた人は”評論家”に入らないので、”後の8人”という表現は明らかに僕の記載ミスだ。

 しかし、言い訳をするならば、僕が何ヶ月も前(一部は1年以上も前)から提案している事務改善策について「忙しいから」と無視し続け、最後の手段として、やむを得ず本庁のの力を借りて「事務改善の話し合い」を開いてもらったら、「言いたいことは分かるがそんなことをすると仕事が増えるのでしない」とか、「事務マニュアルやクレーム内容のデーターベース化って言われても僕たちはパソコンの使い方も分からないからできないもんな」とか、「事務マニュアルを作成するとしても、それを本庁に提出すると、僕らのやり方が間違っていた場合困るだろ?」とか、「言っておくけど、君の事務改善案は、班員全員の合意がなければやらないから」とか言って、「だったら、ここをこういう風に変えたらいいのでは?」という前向きな意見はほとんどなく、ましてや、僕以外の職員からは事務改善策など1つも無く、僕の案の欠点ばかりを指摘していたことに腹が立ったからだ。
 「あなた達はいったい誰もために仕事をしているのか!」と言いたくもなったが、「君の事務改善案は、班員全員の合意がなければやらない」のだから、ここはグッとこらえて、「短気は起こすな。職場で事務改善の話し合いをするのに何ヶ月も待ったんだ。今回は僕が提案した事務改善の取り組みを、1つでも取り組んでもらえれば、”よし”としよう」と言い聞かせ、ここまでで出てきた意見を踏まえた案に作り替え、班員全ての合意を得た。
 そのうっぷんが溜まったままでホームページの内容を書いたので、あんな内容になってしまったのだ。

 また、”バイト(臨時職員のこと)”の件も、ここでの事務は、「単純な課税作業」「読み合わせ作業」「封筒詰め作業」が多くを占めているのだから、きちんとした事務マニュアルを作れば、8人いる職員は「3人の職員と5人の臨時職員」で十分やっていけると思っている。
 実際、6ヶ月の臨時職員を雇ったとき、課税マニュアルを作成して課税処理をさせたら、その人は、蛍光ペン片手に必死でそのマニュアルを勉強し、たった3ヶ月で、一部の職員よりも早いペースで課税処理ができるようになった。
 やはり、単純作業は年輩よりも若い人の方が適しているのは明らかだ。
 だが、僕がやっている”仕事”は、「事務作業を、より効率的に、そして、県民サービスの向上につながる”ように改善していくこと」であり、これは、「県民のことを考える必要がない」臨時職員にはできない”仕事”だと思っている。

 それに、どんな理由であれ、仕事中に決まったことは、後で愚痴を言おうが何をしようが、「決まったことは実行する」責務がある。
 しかし、愚痴の真意など、仕事中にみんなの前で話す義務など無い。

「あのですね。何度も言いますけど、仕事中に、プライベートで作っているホームページの内容の真意を、こんなところで課長や班員全員の前で言う必要など無いでしょ。個人的に聞きたいので有れば、1対1で、別室にでも呼んで聞けばいいでしょうが!」

「なんだ、その言い方は!プライベートで作っているホームページの内容とはいえ、見る人が見れば誰のことか分かる内容を書いていいのか、と聞いているんだ。僕らを侮辱しているのか!」
「おお!1対1ならいいのか!やってやろうじゃないか!」
(今、1対8でやっているでしょうが!今。でも、絶対、この人とは、後日、改めて1対1でやってやる)
「誰が侮辱しようとしているんですか。僕は・・・」

 僕は、基本的に「県職員は本当は優秀なんだ」といたるところで言っており、侮辱しようなんて思ったことなど無く、「何でみんなは自分が持っている力をもっと県民のために使おうとしないんだ」となげいているだけだ。
 と、こんなことを言おうとしたが・・・

「まあ、いいや。お互いの価値観が違うんだから、ここで言い合っても結論はでないと思いますよ。本気で侮辱されたと思うのなら、人事課のところでも、出るところに行って、話し合いましょう。それより、仕事の時間なんだから、事務改善の話をしましょうよ。」

「何を言っているんだ。君は”職員の意識改革が必要だ”とよく言っているが、ホームページでこんなことを書いて。言っていることとやっていることが全然違うじゃないか!君は、まるで、小泉首相のようだな、まったく。あんなことを書かれると、僕らは、あの時決めた事務改善をしたくなくなる、って言っているんだ。」
「は?公私混同も甚だしいんじゃないですか。仕事をする上で、”あいつの言っていることが気にくわないから事務改善はしない”なんてことが通ると思っているんですか!」

「あ、そもそも。君は、ホームページのネタにしようとして提案していたんだな。」

 何を言っているんだか。
 あの日は、僕の誕生日で、2時間年休を取って、「身体障害者手帳」の申請をして、その後、子どもを早めに迎えに行って、家族でゆっくり焼き肉を食べに行き「家族のお陰で35歳まで仕事ができた」ことを書こうと思っていたんでしょ。
 それなのに、年休を出す相談をしたら「今日は14時から君が提案した事務改善について話し合うから」と言ったのはあなたでしょうが。

「何を訳の分からないことを言っているんですか。ただ、個人のホームページの内容について仕事中に別室で1時間半も話し合ったこと、そして、今、ここでやりとりしたことは必ずホームページに書きますから、そのつもりでいてください。」

「僕らはあのホームページの内容を修正しろと言っているんだ」
「そうだ。そうしないと、事務改善をしたくない、と言っているんだ」
「君は”出ること出て”って言っているけど、課内のことだから、ここで話し合いをすればいいだろ」
「あの、僕だって言いたいことは多々あるけど、あの時、”これで行きましょう”って結論が出たんでしょ。それを”あいつが気に入らないからしない”っていうことが、仕事をする上で通じると思っているんですか。僕だってあなた方に対して言いたいことがあるし、お互いの言い分を聞いていると平行線でしょ。だから、そんなことはここで話さずに、人事課とか、”職員のあり方”が分かっている人を交えて議論しましょうよ。」

「君がそんなことを言うんだったらもう話にならない。もう、この話し合いは止めだ。そして、先日決めた事務改善も無しだ。」

 こう言って話し合いは終わった。

 課長以下8名が、僕が気にくわないから僕が提案した事務改善はしない?

 この職場では、今まで、こんなことがまかり通っていたのか?
 みんなに迷惑を掛けていることは知っていたから、職場の人が「よし、事務改善しよう」と言ってくれるまで待とうと思っていたのに・・・。

 あまりにも信じられない現実にいささか驚き、「君は体にハンディキャップを持って周りに迷惑かけているんだから余り色々言わない方がよいのでは?」というアドバイス や「人事課が何十年も同じ仕事をさせているのが問題で、彼らを税務と全く関係ない職場に異動させれば君がこんなことで頑張る必要もないのではないか?」という話もあった。
 しかし、僕に人事権はない。
 だから、僕は、この日に起こった現実について、 「いろんな方法を使って、”公務員として正しい結論”を出すしかない」という決意をするしかなかった。

 職場の雰囲気が一時的に悪くなることは胃が痛くなるぐらいつらいことだが、ここで「どうしようもない」と思ってしまうと、いつまで経っても、”ベテランの方々”の考えは変わらない。

 だから、その結論が出るまで、この体よ、何とか動いてくれ。

 

・・・、でも、本当は、僕は、ここでは、こんな”決意”のようなものではなく、「今日出席した結婚式」について書く予定だった。

 お世話になっている親戚のおじさんが娘の結婚式に出る姿を、出席できるかどうか分からない「将来の自分の姿」と重ね、今の僕の心境を、”花嫁の父親”としての心境を、娘に残しておきたかったからだ。

 なのに、「公務員としての思い」が強すぎた。

 やっぱり、僕は、生粋の公務員なのかもしれない。

 でも、なぜか、この原稿を書いていると、娘がじゃれてくる。

 そんな娘の顔を見ながら「僕が本当にしたいのはこんな”決意”ではない」ということを感じずにはいられなかった。

 
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