再び、僕が提案した事務改善案に関する班内の話し合いがあった。
今回は「人事担当課の代理の方」や「所長」も同席するという、僕がいままで経験したことがない会議であった。
(後日、人事担当課に確認したところ「そんな職員を派遣したことはなく、こちらで調査したところ、本庁の税務担当の主幹課が独自で職員を派遣していた」という返事であった。しかし、なぜ、僕を招集した上司がそのような
ウソを僕についたのかは未だに不明である)
その会議の主な内容は以下のとおりであった。
(なお、ここでいう「人事担当課」とは「本庁の税務担当の主幹課」と読み替え)
◆「提案者が気に入らないから事務改善はしないというのはおかしい」と普通に言った僕に対し、人事担当課の代理の方が「感情的にならずに」と言ったことをきっかけに、その後、僕の上司が口火を切ったように「君が気にくわないから君の提案は却下する」ような発言が相次いだ。
しかし、なぜか、人事担当課の代理の方や所長が「僕の上司の対応を注意する場面」は一度もなかった。
◆「俺が酒を飲みながら仕事に来ることの何が悪い。そんなことを貴様に言われたくない」と僕に息巻いていた人が、その後、アルコール依存症で入院したことについて、上司から「彼は君のせいで入院したのに、君
には申し訳ないという気持がないのか?」と言われた。
「世の中には治したくても治す方法がない病気がある。だから、治せる病気であれば少しでも早く治して、また、元気に仕事をすればいいじゃないですか。」
一生懸命訴えたが彼らには届かなかった。
◆「僕が、昼休みにカウンターの後ろのお客様の待合い席のソファーで足を組んで昼寝をしているのを人事担当課に言ったのは君か?今日、人事担当課が来たら一言文句を言おうと思ったが、あれにはちゃんとした理由があるんだ!!」
僕にはどう考えても「正当な理由がある」とは思えないのだが、もしあるのであれば今でも座り続ければいいのに、なぜ、座ることを止めたんだ?
◆事情を知らないはずの他の課の課長が、傍観席から「今回の事務改善の取り組みは君の勉強のために採用してあげたのに、ホームページであんなことを書かれると採用したくな
いと言っているんだよ」という発言があった。
ここまでくると、「事務改善」の話し合いではなく、所属する職場の上司に「人事担当課の代理の方」や「所長」を加えた、僕に対する「公開尋問」のような気がしてきた。
◆僕は「事務改善は県民サービスの向上のための手段の1つであり、提案者が気にくわないからやらなくて良い、という問題ではない。なぜ、あなた達は”自分たち本意”で考えるのか?」という発言を、再三、繰り返したのだが、彼らは「事務改善は僕たちの仕事が楽になるためにやっているのであり、県民サービスの向上のためではない。だから、君がホームページで僕らを批判するような記載があったことにより、もう、君の提案は受け入れない」と繰り返す。
◆「あなた達が僕のことについて裏で色々と批判的なことを言っていることを知っているし、このようなあなたたちの考え方も間違っていると思っている。もし、あなた達の理屈
が正しいのだとすると、僕は”あなた達の意見は聞かなくても良い”ということか?そんなことで県民本意の事務改善ができると思うのか?いや、一般的にみて、会社の
中で、”Aさんが自分のことを批判している”と思った場合、たとえ、Aさんのアイデアが会社のためになったとしても、批判された社員は、会社の方針に反してでもAさんの意見は無視して良い”、と考えているのか?」
この意見に対し、人事担当課の代理の方は、「意識改革担当課は”みんなで楽しく事務改善をしなさい”と言っており、こんな状態では事務改善なんてできない」と僕に対して言った。
「あくまでも県民主体であり、多少、仕事が増えても、その分、県民サービスの向上が見込めるのであれば、何とか実施できないか検討すべき」と考えている僕と、「少しでも仕事が増えることは
実施の検討もしない」と考えている彼らの間で、「みんなで楽しく事務改善をしなさい」と言ってもできるわけがない。
だったら、僕が彼らの考え方に変わればいい?
それは、僕が公務員である限り、絶対に無理な話である。
だからといって、「この職場では事務改善ができない」とあきらめてもいない。
僕が、彼らの「あまりにも自分勝手な主張」に言葉を失っていると、直属の課長からこんな締めくくりの言葉があった。
「もう、今後、この職場では君からの事務改善の提案は受け入れない。それと、ホームページには職場のことは、”良いこと”以外は書くな」
僕は、当分、職場のことをホームページに書くつもりはない。
こんな状況を目の前にして、ホームページで「誰のこととかも分からない内容」をただ愚痴のように書きつづる、という悠長なことを言っている場合ではなくなったからだ。
今までは、職場に迷惑を掛けているような気がして遠慮していた部分があったが、今回は本気で「どちらが正しいのか」の決着が付くまでトコトンやることを決めた。
だからといって、彼らを相手に正面からぶつかって命を削ることなどしない。
というか、「職場としてはもう僕の意見は聞かない」と宣言されたのだから「できない」という方が正しい。
その翌日、所長から以下のような主旨のメールをいただいた。
「今回の問題は、改善提案の実施が決まっていたのに、その直前に君がホームペー
ジで批判的なことを書いたことが、同僚のヤル気を害したことから起こっ
たことです。”ホームページの記事と事務改善をするかどうかは全く別問題であり、公務員は県民サービスの向上のため努力しないといけない”という君の考えはおかしいと思います。」
このメールは、一見、「そのとおりだ」と思うかもしれないが、それは「”自分たち主体”ではなく、”県民主体”であること」が大前提でなけ
ればならない。
その前提がなく、「自分たちが楽をすること」だけを考えていたから、職場で
酔っぱらっている人がいても注意しなかったり、「順番に1時間早く帰ってもよい」という「めちゃくちゃなルール」を勝手に決めてしまっていたのだ。
公務員は、「毎日、同じ作業をこなせばいい」のではない。
そんなルーチン的な作業があるのなら、その作業は、比較的若い嘱託の方にお願いした方が断然効率的である。
公務員は、「日々、県民を主体に考え、少しずつでも良いから現状を改善する努力をしていくこと」が責務としてある。
そのことを彼らに実行してもらうにはどうしたらよいのか?
この職場では、「どうせ君は仕事ができないんだろ?」と病気を患った人の人権を侵害する見下した発言をする人が時々いる。
僕が元気だった頃は、彼ら以上に、パソコン等を利用して効率的に、かつ、長時間仕事をし、自宅でも勉強を欠かさなかった。
しかし、その時でさえも、僕は、個人の能力の有無にかかわらず、「いろんな意見を聞きながら一生懸命頑張っている人」を尊敬し支援してきたし、ましてや、その人を見下したことなど一度もない。
大事なことは、「どんな状態でも、一生懸命”公務員としてしなければならない仕事”をする」ことではないか。
僕は、今の職場に異動してきたとき、課税処理の仕方が分からず、複数の人に聞いた ところ、異なる説明を受けたことがあった。
そして、ベテラン職員からも「法律の○○に載っている」ではなく、「僕は今まで○○のように処理してきたが、それが正しいかどうかは上司に聞いてくれないか」という説明
を受けたことがあった。
だから、「県民に平等なサービスを提供するためにも、きちんとした、統一された事務処理マニュアルを作りましょう」と提案したのだが、それが、まさか今回のような尋問を受けることになるとは夢にも思わなかった。
彼らは、何度も何度も「ホームページ、ホームページ」というが、このホームページは、病気になった人が「自分の考え方や生き様を家族や知人に知らせるため」に立ち上げたものであり、彼らが憎い
から立ち上げたわけではない。
だから、彼らも、もし「事実と異なる」と思うのであればそれでよかったのに、みんなの前で「これは事実か?」と聞くからこんな事態が生じてしまった。
生じてしまった以上、僕自身も、”彼らが準備した人”以外の多くの人に「事実である」と言わざるを得なくなった。
これまで、このホームページの内容に対して、「県民のためにならない」という指摘があれば、それを真摯に受け止めて修正してきたし、ましてや、「僕の提案が最も効果的である」なんて
自信などない。
しかし、「今の時点では彼らに対する謝罪の言葉は用意してはいけない」と思い、「何も提案がないのなら少しでも効果のある僕の提案内容を実行してみよう」と訴えているだけだ。
事務改善に「目の覚めるようなすごいアイデア」なんてなく、毎日毎日「こうしたほうが良いかな?」という小さなアイデアをこつこつと実行していくしかない。
そして、その大前提として「県民主体」であることを決して忘れてはいけない。
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