”当たり前”に感謝
「かつて、非行に走ったり、ものごとを悲観的に考えてどん底まで落ちてしまった人が、いろんな人の支えで、人生を前向きに捉えることができた」という話は、時として人に感動を与えることがある。 でも、僕は、非行の誘惑を勇気を振り絞って振り払っている子ども達や、常にものごとを前向きに捉えている「平凡な人」も「すごい人」だと思うように努力している。 「普通のように思えること」を普通のように行う。 この「何ら感動もしないようなこと」がすばらしいことだと思うようにしている。
才能の有無に関わらず、将来に向かって一生懸命勉強する子ども達 みんなすごい人たちだ。 しかし、世間では、今まで勉強しなかった子どもが勉強し始めると「すごいね〜」と褒め、その一方で、日頃から勉強している子どもには、それを「当たり前」と思ってしまい、その子がたまに勉強しないと怒ってしまうこともある。 「当たり前のことを当たり前のことのようにすること」はすごいことなのに、多くの人がそれに気付いていない。 気付かないから、誰もそのことに感謝をしない。 僕だってそうだ。
「4歳の息子が”片づけ”をすること」は当たり前で、「2歳の娘が”片づけ”をすること」は「偉い」と思ってしまう。 つくづく小さい男だ。 最近、 「当たり前のことを当たり前のようにする人」が、突然、殺人を侵したり、自殺をしたりしている。 しかし、そんな彼らに、もし、周りの人が「いつも偉いね〜」と、”当たり前のこと”を褒めてあげていたとしたら結果はどうなっていただろうか? 世の中の大多数が”当たり前のこと”と思われていることを一生懸命やっている。 そんな中で、ささやかな”当たり前のこと”への感謝。 僕のように”ついつい欲が出てしまう人”にとって、このことを心の底から思うことはとてもたいへんなことだが、それによって得るものも大きいと思う。
そして、 次の一歩を踏み出そう。 |