”当たり前”に感謝

 

  「かつて、非行に走ったり、ものごとを悲観的に考えてどん底まで落ちてしまった人が、いろんな人の支えで、人生を前向きに捉えることができた」という話は、時として人に感動を与えることがある。

 でも、僕は、非行の誘惑を勇気を振り絞って振り払っている子ども達や、常にものごとを前向きに捉えている「平凡な人」も「すごい人」だと思うように努力している。

 「普通のように思えること」を普通のように行う。

 この「何ら感動もしないようなこと」がすばらしいことだと思うようにしている。

 才能の有無に関わらず、将来に向かって一生懸命勉強する子ども達
 どんなに忙しくても 毎日、当たり前のように家事をこなすお母さん達
 どんなに会社で怒鳴られようが、毎日、仕事に出かけるお父さん達

 みんなすごい人たちだ。

 しかし、世間では、今まで勉強しなかった子どもが勉強し始めると「すごいね〜」と褒め、その一方で、日頃から勉強している子どもには、それを「当たり前」と思ってしまい、その子がたまに勉強しないと怒ってしまうこともある。

 「当たり前のことを当たり前のことのようにすること」はすごいことなのに、多くの人がそれに気付いていない。

 気付かないから、誰もそのことに感謝をしない。

 僕だってそうだ。

 「4歳の息子が”片づけ”をすること」は当たり前で、「2歳の娘が”片づけ”をすること」は「偉い」と思ってしまう。
 また、パートナーが僕に愛想を尽かさずに毎日食事を作ってくれること、それだけで十分感謝すべきことなのに、洋服を着せてもらっているときに「少しは自分でできないの?」と言われると、彼女への感謝の気持ちなどどこかへ吹っ飛んでしまい、「自分でできるぐらいならこんなことを頼むと思うか?自分でできないだけでもストレスが溜まるのにそんなこと言うな!」と言ってしまう。

 つくづく小さい男だ。

 最近、 「当たり前のことを当たり前のようにする人」が、突然、殺人を侵したり、自殺をしたりしている。

 しかし、そんな彼らに、もし、周りの人が「いつも偉いね〜」と、”当たり前のこと”を褒めてあげていたとしたら結果はどうなっていただろうか?

 世の中の大多数が”当たり前のこと”と思われていることを一生懸命やっている。

 そんな中で、ささやかな”当たり前のこと”への感謝。

 僕のように”ついつい欲が出てしまう人”にとって、このことを心の底から思うことはとてもたいへんなことだが、それによって得るものも大きいと思う。

 そして、 次の一歩を踏み出そう。
 

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