言葉が話せなくなった方にパソコンを使って意志を伝える「意思伝達装置」の調整を無償で行っている「ボランティア団体」のフォーラムに出席した。
意思伝達装置は、高額にもかかわらず、個人の障害状況が様々であるため、1人1人に対してその人にあった機器を取り付けてあげないといけないのだが、意思伝達装置を必要とする人がいる家庭は介護などで支出がかさむため、なかなか「意志を伝えること」にまでお金を回すことができない。
そこで、パソコン機器の技術に長けている人たちがボランティアとして集まって、「意思伝達装置をうまく活用できていない人」を支援している。
僕は、このフォーラムに初めて参加したが、脳性麻痺で話しができずに車いすで移動している方が「顎に長い棒を当ててキーボードをたたいて”意思伝達装置のソフト”を開発し、それを必要とする方に無料で提供している」など、ハンディキャップを持った方が自ら同じ境遇の人を支援している姿に胸を打たれ、また、健常者の方達が、ハンディキャップを持った方のために、仕事の合間を縫って、そして、休日返上で頑張っている姿に感謝した。
一方、僕も、ALS患者支援の会の活動報告をすることになっていたが、うまく言葉が出ない状態で「自分の症状を話している」うちに、「僕はいったい何をしているんだ」と思い、なんだか情けなくなってしまい、本当に言いたかった「前向きなこと」がほとんど言えず落ち込んでいた。
しかし、パートナーから「”100%の出来”だと思うよ」とか、会場をご提供された病院の看護婦さんから「この病院に入院しているALS患者とその家族の方も、話を聞かれて少し元気になられたような気がします。ありがとうございました。」という言葉を聞き、さらに、参加者から「あなたの話を伺い、大変感動しました。・・・病は”気”から。“意志”の力を信じてください。」という手紙までいただき、少しだけ救われた気持ちになった。
弱い自分、弱くなっていく自分の姿を自覚するには大きな勇気がいるが、それを多くの人に見せ、そして、奇跡の回復を遂げるための証人となってもらおう。
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<講演の話の内容>
テーマ:病気と家族と社会
【病気】
平成13年1月頃、オカリナが吹けなくなったことやテニスのラケットを強く振り切れなくなったことにより自覚症状が出てきた。
平成14年5月、病院に検査入院し、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の告知を受け、この病気は体中の筋肉が無くなる原因が分からず治療方法が全くない病気で、「教科書通りでいくと、1年後には仕事ができなくなり、4年後には寝たきりになり、その後,持って4年です」という説明を受ける。
実際、平成15年になると、上肢の障害がひどく不安が大きくなり、平成16年1月、職場を異動し、その後、首、左手の指・肩、そして右手の指・肩の筋肉が目に見えて無くなっていき、平成17年、下半身の筋肉にも衰えが見え、身体障害者手帳1級を取得したのだが、「頑張って動かないと気持ちまで病人になってしまい、進行が早くなる」と思い、必死に歩いていた。しかし、その結果、つまずいたときに受け身が取れず、肋骨にひびが入ったほか、救急車で2回運ばれ頭を7針縫うなどの代償を払っている。その後、病気による攻撃が休まずあり、今では口から喉の筋肉まで衰え、吐き気や言語障害や呼吸器官への異物挿入など、この病気は、毎日、僕の前向きな気持ちをへし折ろうとしている。
こんな状況では、「病気になって良かった」とはとても思わないが、ずば抜けた才能にあこがれることはなくなり、日常生活で「当たり前にできると思っていたこと」に感謝できるようになった。
【家族】
平成14年5月の告知の時、長男が1歳の誕生日を病院で迎え、病室にケーキを持ち込み、まだ歩けない子どもに「ハーモニカ演奏」のプレゼントを贈り、「絶対元気になってみせる」と子どもに誓った。
平成15年6月、かわいい長女を授かる。
余命を宣告された僕にとって、1人の子どもでさえも育てることができるか分からず、そんな状態で、娘に会う道を選択するまでに大いに悩んだ。
でも、「僕がいなくなった後、母一人子一人よりも、大変だけど子どもは2人いた方が楽しいはず」と決心した。
そして、今、娘の結婚式で「あなたに会えて幸せでした」と言うことを大きな目標としている。
しかし、平成16年7月頃から、医師の予言通り症状が悪化していくことに恐怖感が増すとともに、「将来、子ども達は父親を知らずに生きていかなければいけないのか?」という不安感から、妻に激しく八つ当たりをするようになり、離婚騒動まで起こった。
それでも、毎日毎日身の回りの世話をしてくれ、それに加え、ALS患者支援の会の立ち上げに協力してくれる妻や、肩車もできない僕を「お父さん、大好き」とか「粘土やビー玉を混ぜた容器」を持ってきて、「お父さん、この薬を飲めば、絶対元気になるよ」と言ってくれる子ども達をみているうちに、健康なとき以上に、家族の“ありがたさ”や“大切さ”を実感するようになる。
そして、そんな子ども達のために、自分の声をビデオに残したり、その時の考えをホームページに残すようにした。
また、家族の中でケンカを減らすには、「家族の負担を減らすこと」が大事であり、そのためには、社会の方々の支援が必要不可欠であると感じた。
【社会】
平成16年1月の異動を機に、症状が悪化していき、「普通の人のように作業ができない」ことをみんなの前で説明させられたことにショックを受けるなど、ハンディキャップを持つ人が社会で働こうとした場合、健常者以上の精神力がいることを肌で感じるようになった。
多くの友人・知人から「お前が病気に負けるわけがない」というエールをいただく度に「がんばろう」という勇気をもらったが、その勇気がなかなか持続しなかった。
平成16年7月頃から、「もうすぐ僕は社会の役に立たなくなる。人生の最後に、そして、まだ体が動くうちに、少しでも社会の役に立ちたい」と決心し、いろんな団体に「ボランティアでいいので何かのお役に立てないか?」と問い合わせた。
ボランティア精神の目覚めである。
僕は、こんな病気にならないとボランティア精神が目覚めなかった。
その後、ある方から、「ALS患者支援の会を立ち上げようとする動きがある」と言う話を聞き、その活動に積極的に参加するようになる。
平成17年7月、「ALS患者やその家族を組織的に支援する体制をつくりたい」と呼びかけたところ、30名を越える人が集まってくれ、「こんなに多くの方がALS患者やその家族を支援したいと思ってくれる」ことを知り、大きな勇気をもらう。
現在、ALS患者支援の会の組織を立ち上げ、役員の方が、仕事の合間を縫って、僕が感じた「勇気」をより多くのALS患者やその家族に伝えようと懸命に努力されている。
しかし、支援していただく方は多ければ多いほど、「1人の負担が小さくなる」。
本来は、ALS患者やその家族が積極的に活動しないといけないが、多くのALS患者は動くことが困難であり、家族の方は毎日の介護で手一杯である現状で、他県では遺族の方が活動の中心になっている。
だが、僕はできるだけ遺族をつくりたくないのです。
ですから、支援して頂ける方を多く集める必要があります。ここにいる方で、「少しなら、月に1回ぐらいなら支援してもいい」という方、よろしければ「少しだったらいいよ」って言って頂けないでしょうか?
よろしくお願いいたします。
【僕の夢】
☆この地域のALS患者の方に、「こんなに多くの支援者がいる」ことを伝え、その勇気により、ALS患者の名前がリストから無くならないようになること。
☆「家族の負担が大きい呼吸器を付けてでも生きたい」と思えるようになること
☆
スーパーマンを演じた俳優クリストファー・リーブが落馬して脊髄を損傷して首から下が動かなくなった後、無意味と言われていたリハビリを何年も続けた結果指が動くようになり、多くの骨髄損傷の患者に希望の光を与えた。
僕も
「病は気から」を信じて気力で病気を治して、今後、医者がこの病気を告知するときには、「医学の教科書にも”ALSは治るケースもある”」ということを付け加えて頂けるよう、僕自身でも「ALS患者やその家族」の方に勇気を与えることができるようになる。
☆そして、娘の結婚式で「あなたに会うには大きな勇気が必要でしたが、君に会えて幸せだった。そのことを言うために、お父さんは必死に頑張ったよ。夢は最後まであきらめるものではない。そうすると絶対に叶うんだから」と言うこと。
僕のようにALSを患った方にも「ささやかな夢」はあります。
しかし、その夢は一人で叶えることができません。
ですから、より多くの方の「小さな支援」をたくさん下さい。
よろしくお願いいたします。
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