三輪車の自分

 

 僕は何のために生きているんだろう?

 そして、あなたは何のために生きていますか?

 「仕事ができない」なんて小さい、ちいさい。
 そんなに頑張らなくてもいいんじゃない?
 どんなお父さんでも、子ども達にとってはたったひとりの父親なんだよ。

 そう思おうとするんだけど、時々、苦しくなる。

 仕事は僕が1年を棒に振ってまで選んだ道なので何かを残したかったし、一度だけでいいから人生を必死に頑張って生きてみたかった。
 それに、子ども達には「自慢の父親」になりたかった。

 そう思うと、時々苦しくなる。

 たとえ、病気ではなくて死ぬほど頑張ってみても、所詮は「大したことなかった人生」だったかも知れないけど、でも、一度で良いから満足のいく人生を歩みたかった。

 つまらない人生。

 他の人から見たらそんなものなのかも知れないけど、本人にとっては「すばらしい人生」に見えることだってある。

 今の僕にできるのは、勇気を振り絞ってハンディキャップをさらけ出して頑張ること。

 とあるALS患者の家族から「あなたの”ALSを患いながらも頑張っている姿”を見ていると、あなたに会わせる顔がない」と言われたが、今の”僕の頑張り”なんて「三輪車に乗って世界一周をしよう」としているようなもの。
 少し前まではバイクに乗って軽快に走っていたはずのに・・・

 だから、「会わせる顔がない」なんて言わずに一緒に頑張ってほしい。

「見えない目標」「その遙か彼方にあるのかどうかも分からない目標」に向かって進んでいくと、時々、しんどくなる。

 誰か教えてください。
 僕の掲げる「まだ誰も達成したことのない目標」を叶えることは本当に可能なんですか?

 誰か言って下さい。
「君の掲げている目標は間違いなく叶えることが出来るんだよ」って。

 「なぜ僕がこんなことに・・・」とは聞かないけど、僕がこの病気になった意味だけは知りたい。

 しかし、本当はその意味を知っているはずなんだ。

 人間誰しも、必死に生きたら、それだけで「その人の意味」はある。 

 壮大な海と比べるといつもちっぽけに見える”僕”が、自分の中では宇宙よりも大きく感じる。

 大きすぎるから、時々、わからなくなってしまうだけなんだ。

 

 
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