昨日からパートナーのお姉さんのところに泊まりがけで遊びに行った。
お互いに離れていて年に2〜3回しか会えないが、パートナーや”お酒の解禁日となる僕”はもちろんのこと、子供達も、従兄弟たちと遊ぶのをいつも楽しみにしている。
甥っ子の「図画工作発表会」を見に行ったあと、お義姉さんの家で夕食。
子供達とおかあさん達は疲れてしまったようで、22時には就寝。
あとは、待ちに待った「男だけのお酒の時間」。
いろんなことを話していたが、とりわけ、僕の病気の話は鮮明に覚えている。
「・・・やはり、呼吸器を付けてしまうと、寝たきりの状態が長くなり、子供達にも負担がかかってしまう。僕は迷惑をかけるために子供達と出会ったわけではなく、呼吸器を付けて何もできずに迷惑だけをかけて生きていくことには抵抗がある。」
「う〜む、君の気持ちは君にしか分からないから何ともいいようが無いなあ。・・・ということは、呼吸器を付けない理由は、子供に迷惑をかけたくない、という気持が大きいんだね。」
お酒を飲むペースが少し速くなってきた。
「だってそうでしょ?病気に負けるのは嫌だが、そのために、身動きもできずに会話もできない状態で、ただ、家族に迷惑だけをかけて生きていくのは辛いでしょ。」
「確かに。でも、その理由で”呼吸器を付けない”という選択をして、それを子供達が知ったら辛いだろうね。」
「・・・」
「君は、将来、話せなくなったときのために、子供達に”父親の考え方”をホームページに残そうと頑張っているのに、もし子供達が”自分たちに迷惑がかかると思って呼吸器を付けなかった”ということを知ったら、ショックで、君のホームページの意味も無くなると思うよ」
「・・・よく考えてみるとそうですね。それも嫌だな。」
この病気になってしまったあと、どうしたら、家族と僕にとってベストの選択ができるのか?
もう、簡単に「呼吸器を付けない」という選択を選ぶことができなくなってしまった。
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