友人の入院

 今日、僕と同じ病気を患っているにもかかわらずに、ともに”ALS患者支援の会”を立ち上げることに尽力してきた友人が「呼吸器を付けた」という知らせを聞いた。

 誤飲したことがきっかけに、わずか数日間で症状が悪化し、自分の力で呼吸ができなくなってしまい、呼吸器を付ける結果となったようだ。

 呼吸器を付けると、もう「自分の声で話すこと」が困難になる。

 彼は、先週、僕がシンポジウムに参加していた時は「まだ自分の声で話すことができていた」そうだ。

 シンポジウムがあった日に病院に駆けつけていれば、「病気に負けるな!」「なんのこれしき。負けるものか!」という会話ができていれば、こんな結果にはならなかったのではないか・・・。

 後悔の念が真っ先に頭に浮かんだ。

 そして、時間と共に、「あまりにも早い病気の進行」に、「次は我が身」という恐怖感に包まれていった。

 病気の悪魔に自分の魂がドンドン吸い込まれていくのがわかった。

 僕は、「病気を治してみせる」と周りのみんなに豪語していたのに、ざま〜なかった。

 僕はやっぱり弱い人間だ。

 パートナーは「私は、あなたが呼吸器を付けても大丈夫よ」と精一杯励ましてくれた。

 しかし、僕の中に「病気を治してみせる」という気持ちが蘇ってこない。

 そんな時、「熱心な創価学会の会員」が”一点の迷い”もなく、こんなことを言った。

 「何を弱気なことを言っているの。あなたはもう素晴らしい”お題目”を手に入れたのだから、必ず治るのよ。でも、あなたが治ると思わないと、治るものも治らなくなる。しっかりしなさい!」

 僕は「お題目の効果」を信じているとは決して言えないが、こんな時、「治ってほしい!」という願望ではなく、「あなた次第で病気は必ず治る」という気持で「治る」という言葉を言ってくれた人が近くにいたことは、本当に大きな助けになった。

 「やはり、僕は、この病気を治して、同じ苦しみを持つ人たちに勇気を与えなければいけないんだ!」

 やっとの思いで、なんとか、このことを自分に言い聞かせることができた。
 

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