今年行われたトリノオリンピックでは、日本は金メダル1個に終わったが、メダルを取らなかった人も、多くの日本人に感動を与えた。
それは、「尋常とは思えない練習やプレッシャーを乗り越えてきた」、ということを知っているからだろう。
ところで、この自治体では、「職員自身が楽しみながら意識改革をしよう」というスタンスで、3年間、職員の意識改革を進めてきた結果、職員の自主評価では「3年前より効率的に仕事ができるようになった」という結果が出た。
その一方で、”民間による評価”では、「この自治体の公務員は3年前より効率的に仕事ができていない」という厳しい評価が下された。
僕自身、「3年前より効率的に仕事ができるようになった」という職員の自主評価の結果は納得がいく。
しかし、そのスピードが、「民間人の意識改革のスピードに追いつかなかった」ことによる”悲惨な結果”となったのではないか?
他人事のような言い方をしてしまったが、僕自身、懸命になって民間のスピードに負けないように頑張った結果、上司から「もう君の業務改善案は受け入れない」という通告を受けたため、今の状態では、このような言い方しかできないのだ。
よく考えてみると、「これまで何もできなかったが、3年かけて、やっと楽しくキャッチボールができるようになった公務員」が、「厳しい競争社会の中で猛練習を行い、自主トレまでやっている民間人」に、「効率的に仕事ができるようになった」という評価を受けることを期待するのは少し虫が良すぎる気がする。
この”厳しい結果”の責任は、いったい誰が取るのだろうか?
意識改革担当課の職員?
それとも、その職員を人選した人事担当課?
それに、僕に下した「もう君の乗務改善案は受け入れない」という通告はいつまで続くのだろうか?
もっとも、僕は、”これまでの結果”にはあまり興味がない。
それよりも、「何千人もの職員に対し、膨大な時間と費用を費やして行った調査」によって得た「公務員と民間人の意識は大きく違っている」という結果を、今後、どのように活用していくか?に興味がある。
公務員は、民間から評価されるほどの”厳しい練習”に身を投じる覚悟を決めるのだろうか?
それとも、これまで同様、「楽しみながら」をモットーに”自主的な意識改革”に期待を持ち続けるのか?
自分が働いている会社が、こんな不名誉な結果を出してしまったことに落ち込みつつ、僕は、「これからも”自分にできること”を一生懸命頑張ろう」と心に決めた。
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