同志の死

 

 今日もまた、同じ病気と闘っていた同志が逝ってしまった。
 しかも、その人は、まだ、自分で呼吸ができていた人だった。

 家族の意向で病気の告知をされず、そして、病気を知られることを恐れて、好きな
インターネットもさせてもらえなかったそうだ。

 さらに、その人が、今年小学校に入学する娘を含め、「2人の子供の父親でもあった」ことが僕の心に深く入っていった。

 精神的なショックを心配して、告知もされずに好きなこともできない。

 それだけこの病気は深刻なものなのだ。

 僕にも突然、”その時”がくるのではないか?

 そんな「要らぬこと」ばかりが僕の頭に浮かんでくる。

 しかし、見捨てる神あれば拾う神あり。

 理由は全く分からないけど、「ALSと診断され、その後、長い間、病気の進行に苦しみながら、奇跡的に回復した」という話を聞き、昨日、疑心暗鬼ながらもその人と電話で話をしたことを必死に考えようとした。

 その人は、7年間の間に、片足の筋肉が無くなり、そして、指が動かなくなって、ろれつも回らなくなってきたそうだ。

 しかし、ご主人がうつ病で仕事を休みがちで収入も少なかったことから、日々の家計のやりくりなどに翻弄され、病気の進行を心配する余裕さえなかったそうだ。

 そして、発病から7年後、動かないはずの足が動くようになっていき、その後、ゆっくり回復していったという。

 病は気から。

 僕も「ALSの病気を患っていること」を忘れるぐらい、何かに集中することができたら、もしかしたら、この病気を克服することができるかもしれない。

 しかし、最近、社会に出ていると、自分のハンディキャップを痛感することばかりで、「その道のり」は決して楽ではない。

 「仕事ではない何か」に夢中になれることはないか?

 そんな思いから、「ひとりでできる勉強をしよう」と「通信教育の大学院の案内」を取り寄せることにした。

 こんなことなら、大学を卒業した後、公務員ではなく、大学院に進学していた方が良かったのではないか?

 取り返しのつかない後悔ばかり考えていた。



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