善意の水

 

 最近、「「慣れ」の怖さ」を感じることがある。

 パートナーに対してはもちろんのこと、いろいろと親切にしてくれる人に対し、そのことに感謝することを忘れて、「もしかしたら○○もやってくれないだろうか。」と思ってしまうことがある。

 それに、善意でやってくれていることについても、たまに冷たい態度に感じると、不快感を覚えることさえある。

 善意とは、水のようなものであり、感謝の気持ちで頭を下げれば下げるほどたくさんの善意が流れてくるが、感謝の気持ちが無くなれば無くなるほど、態度が大きくなり、頭が上がって、これまで流れていた「善意の水」が流れなくなってしまう。

 他人の善意に甘えることなく、できるところまでは自分でする。

 例えば、洋服を脱ぐことはできないけど、何とか一人でチャックを下ろしてから着替えをお願いする。

 「ハンディキャップを持ったこと」と「何でも甘えて良いこと」とは違う。

 このことを勘違いしたとき、僕に流れていた「善意の水」は止まってしまう。

 目の前に、100kgの荷物があったとき、まずは自分だけで運ぶ努力をしてみること。

 それを継続しているうちに、どこからともなく、善意の水が少しずつ流れ出してくる。

 でも、もし、「100kgの荷物を自分だけで運ぶ努力をしたくない」と思ってしまうと、その水は止まってしまうだろう。

 できることを少しでもやろうとする”気持ち”。

 この”気持ち”が心の渇きを潤してくれる。


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