(6.30)
小さな会社の社長?
ヘルパー10人体制に変わってから約1ヶ月が経った。
僕の所へ来てくれるヘルパーさん達の年齢は22歳から50歳代後半と幅広く、思えば、この1ヶ月、本当にいろんなことがあった。
僕が言うことをいつも「わかりました」という元気な声で返事をしてくれていたヘルパーさん。
でも、実は、耳が遠くて僕が言ったことをほとんどわかっておらず、「僕のことは気にしなくていいからわかるまで聞いてね」と言うと、今度は、突然、「何回聞いても聞き取れない自分に腹が立つ」と言って泣き出し、結局、辞めていってしまった。
歯磨きの時、いつも見当違いの所を磨いていたヘルパーさん。
「僕の説明の仕方が悪いのかな?」と聞くと、「実は老眼がひどくて歯がよく見えないんですが、眼鏡をかけるのが嫌なもので・・・」という返事。
仕方がないので、「カンで磨けるようになるまでボチボチやっていこう」と言いながらも、その人が来たときは、後で妻に”磨きなおし”をお願いしたこともあった。
また、担当のヘルパーさんが急な用事で来られなくなったとき、その連絡もなく初めて見る顔のヘルパーさんが来て「何をしたらいいですか?」と聞かれたこともあったし、ヘルパーのミスで時間内に終われなかった時でも平気で”時間外勤務”を申請してくるヘルパーさんもいたような・・・。
おかげで、白髪がみるみるうちに増殖し始め、体重は減り、毎週1回することを決めていた”散歩”に行く体力もすっかり無くなってしまった。
正直、きついしたいへんだ。
でも、ここへ来たときのヘルパーさんの目は真剣そのもの。
”人”というものは、”与えられるもの”ではなく”育てるもの”だ。
だから、最初から焦っても仕方がない。
じっくりじっくり育っていけばいい。
育っていけば・・・。
でも、たまに「予習・復習をしてこないヘルパーさん」もいたりして、回を重ねる毎に以前より悪くなっているときもあり、そんな時はさすがにくじけそうになってしまい・・・。
いやいや、その時は、「僕が成長するチャンスだ。」と思って、「大人になれ!大人になれ!大人になれ!」と念仏のように唱えればいいことだ。
なんだか、「週1回勤務体制で従業員10名の”小さな会社の社長”」にでもなったような気持ちになり、「一瞬たりとも気が抜けない仕事(介護)」が終わったときは、いつもぐったり。
でも、そんな時は、テーブルに伏せながら、目をつむって、「ただいま!」と元気に帰ってくる子ども達の姿を思い描いて、一人でニヤニヤすることにしている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(6.27)
親と子の闘い
最近、我が家における”親と子の闘い”が激しさを増している。
お母さんが「オモチャはきちんと片付けなさい」と言うと、「お母さんなんか嫌い」と言って片づけようとしない。
その態度に腹を立てたお母さんは子どものお尻をピシャリ。
すると、子ども達は「痛いじゃないか!」と言ってお母さんの足をピシャリ。
そして、お母さんの「まだ子ども達には負けないわよ」というかけ声と共に泣き声混じりの激しい闘いが始まる。
そこで、僕が一計を講じてみることにした。
子ども達がオモチャを片づけない場合、「よし、いらないオモチャはオモチャ箱から出していていいよ」と言って、片づけていないオモチャは子ども達が寝た後にゴミ箱へポイ。
翌日、オモチャがゴミ箱に捨てられているのを見て、子ども達は「勝手に捨てるな!」と怒るが、それを無視して「今日も、いらないオモチャはオモチャ箱から出していていいよ」とだけ言う。
すると、「ちょっと待ってよ」といいながらオモチャを片づけるようになった。
こうして、我が家における”親と子の闘い”の1つに終止符が打たれた。
これに味を占めた僕は、その後もいくつかの”親と子の闘い”に終止符を打つとができた。
子ども達がなかなかご飯を食べない場合、「もう無理して食べなくていいよ。せっかく食後にデザートを用意していたけど、これも明日食べようね。」と言うと、「イヤだ。」と言ってご飯を食べるようになった。
また、「今使ったお皿を片づけてくれないと、明日、ご飯を載せるお皿がないんだ」と言うと、子ども達は台所までお皿を片づけるようになり、いつの間にか、何も言わなくても片づけてくれるようになった。
さらに、なかなか歯磨きをしないときには、「よし、明日からお菓子を食べないようにしよう。そうすると、虫歯になることもないから歯磨きをしないでもいいよ。」と言うと、子ども達は急いで洗面所に向かう。
子ども達は親が思っている以上に”損得勘定”ができるものだ。
だから、”親が言うこと”について、その理由を1つ1つ説明してあげると、子ども達もわかってくれる。
しかし、時々、妻に「あなたがしていることは単なる”おどし”よ」と言われ、”体当たりのシツケ”が始まることもある。
そして、結局、こんな会話が始まってしまう。
「お母さんなんか大嫌い!」
「お母さんも、”言うこと”を聞かない子ども達なんか嫌いです!」
そして、僕がそれを止めようとすると、決まってこんなことを言われる。
「お父さんも大嫌い!」
この言葉が結構きつい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(6.23)
公務員としての自覚
僕が仕事を休んでから今日でちょうど1年。
その月日と共に、僕の頭からは、徐々に”公務員としての自覚”が無くなっていった。
そんなある日のこと、1つの事件が僕の目に飛び込んできた。
それは、「県庁職員による4億円以上もの裏金づくりの発覚」
この裏金については、数年前から知事が把握していたことに加え、財政課や人事課を含む複数の部署が関与していたことから、連日、マスコミに大きく取り上げられることとなった。
「裏金問題」といえば、数年前、僕にもこんな小さな「裏金問題」があった。
それは、僕がとある海外事務所の予算案を作成する担当をしていたときのこと。
海外事務所の予算の額というものは、そのレート(為替)をどの数値にするかで予算額は大きく変わってくる。
そこで、「まずは過去の資料を参考にしよう」と勉強したところ、ここでは極端な「円安レート」が使われていて、毎年、為替差益によって多額の予算が余っていることが判明した。
その使途について、事務所に問い合わせたところ、「事務費などに使っている」とのこと。
この事務所のスタッフがまじめな方であることはよく知っていたので、余ったお金が全て県のために使われていたことは疑う余地はない。
しかし、だからといって、「これまでのレートを使用すること」を県民が納得してくれるとは思えなかった。
そこで、僕は、他の事務所のケースも調べるなどして、思いきって「通常のレート」を使って予算案を作成したところ、予算額の大幅な削減につながってしまった。
その予算案を見た事務所の職員は、驚いて僕の上司を通じて”元のレート”に戻すように依頼してきたが、その時、僕は「いままでのレートでは担当としての責任はとれない。よって、”上司の命令”でないと修正はできない」と腹をくくっていた。
その後、「私が責任を取る」という人は現れず、結局、その事務所の予算額は僕が算出したレートが使われることになった。
しかし、それからというもの、その事務所の職員が一時帰国した際の”慰労会”に僕が呼ばれることはおろか、挨拶さえしてくれなくなった。
「これまでの慣例を変える」ということが精神的にどれだけたいへんなことか、ということを改めて実感した。
さて、話は、また”裏金問題”に戻るが、知事は、この問題の解決策として、「全職員が応分の負担をして裏金に使われた額の一部を返還する」という方法を採用した。
要するに、「いろんな部署で”裏金”を作っていたので、もう悪いことをした人もしなかった人もみんなで責任を取りましょう」ということだ。
そして、その対象には、もちろん、病気で療養中の僕も含まれており、しばらくすると、負担金の通知が届いた。
その中を覗いてみると、「この負担金は強制ではないが、誰が振り込んだかわかるように、振り込みの際は”職員番号”も記入すること」と書いてあった。
その”甲斐”あってか、その1ヶ月後、知事はマスコミを通じて「95%以上の職員が返金に応じてくれた。この反省を活かし、今後に繋げていきたい。」と言われた。
確かにこの政策は”県民受け”は良かったかも知れないが、県庁には、裏金を作らずにまじめに会計処理をしていた部署もたくさんあったのに・・・。
そして、その中には、周りの職員に嫌われることを承知の上で、過去の”裏金作り”に異を唱えて改善してきた職員もいただろうに・・・。
確かに、この反省を活かし、今後、「周りに嫌われてもいいから正しいことをしよう」という職員は減っていくかもしれない。
そんな環境で、職員の皆さんは、これからも前例に捕らわれずに県民生活を向上させるための政策を考案することが、果たして、できるのだろうか?
あの名軍師と言われた「諸葛孔明」の「泣いて馬謖を斬る」というお話。
このお話を知事にお聞かせする人はいなかったのだろうか?
問題が起きたときは、大きく改善するための”ビッグチャンス”でもある。
その前提として必要不可欠なものは「原因の明確化」だ。
今回の問題の大きな原因の1つは「税金を扱っていることへの責任感が欠如し、かつ、県民よりも県職員に目が向いていた職員がいた」ということだ。
だったら、これを機に、責任感が欠如していた職員には大いに反省をしてもらうと共にその責任を自覚していた職員を誉めてあげれば、職員全体の志気は大いに高まってっいったであろうに・・・。
それを、あろうことか、”連帯責任”という「原因の不明確化」によって職員間の結束を強める政策を採ってしまうとは・・・。
考えれば考えるほど、早く元気な体になって、職場復帰したい。
ふと気が付くと、また、こんなことを考えていた。
まだ、僕の中の”公務員としての自覚”は無くなっていなかったようだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(6.17)
おまけの時間
今から約2年ほど前、会社で「使い物にならなくなった」という評価を受けたことをきっかけに、「最後に何か社会貢献をして死のう」と思ったことがあった。
そして、その時に行き着いた先が「ALS患者支援の会の設立」だった。
それからというもの、その”最後の貢献”のために懸命に奔走し、多くの仲間を見つけ、平成18年4月23日、ついにALS患者支援の会の設立総会を開催することができた。
その時、僕は心に決めていたことがあった。
それは、「会を創っただけでは意味がない。ここまで来たんだから後1年。あと1年、”設立1周年の総会”を迎えるまでは懸命に頑張ってみよう。そうすれば、この会の活動も軌道に乗るはず」、という思いだった。
そして、発病から6年半を迎えた今日、ついに、”設立1周年の総会”を開催することができた。
ふと振り返ってみると、僕の体は、一人で走り回っていた2年前とは大きく異なり、今では、車イスに座り、パソコンのキーボードも打てなくなっていた。
「こんな状態で何かをしようと思っても難しかっただろう・・・。やっぱり、2年前から頑張っていて良かった」
一緒に頑張ってくれた仲間への感謝の気持ちと共に、こんな思いが込み上げてきた。
結局、仲間からの「あなたはこの会の象徴なんだから」という言葉に押されて、もう一年”会長”という職に就くことにはなったが、もうこの会のためだけに時間を費やすことはないだろう。
やっぱり、これからは、子ども達のために、そして、”やり残しているもの”のために時間を費やしていくことに決めた。
「発病から3,4年で寝たきりになる」と言われ、その4年目以降の”おまけの時間”であったこの2年間。
自画自賛になってしまうが、少しは有意義に使えたような気がする。
しかし、まだ、”おまけの時間”は残っている。
でも、もう「死にたい」なんて思いはどこにもない。
それどころか、「その残された時間をもっともっと有意義に使いたい。」と考えている。
やっぱり、この2年間の”意義”はとても大きかったようだ。
こうして、僕の”将来設計”はさらに広がっていった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(6.5)
運の尽き
僕は、去年の7月に仕事に行けなくなってから、「クリックだけで仕事ができる”株取引”に転職しよう」と考え、最初はお小遣いの範囲で勉強し、利益が出始めると、調子に乗って、「子ども達の教育費を増やす」と妻を説得して、”これまでに貯めていた教育費”を資本金として、本格的な”株取引”を始めるようになった。
そして、最近になって、やっとこの仕事でも定期的な利益を出すことができるようになり、子ども達からの「お父さんはどうして仕事に行かないの?」という問いかけにも「お父さんはね、パソコンで仕事をしているんだよ」と言えるようになった。
そんなある日のこと、僕はいつものように、”自分で見つけた法則”に従って”株取引”を行うべく、午前中に株の”買い注文”を出した。
11時。
8人のヘルパーの方が”引継”のために我が家にやって来た。
これでもう1週間以上も研修が続いている。
いくら自分のためとはいえ、、毎回8人のヘルパーの介護の練習台になっていると、ヘトヘトになってしまう。
13時。
やっとヘルパーが帰る時間になり、ボ〜となりながらも、僕が買った銘柄の株価をパソコンで確認してみると、予想どおり上昇していた。
「この調子だと14時頃に売ればいい」
そう思った僕は、机にうつ伏せになって、少しだけ休憩を取ることにした。
しかし、これが”運の尽き”だった。
しばらくして、顔を上げて時計を見てみると、時刻は、なんと、15時15分。
「しまった!!この株の売買ができるのは15時までなのに・・・」
しかも、よく考えてみると、今回買った株の会社は、今日が決算発表日。
万が一、その決算の内容が悪ければ株価は暴落するが、逆に、運良く、その決算の内容が良ければ株価は沸騰する。
運が良ければ?
そう言えば、僕は極めて運がよくないので、これまで、利益は少なくても「確実な方法」で株取引をするように心がけていたのだった。
でも、今回ばかりは、もう祈るしかない。
神様、よろしくお願いします!
16時30分、ついに決算が発表された。
内容はもちろん”経常利益の大幅な下方修正”。
「やっぱりな」と、相変わらずの”運のなさ”を再認識しつつ、損失覚悟で”売り注文”を出した。
しかし、今回の”運の無さ”はハンパではなかった。
というのも、翌日の”売り注文”の総株数は、発行済み株式の20%を超えていたのだ。
これだけ大量の”売り注文”があると、「買おう」という投資家も「何かあるのでは?」と思い、恐くて”様子見”をしてしまうものだ。
そして、ついに、「バブル崩壊後は記憶にない」といわれる”6日連続ストップ安”を記録して、株価は一気に半値まで引き下げられた。
「なぜ、利益が減っただけで、倒産した企業以上に株価が下がるんだ?」
いくら探しても、明確な理由はわからなかい。
わからない以上”売り注文”は出せないのだが、僕は、資本金、つまり、子ども達のための貴重な教育費のほとんどを失ってしまうほどの”含み損”を出してしまった。
その後、勇気を出して、妻にその報告をすると、「ふ〜、やっぱりね。そうなると思っていたわ。これからはもうあなたのことは絶対信じないからね。」
当然のこととはいえ、ほんとうに心に響く一言だった。
そして、この時を境に、今までの苦労が吹き出してしまい、僕の髪の毛も白くなっていった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(6.4)
プレゼント
今日は娘の誕生日。
でも、実は昨日の日曜日に、おじいちゃんとおばあちゃんを呼んで、誕生日パーティーを開いて、その時に、もうお楽しみのプレゼント”キティちゃんのお化粧セット”を渡してしまっているので、今日のお楽しみは「蟹を食べたい」という期待に応えるための”夕食会”しか残っていない。
しかし、なぜか、娘のテンションは、昨日の”初化粧”の時よりも、今日、保育園から帰ってきた時の方が高かった。
娘は超ご機嫌で帰ってくる。
そして、「お父さーん、キスしてあげる」と言って、いきなり僕の膝の上に乗ってきて、チュッ!チュッ!チュッ!
最近、いつも、お母さんとケンカするたびに「お父さんなんか嫌い」と、娘のイライラの矛先が僕に向けられていたため、この娘の行動には、正直、驚いたが、その後に長男も「チュッ!チュッ!チュッ!」としてきたことから、すぐに「妻が子ども達に何か言ったに違いない」ということはわかった。
しかし、毎日”時間替わり”で来るヘルパーの研修の疲れから風邪をこじらせてしまったことで心身共に疲れ切っていた僕には”最高のプレゼント”となった。