(8.31)
アリと僕
最近、僕は、オリンピックの選手の気持ちになって、体を動かすようになった。
まずは椅子の「立ち」「座り」。
この時は「重量挙げ」の選手の気持ちになることにしている。
まずは、体を前に倒して、体重をつま先にかける。
それから、一気に体を起こして足に力を入れて椅子から立ち上がる。
タイミングがよいときは、一回で体がフワっと持ち上がるのだが、タイミングが悪いと、”ドスン”と椅子に逆戻りしてしまう。
何回トライしてもタイミングが合わないような調子が悪いとき、普通の選手ならば「今日は止めておこう」と思うかも知れないが、僕の場合、「練習を止めるとトイレに行けなくなる」という深刻な問題が出てくるため、そう簡単にあきらめるわけにはいかない。
しかも、失敗する度に、細くなっている首の筋肉に衝撃が走り、息苦しくなってくる。
ある意味、僕は、オリンピックの選手よりも必死に練習しているのではないだろうか?
続いての競技は「マラソン」。
つい3ヶ月前までは、家の近くを200m以上散歩していたのだが、今では、家の中を20分かけて「42.195m」歩くのが精一杯。
いつも、折り返し地点までは順調にいくのだが、そこから先は足が思うように上がらなくなり、バランスをとりながら歩かなければならなくなる。
そして、35m地点を越えると、頭がボーとしてきていつ倒れてもおかしくない状態になり、見守ってくれている人の緊張感も高まってくる。
そんな時、僕は、「歩かないと、歩けなくなるんだぞ!わかっているのか!」と自分に言い聞かせながら意識を保つようにしている。
残り、あと2m。
まさに、ゴールは”手を伸ばせば届く位置”にあるのに、もう足が上がらなくなり、ついに止まってしまった。
「もうダメか?」と思い、ふと、足元を見てみると、どこからともなく、”一匹のアリ”が後ろから現れて僕を追い越していった。
アリには負けたくない!
この思いが僕の闘志に火を付けた。
そして、僕を”ゴールの椅子”まで運んでくれた。
その後、アリを探してみたのだが、もうどこにもその姿は見あたらなかった。
もしかすると、あのアリは僕に「後少しだ!頑張れ!」というために現れた幻だったのだろうか?
そう思いながらも、僕は無情にも、妻に「殺虫剤をまいておいてね」とお願いしてしまった。
実は、僕は、大の”虫嫌い”だったのだ。
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(8.25)
花火大会
今日は花火大会の日。
僕は、ここ数年、きつくて花火を見に行っていなかったのだが、妻が「とっておきの場所を見つけたの」と言ってくれ、その気持ちが嬉しくなって、急遽、僕も見に行くことにした。
早めに夕食を採り、お風呂に入って、さあ、”とっておきの場所”へ出発だ!
会場に行く途中、コンビニに寄って”パピコ”というアイスを買い、車の中で子ども達と「チュッチュッチュブリラチュブリララ〜」と歌っていると、「ドカ〜ン!」という花火の音が辺り一面に響き渡った。
あ!花火大会が始まってしまった!
大急ぎで”とっておきの場所”に行くと、先客がたくさんいて、しかも、警備員が車の誘導をしていた。
どうやら、ここは、地元では有名な”花火の特等席”だったようだ。
幸い、花火を見学できる場所はたっぷり残っていたので、ゆっくり、「体に響き渡る音」を楽しみながら花火を見ることができた。
この場所を見つけてくれた妻には「感謝、感謝」である。
一方、子ども達はというと、花火の大きな音に驚くかと思いきや、なんと、5分もしないうちに”大パノラマの花火”に飽きてしまい、近くに捨てられていたペットボトルを拾ってきてサッカーをやりはじめた。
そして、車に乗って帰路につくや否や「あ〜つまらなかった」と一言。
どうやら、6歳と4際の子ども達にとっては、まだ、”花火大会の花火”よりも、3日前に家の前でした”200円の花火”の方が全然楽しかったようだ。
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(8.20)
長男の反抗期
小さい家の小さな我が家に「大きな問題」が起こった。
それは、”子どもの反抗期”。
これまで、優しくていい子だった長男が、急に、「いや!」「どうして僕がしないといけないんだよ!」と反抗的な言葉を言うようになったかと思えば、何を言っても無視したり、妹のオモチャを取り上げたりと、なかなか激しい”反抗期ぶり”を披露してくれるようになったのだ。
これに対し、両親は戸惑い、最初は「甘やかしたセイ?」と思って長男に厳しく接してみたが、長男の反抗的な態度はますますエスカレートするばかり。
そこで、夫婦で話し合い、「これから1週間は、今までとは逆に、どんなことがあっても怒らず、家族の悪口も言わない」ということにチャレンジしてみることにした。
その話し合いから3時間後。
いきなり、「いつまでお母さんの話を無視してるの!お母さんは”早くお風呂に入りなさい”って言っているでしょ!」という妻の怒鳴り声が家中に響き渡った。
たった3時間で”チャレンジ”に失敗するなんて、お前は相変わらず根気がないな・・・。
ん?
もし、こんなこと口に出してしまうと、僕も”妻の悪口を言った”ということになって”チャレンジ失敗”になるかも?
ここで、僕が脱落してしまうと、この家族は崩壊してしまうかも知れない!この家族の未来は僕の頑張りにかかっているのだ!
そう思って、言葉を飲み込んだ。
それからというもの、僕は、長男が反抗的なことを言ってきても、「この子はもう一人前の大人なんだ」と考え、その都度、「子どもと親の主張の妥協点」を見つけるように努力し、妻にどんな嫌みを言われてもグッと我慢し続けていった。
そして、今日、やっと、約束から1週間目を迎えることができた。
そのことを妻に話すと「そんな約束なんか忘れたわ」とバッサリ。
しかし、妻も、いつの間にか、「いけません」の一本槍から子どもとの妥協点を考えるようになり、長男の態度も少しだけ変化してきたように思えた。
もしかすると、”お父さん”って家族がピンチになった時のためにいるのかも。
でも、もし、今日で僕がチャレンジを止めてしまったら、また、一週間前に逆戻りするかもしれない。
こうして、「家族からすっかり忘れ去られてしまったチャレンジ」の”僕限定の期間延長”が決まった。
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(8.14)
30代の絵
僕は学生時代、頻繁に”モダンアートの絵画展”に足を運んでは、「あ!この絵、ほしいなあ。値段は・・・、ゲッ!高い!とても買えないなあ」とため息をついて家に帰ったものだった。
しかし、公務員となった22歳の春、時間を見つけて絵画展に行った時、そこにいたスタッフに言われた言葉によって心を動かされてしまった。
「そうですか、公務員の方ですか。大丈夫。あなたならローンも組めますので、20代の記念に、思い切って、気に入った絵を買われてはいかがですか?」
”20代の記念”
それはまさに僕が考えていたことだった。
「そうですよね。20代の絵、30代の絵、40代の絵・・・。10年に一度くらいなら、こんな絵を買っても贅沢ではないですよね。」
よし!決めた!
今度、この地域で「以前から好きだった作家の絵画展」が開催されたら、”20代の絵”を買おう!
それからしばらくして、ついにその絵画展に足を運ぶ機会ができ、思い切って”お気に入りの絵”を購入した。
あれから10年以上が過ぎ、僕はもう36歳。
もちろん、部屋には、今でも”20代の絵”が飾られている。
しかし、それとは別に、”30代の絵”もいくつか飾られていた。
30代の絵。
それは二人の子ども達が描いてくれた”お父さんの似顔絵”だった。
”30代の絵”に比べると、あんなに高価に思えていた”20代の絵”がとても安っぽく見えてしまう。
何もかもができなくなっていき、僕の頭の中が真っ白になっていくのとは逆に、徐々に鮮明に見えてくる”子ども達の笑顔”。
その子ども達の心の中に写っている”お父さんの顔”は、時には笑ったり、そして、怒ったりしているけど、その絵を見ていると「もしかすると、僕は幸せなのかも知れない」とさえ感じることができる。
僕の”30代の絵”とは、そんな不思議な力を持った絵となった。
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(8.13)
注文の多い”お母さん”
お父さんは、毎日のように、子ども達にこんな注文を付ける。
「ご飯を食べたらお皿を下げること」
「お皿を下げたら、歯を磨くこと」
すると、子ども達は決まって「え〜」と言ってくる時のだが、そんな時は言い方を少し変えてみることにしている。
「明日のご飯を入れるお茶碗が無くなったら何も食べられなくなるから、明日もご飯を食べたい人は台所までお皿を持っていってお母さんに洗ってもらおうね。」
「お菓子を食べるから歯を磨かないと虫歯になってしまうんだ。だから、明日もお菓子を食べたい人だけ歯を磨いてくださいね。」
すると、子ども達は渋々動き出す。
しかし、毎日こんなことをねばり強く言っていると、子ども達は、自ら進んでお皿を下げて歯を磨くこともある。
そんな時は、「すごいなあ」「えらいなあ」と子ども達をおおいに誉めてあげることにしているのだが、すぐに「注文の多いお母さん」がやってきて、子ども達の”いい気持ち”を台無しにしてしまう。
注文その1
「歯を磨いたらパジャマを着なさい。」
この時点では、まだ、子ども達の気持ちは”青信号”のままで、「はーい」という元気いっぱいの返事をしてくる。
注文その2
「パジャマを着たらオモチャの片づけをしなさい。」
すると、子ども達の気持ちは”黄信号”に変わり、「・・・はーい」という暗い返事をする。
注文その3
「ついでに、明日の保育園の準備を自分たちでしなさい。」
この時点で子ども達の気持ちは”赤信号”に変わってしまい、「もうつかれた〜」という気持ちを態度で表すかのようにその場でゴロゴロし始めて、動きが完全に止まってしまう。
それを”洗濯物干し”から戻って見たお母さんは、「どうしてゴロゴロしてるの!」と頭ごなしに怒る。
一方、僕は、「子ども達の”頑張り”」を”お皿の片づけ”からずっと見ているものだから、思わず、「おまえな、まずは、今日の子ども達がとっても”いい子”だったことを誉めてあげなよ。そうしないと子ども達はグレちゃうぞ。」と妻を責めてしまう。
そして、恒例となってしまった”夫婦ケンカ”のスタート。
たしかに、”お母さん”をよく観察していると、一日中、本当に、忙しそうに家事をこなしているのだが、何をしているときでも、どうしても子ども達の様子が気になってしまうようで、「自分が忙しいから子ども達も忙しくさせていい?」とばかりに子ども達にいろんな”注文”を出してしまう。
しかし、大人と子どもでは”頑張れる力”が全然違う。
やっぱり、子ども達には「1つ頑張ったら1回誉めてあげる」ぐらいがちょうどいいのではないだろうか?
ただ、どんなに注文が多くても、子ども達は最後には「お母さ〜ん」と言って甘えてくる。
これが”お父さん”と”お母さん”の大きな違いだ。
それをあからさまに見せつけられたとき、僕は、少しだけ、「神様は不平等に人間を創った」と嘆きたくなる。
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(8.9)
3日に1回
最近、妻が「どうして、私が、あなたの申請書の”続柄”の欄に、”妻”って書かないといけないの?いつになったら”妻”って書かなくて済むの?」と言うようになった。
また、ちょっとした口論になると、妻は「もう今日はあなたを起こしたくないからそのまま寝てて。病院も行かなくていいわ」と言って、勝手に病院や送り迎えをしてくれる人に”キャンセル”の電話をする。
新たな”いじめ”?
従来の”食事介助の放棄”や”徹底した無視”に、こんな新しいメニューが加わり、ケンカの材料がバラエティに富んできた。
そこで、パソコンの横に置いてある”ニッコリVサイン”の「妻の写真」を見ながら、僕なりに反省することにしてみた。
すると、どうも、僕たちは、毎日ケンカをしているわけではなく、妻も”3日に1回”介護放棄をするだけで、残りの2日はきちんと僕のお世話をしてくれていることに気付いた。
だったら、僕が「きちんとしてくれる2日間」にもっと感謝をすれば、毎日、平和な日々を送ることができるのではないか?
しかし、現実的にはなかなかそううまくはいかない。
たとえ”3日に1回”だとしても、妻が僕を無視していると、今度はその姿を見ている子ども達がお母さんの真似をして話を無視するようになる。
そんな子ども達に対し、妻は「何を無視しているの!きちんとお母さんにお返事しなさい!」と言ってゴツンと叩く。
僕は、自分のことはなんとか我慢できても、かわいい我が子のこととなるととても耐えられず、思わず、「子ども達はおまえの真似をしているだけじゃないか。自分は無視してよくて子ども達はダメなのか?あんまりメチャクチャなことを子どもに教えるなよな。それに、どんなに腹が立っても子どもに手を出すな!」と言ってしまった。
すると、今度は、妻が、”子ども達に無視されたこと”への怒りの矛先を僕の方へ向けてくる。
こうなると、もう「きちんとしてくれる2日間への感謝」どころではなくなってしまい、子どもの前だろうが、見境無く口論となってしまう。
そして、いつも子ども達から「お父さん、もうケンカしないって約束したでしょ!」と注意されて、ハっと我に戻り、思わず、子ども達に「約束を破ってごめんなさい」と謝ってしまう。
ケンカの原因は子ども達なのに、その子ども達に注意されるお父さん。
なんだか情けない。
いったい、僕は、いつになったら、妻に「きちんとしてくれる2日間への感謝」を上手く伝えることができるのだろうか?
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(8.4)
甥っ子の訪問
今日、中学生になった甥っ子達が半年ぶりに僕の家の近くの実家に帰省して、我が家にも遊びに来ることになった。
彼らが小さい頃は、相撲やサッカーなど、僕は”一番若いおじさん”としてよく遊んでいたのだが、ここ数年、僕の病状が進行していくに従い、会話さえもなくなっていったから、僕のお見舞いについてきた時も、親に促されて入口の方で「こんにちは」と言った後は僕に近づこうとしなかった。
実は、僕も小さい頃、寝たきりのおじさんのお見舞いに行ったことがあるのだが、その時、僕は、親に挨拶をさせられた後は「早くその場を抜け出したい」と思った記憶がある。
だから、彼らの気持ちはよく理解できるので、敢えて、僕も方からも声をかけることはしなかった。
しかし、帰る直前になって、なんと、甥っ子の方から僕に声をかけてきたのだ。
きっかけは、僕の横にあるパソコンから流れてくる”歌謡曲”だった。
「あ、この曲知ってる!ずっと前からほしかったんだけど、お小遣いが足りなくて買えないんだよな。」
「これはインターネットでダウンロードした曲だよ。」
僕の言葉がよくわからなかったのか、彼らは2,3歩僕に近づいてきた。
「え?インターネットでダウンロード?初めて聞いた方法だけど、それって安いの?」
また、甥っ子達が1歩、僕に近づいてきた。
「1曲200円ぐらいかな?でも、僕のパソコンに入っている曲で良かったら、CDに入れてあげてもいいよ。」
「え!おじさんはそんなことができるの?すっげー!」
「でも、せっかく学校でパソコンを勉強し始めたんだし、やり方を教えてあげるから自分たちでやってみなよ。」
「やるやる!!」
この瞬間、僕と甥っ子達との距離が一気に縮まった。
甥っ子達は、「我先に」と僕とパソコンの間の僅かなスペースに入り込んできて、僕の聞き取りにくい声を「もう一回教えて」と言って何度も聞き返してくる。
もう彼らの心の中には、どこにも「障害者との心の壁」はなかった。
そして、こんなことを言ってくれた。
「また、来てもいい?」
僕は、ニコっと笑ってその質問に答えた。
「また、おいで。」
この返事と共に、僕の中にある”障害者としての壁”も少し崩れたような気がした。
結局、今日も気持ちの良い一日だった。