(9.30)

すごいもの

 

もう、体力的にみても”患者さんの家への訪問”は無理だ。

そう思いながらも、今日もお見舞いに向かう車の中にいた。

 

そして、運転手は妻。

 

実は妻は、今まで僕といっしょにお見舞いに行ったことはなかった。

理由は「いちいちあなたの趣味につきあっている暇はない」から。

しかし、「僕の介助の仕方がわかっている人がいないと、もうお見舞いには行く気力が持てない」というと、ブツブツ言いながらも”僕の運転手”を引き受けてくれた。

そう、「あなたはただ甘えているだけなのよ!」と、ブツブツ言いながら・・・。

 

今回の訪問団は、遺族、医療関係者、妻、僕の4名。

1時間30分のドライブを経て、一行は何とか目的地のお家へ到着。

 

「ごめんくださ〜い」

この挨拶と共にお見舞いがスタートした。

 

その人は65歳。

45歳の時にご主人を病気で亡くされて以来、保育園の園長を務めながら女手1つで子ども達を全て社会人にまで育て上げたすごい人だった。

しかし、3年ほど前に病気を患ってしまい、去年の12月に呼吸器を付けることになり、声が出なくなってしまったそうだ。

だが、呼吸器官以外は全て僕より元気なようすで、食事も自分で食べているとのこと。

そんな彼女の目線が僕から離れない。

僕もその熱い視線に応えようと、なかなか出なくなってしまった声を腹筋をフルに使ってカバーしようとしているのだが、もう限界に近い。

彼女の前では辛い顔を見せたくなかったのに・・・。

 

もうだめだ!

 

そう思った瞬間、妻はそれを察知したかのように、話題を”子育て”に変えて、彼女の視線を奪ってくれた。

その後は、彼女と妻の会話も増え、僕が話す機会はあまり無くなり、彼女の「今日は元気をもらった」という言葉に僕たちも元気をもらうことができた。

 

やはり、妻がいると、他の人ではわからない”僕の気持ち”までわかってくれるのでとても助かる。

後日、この時に一緒にお見舞いに行ってくれた人から「あなた達夫婦はすごいですね」というメールが届いた。

それをみた妻は、思わず、「夫婦ですごい?この人はまだ何もわかってないわね」と漏らした。

確かに、僕に対する妻の力にはすごいものがあるが、それを言いきるとは・・・。

確かにすごいものがある。

 

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(9.29)

チョコボール紛争

僕は毎週金曜日に子ども達に”チョコボール”を1つずつ買ってあげることにしていて、子ども達はそれを1週間かけて、毎日、残っている”チョコボール”の数を数えながら大事に食べている。

 

そんなある日のこと、長男が妹に対し「僕の”チョコボール”が1個減っている!お兄ちゃんのを食べたな!」と言って怒りだした。

 

しかし、実は、その真犯人は”お母さん”だった。

 

慌てたお母さんは、長男に「お母さんね、お腹が空いてしまって思わず食べてしまったの。ごめんね。」

しかし、妻にとっては、これが”初犯”ではなかった。

妻は「お菓子は体に悪い」と言って、自分では一切お菓子を買わないのだが、小腹が空いてくると、お菓子箱にある僕や子ども達のお菓子を食べる”常習犯”だったのだ。

長男は、「またお母さんが食べたの?」とあきれ顔だったが、長男に疑われた娘からすると何だかスッキリせず、思わず、お兄ちゃんの”チョコボール”の箱をクシャっと握りつぶしてしまった。

ケンカではいつもお兄ちゃんに負けているのに・・・。

我が娘ながら、向こう気の強い子どもだ。

しかし、それを黙って見過ごすような”優しいお兄ちゃん”など我が家にいるはずもなく、長男も反撃に転じ、妹の”チョコボール”を力ずくで奪って食べてしまった。

その長男の「強引に”チョコボール”を奪う様子」に、お母さんもたまらず「どうして、そんな意地悪をするの!」と言って長男を叱ってしまった。

それを言われた長男も黙ってはいない。

「お母さんだって僕のお菓子をいつも食べてるくせに!どうして、そんな意地悪をするのさ!」

「お母さんは、”子ども達をいじめよう”と思って食べたわけではありませんから、”意地悪”ではありません!」

「勝手に食べてるのにどうしてさ!」

この議論に妻が勝てるわけもなく、結局、「意地悪をする子達にはお菓子はあげません!」と言って、強引に長男から”チョコボール”を取り上げてしまった。

 

「わざとする意地悪」と「わざとではない意地悪」

 

”意地悪”をした経緯はともかくとして、された人が”意地悪”と感じたら、それは明らかに”意地悪”だ。

だから、相手が”意地悪”と思った時点で、謝った方がよい。

 

こんなことを妻に言おうとしたが、それによって子ども達のご機嫌が良くなるわけでもない。

そこで、思いついた言葉がこれだ。

「よーし、また、お父さんが新しい”チョコボール”を買ってあげよう。」

しかし、この言葉に真っ先に反応したのは妻だった。

「そもそも、あなたが”チョコボール”を買ってくるからこんなことになるんじゃないの!もう”チョコボール”は買ってこないでちょうだい!」

 

カッチーン!

 

こうして、また、”夫婦ケンカ開始”のゴングが鳴らされた。

 

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(9.27)

登竜門を越えた人々

 

僕の介護は”身体介護”の中でも難しい分類に入るそうで、ヘルパー事業所では、「”あの人”の介護ができるヘルパーばどんな介護でもできる」というお墨付きがもらえるそうだ。

 

そして、新しい体勢での僕の介護が始まって4ヶ月。

ヘルパーさんの中には、少しずつではあるが、この登竜門を越える人たちが出てきた。

しかし、そんな彼らにとっても、”それまでの道のり”は決して平坦なものではなく、越えてなお悩んでいる人もいる。

そんなヘルパー達の憩いの場を創るべく、1人のヘルパーが中心となって、秘密裏に「”あの人”に負けずに頑張ろう会」を結成し、早速、その第一回目の会合が開かれた。

そして、その会合での会話はこんな感じだったそうだ。

 

「私、サービス提供の責任者なんだけど、実は今まで”身体介護”なんてしたことがなかったの。それなのに初めての人が”あの人”でしょ。もう何をしていいかわからなかったんだけど、”あの人”から”わからないなら他のヘルパーの介護を見学させてもらえ”って言われたのが悔しくて、思わず、涙が出てきたの。」

「わかる、わかる。私なんか、入浴介助しかしたことがないのに、上司に”風邪を引いたヘルパーの代わりに行ってくれ”って言われて、いきなり、通院の介助に4時間も入らされたことがあるけど、そのあまりの大変さに、帰り道に寄ったスーパーで30分ぐらい放心状態になってしまったわ。」

「僕なんて、ただ”男”だからということで、引継もなく、いきなり”4時間の通院”を毎週させられているんですよ!そして、毎回、”あの人”に、”お前の介護はなってない”って注意されて、最初の頃は、悔しくて、家に帰った後、泣いたこともありましたよ。」

「・・・、みんなたいへんだったのねえ。でも、私、”あの人”に紹介されたヘルパーの方の介護を見に行ったんだけど、そこで、自分の介護がいかに”自分本位”だったかがわかったわ。やっぱり、ヘルパーは”利用者本位”で仕事をしないといけないのよね。」

「私も、放心状態になった日から1週間ぐらいは立ち直れなかったけど、今では、”あの人”の2時間の介護なんて、”チョチョイのチョイ”って感じよ。」

「僕も、”あの人”の介護ができるようになってこの仕事に自信がついてきて、”ヘルパー1級”を取ることにしたんだけど、その研修で、先生に”あなたは介護の仕方がうまいわね”って言われたんですよ。今まで学校では誉められたことが無かったからうれしくて。やっぱり、”あの人”が言っていることって正しいんですよね。」

「”言っていること”はねえ。問題は、その”言い方”なのよねえ」

「そうよねえ。・・・、ところで、今、その”登竜門越え”をさせられている若手のヘルパーがいるの。知ってる?」

「ああ、知ってる。彼、”今まで誰にも怒られたことがない”って言ってたでしょ。だから、”あの人”の介護に行った日にいきなり怒られてしまって、”僕にはあの人の介護は無理です”って上司に言ったそうよ。でも、”あきらめるにはまだ早い”だって。ぜひ、頑張って欲しいわよね。」

「ほんと。私たちだって、いまだに”あの人”の介護に行くときは緊張するものねえ。」

「今度、彼に会ったら、”僕にだってできるんだから頑張れ!”って言おうかな。」

 

これらの話は、そのメンバーの一人が僕にポロッと口を滑らせてしまったことからわかったことだが、最初の感想は「僕っていったい・・・」だった。

そして、妻からも「あなたっていったい・・・」

 

僕は気を取り直して妻にこう言っってやった。

「お前もこの会合に参加して、”あの人”の苦労について話してきたら?」

すると、妻はこう答えた。

「そしたら、きっと、ものすごく”長い話”になるわよ。」

 

僕っていったい・・・。

 

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(9.23)

大きなガッツポーズ

今日は子ども達の運動会。

天気は快晴で「真夏日」を記録。

そんな猛暑の中、僕は朝9時から会場の体育館の中にいた。

 

9時になり、競技はスタート。

 

僕の遺伝子を継ぐ子ども達に”ふつうのかけっこ”に期待しても意味がない。

勝負は”障害物競走”だ。

 

11時。

 

ついに、”親子の障害物競走”が始まった。

実は去年、この競技で長男が「あわや1位か!?」と思ったゴール寸前で、妻が転倒してしまい2位になってしまった経緯がある。

だから、妻は長男から「今年は転ばないでよ!」ときつく注意をされていた。

 

まずは、娘と妻の”障害物競走”。

この時、妻は「軽く走ろう」と思っていたようだが、周りの人が勝手に転倒していき、なんと、あろうことか、1位でゴールしてしまったのだ。

 

そして、いよいよ長男との”障害物競走”。

見る方にも力が入ってしまう。

「位置について、よーい!ドン!」

長男と妻の出だしは好調で、最初の障害物を越えた段階では2位。

さらに、次の障害物を上手く乗り越えついに1位に浮上!

そして、最後の障害物へ。

このままいけば1位なのだが・・・。

しかし、妻も焦っているのか、なかなか最後の障害物をクリアすることができずに、他の親子に追いつかれてしまった。

 

また、去年と同じなのか?

 

胸がドキドキしてきた。

 

かろうじて妻が先に障害物を越えた!

しかし、、すぐ後ろを他の親子が追ってくる!

勝負は最後の直線にかかっていたが、1mぐらいの差でなんとか逃げ切って、最後まで1位を守り通すことができた。

 

体育館の中はただでさえ暑いのに、僕はかなりヒートアップしてしまった。

 

その後、いくつかの競技が終わり、ついに、この日の最後の競技、「リレー」の時間が来た。

このリレーの優勝チームには保育園から”優勝カップ”が授与される。

長男は、去年、この”優勝カップ”がどうしても欲しくて実力以上の力を出して1つ順番を上げたにもかかわらず、結果は3位に終わり、その後に行われた”整理体操”で僕と目が合ったときに、悔しさのあまり、その場で泣き崩れてしまった。

それから1年。

長男はリベンジに燃え、「今年は年長さんだから最後のチャンス。絶対”優勝カップ”をゲットしてやる!」と息巻いていた。

 

さあ、まずは”年少組”のリレーのスタート。

このクラスには、娘がいるのだが、彼女は”優勝カップ”には全く興味がなかった。

なのに、終わってみると、娘のいるチームのアンカーが1位でゴールテープを切っていた。

 

続いて、”年中・年長組”のリレーのスタート。

序盤、長男は黙ってリレーの様子を見守っている。

後でその理由を聞いてみたところ、「先生から”おしゃべりしているチームは優勝できませんよ”と言われたから」だったそうだ。

このレース。

練習の時は、何度やっても、青組が1位で、2位が赤組、そして、長男がいる黄色組は3位だった。

そして、今日も、第一走者では、青、赤、黄色の順番だった。

しかし、第二走者では、赤組がバトンを渡すのに戸惑ってしまい、その隙に、黄色組が赤組を追い越した。

その後、順位は、青、黄、赤と変わらず、青組はジワリジワリと黄色組との差を広げていく。

 

やはり、今年もダメか・・・、そう思ったとき、なんと、青組の走者が転倒してしまった。

しかし、2位との差はまだトラック半周もある。

だから、そのまま走れば良かったのだが、よっぽど痛かったのか、それとも悔しかったのか?

転んだ子はその場でしゃがみ込んでしまい、ついに周回遅れとなってしまった。

 

ついに黄色組がトップ!

 

それを懸命に追いかける赤組。

その差はわずか。

そんな中で長男へバトンが渡った。

一方、長男は、先に行われた”かけっこ”では最下位になった腕前。

 

どうか抜かれませんように!

僕は必死に祈った。

 

しかし、長男は赤組の走者との距離をグングン引き離していく。

その姿は、決して「足が遅い子」ではなく、「かっこよく走る子」の姿で、「本当に僕の子か?」と疑ってしまうほどだった。

そして、1位で次の走者にバトンを渡すと、その後は、順位に変動はなくリレーが終わった。

 

まさに、大興奮の5分間!

 

その後、”整理体操”で僕と目が合った長男は、大きくガッツポーズをした。

しかし、その横では、負けてしまった青組の子ども達が泣いている。

それはまるで”去年の長男”を見ているようでもあり、僕は素直に喜べなくなった。

 

”勝つ人”がいれば、必ず”負けた人”もいる。

そして、人は、勝ったり負けたりしながら成長していく。

ふと、気が付いてみると、僕は、泣いている子ども達に対し、心の中でこんなことを語りかけていた。

 

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(9.21)

僕が一番”嫌”なこと

 

妻が僕の腕を支えて歩いてくれるときに必ず言う言葉がある。

それは、「私に甘えないで速く歩いて!」だ。

僕はいつもこの言葉を耳元で言われるため、その度にグラッとしてしまう。

しかし、僕は別に妻に甘えるつもりはないし、足だって僕の方が長い。

だから、いつも、”妻を追い抜く気持ち”で必死に歩いているのだが、とても妻の歩くスピードにはついていけないのだ。

そして、結局、最後には、妻の引く力に引っ張られて前のめりの体勢になってしまい、「あ〜、もう重い!勝手に倒れるな!しっかり歩かないと手を離すわよ!」という”決めセリフ”を言われてしまう。

 

そんなある日の夜、僕はいつものように妻にブツブツ言われながらベッドに連れていってもらっていたのだが、どうも足が思うように動かずに、いつも以上に引きずられてしまった。

すると、妻はいつも以上にイライラした声で「この足をもっとしっかり動かせ!」といって僕の足を掴んだ。

 

そして、その瞬間、妻は絶句してしまった。

 

思いの外、僕の足の筋肉が無くなっていたことに驚いてしまったのだ。

 

「前はもっと大きかったのに・・・とても細いね。いったいいつから・・・。あなた、”毎日15分ぐらい一人で歩いている”って言ってたでしょ。だから、てっきり、病気の進行は止まっているものだと思って私・・・。」

 

それから無言の重たい時間が過ぎた。

その間、妻は僕の足を握ったまま離そうとしない。

 

僕も何も言わずに今の妻の気持ちを考えていた。

 

しばらくして、妻が口を開けた。

「今の私の気持ち、わかる?」

 

その声は少し震えていた。

 

「まあな。でも、俺が”しつこい性格”なのはお前が一番わかっているよな。」

「そうねえ。思えば、あなたのその性格のおかげで、私はずいぶんと辛い思いをしてきたわね。」

 

僕は妻にブツブツ言われるのは嫌だが、僕の病気のことで落ち込んでいる妻の顔を見るのはもっと嫌だ。

だから、「絶対に病気を治す」って心に誓って今まで頑張ってきたんだ。

 

「だったら心配するな。俺は何に対しても平等に”しつこい性格”なんだから。この病気にも必ず辛い思いをさせて”ギャフン”と言わせてやるから。そして、お前に迷惑をかけない程度には元気になってみせるから。」

「そうね・・・。」

 

そう言うと、妻はまた考え込んでしまった。

 

それから今日で1週間。

この間、妻の口からは一度も「私に甘えないで速く歩いて!」という言葉が出てくることはなかった。

 

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(9.14)

子どもとお風呂

 

子ども達だけでお風呂に入れるようになってから、もう1ヶ月以上が経過。

だから、僕は、「もうお父さんとお風呂に入ることもないだろうなあ」と思っていた。

そんなある日の夕方、いつものように保育園から帰ってきた子ども達をお風呂に向かわせようとしたところへ、ヘルパーさんが「今日はまだお父さんはお風呂に入っていないから子ども達が一番ね」と言った。

すると、急に娘が「え〜!お父さん、お風呂に入ってないの!だったら、お父さんといっしょにお風呂に入りたい!」と駄々をこねだした。

僕にとっては、正直、嬉しかったが、体力的にみても無理がある。

 

「わかった、わかった。今度、いっしょに入ろうね」とその場はごまかすことができたが、それからというもの、毎日のように娘は「ねえ、いつになったら一緒にお風呂に入るの?」と聞いてくる。

 

そもそも、娘から「いっしょにお風呂に入りたい」と言われて嬉しくないお父さんなんているはずがない。

 

僕は「1,2分だったら子ども達といっしょにお風呂に入れるかもしれない」と思い、覚悟を決めて、ヘルパーさんと入念な打ち合わせをして、ついに子ども達とお風呂に入る決心をした。

 

17時20分。

いつもより20分も遅れて送迎バスが家の前に到着した。

 

僕は「ついにその時は来た!」と思い、部屋に入ってきた子ども達に「今日、お父さんとお風呂に入りたい子は急いで準備をしてください」と言った。

子ども達は、最初、「え?ほんとに?」と疑っていたが、もう一度、「今日、お父さんとお風呂に入りたい子は急いで準備をしてください」と言うと、急いで洋服を脱いでお風呂に入っていった。

 

そんな光景を見ると、何だか嬉しくなってしまう。

 

子ども達がお風呂に入った後、僕はヘルパーさんに手伝ってもらいながら慎重に浴槽に入ろうとした。

この緊張する瞬間、そばで見ていた子ども達からは「気を付けて」「頑張って」という声援が聞こえてくる。

 

何とか、浴槽の中に座ることができるとヘルパーさんには外で待機してもらい、親子水入らずの時間となった。

娘は「これはお薬だから我慢してね」と言って冷たい水を僕の肩にかけ、長男は水鉄砲の水を僕にかけてくる。

そして、二人とも僕の一言一句に反応しては、キャッキャッ、キャッキャッとはしゃいでいる。

 

最初は1,2分の予定だったのが、気付いてみればもう15分も経っていた。

 

「はい、もう、上がろうか。」

 

そう言って、子ども達を先にお風呂から上がらせた。

すると、娘は外で待っていたヘルパーさんに「いまね、お父さんとお風呂に入ってきたの。すっごくたのしかったの!」と言ったそうだ。

後からそのことを聞いた僕は、オーバーヒートして夕食も取ることができなくなっていたことがうそのように元気が出てきた。

 

やっぱり、子どもってすごい!

 

改めてそう思った瞬間だった。

 

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(9.12)

大いなる”気休め”

 

僕が、医師からの「君の病気に対するリハビリの効果は”気休め”みたいなものだから、あんまり勧められないなあ」という言葉を胸に、リハビリ通いを始めてから6ヶ月。

僕はこんな疑問を抱いていた。

本当に、この病気にとって、リハビリとは単なる”気休め”なのだろうか?

そして、その疑問を解消すべく、病院にお願いして、「リハビリの前後における身体機能の測定」を行ってみることにした。

 

まずは、肺活量の測定から。

これは「胸郭介助」というリハビリを行い、その前後における肺活量の数値を測定した。

すると、リハビリの前後で、肺活量は1960mlから2120mlに「160ml増」となった。

ちなみに、6ヶ月前の数値は1850ml。

以前と検査方法が少し異なったため、”確実に”という言葉をつけることはできないが、まずは「病状が回復している」という”気休め”の結果にびっくりした。

また、”努力性肺活量”という「一気にどれだけの量をはき出せるか」の数値を測定してみると、リハビリの前後で、1620mlから2090mlへと「470mlの増加」となり、いっしょに測定した”ピークフロー”の数値も4000ml/sから4100ml/sの「100ml/s増」となった。

 

これらの結果は、全て、「徐々にに空気をはき出す力が弱っていく病気」を患った僕にとっては、大いに”気休め”となった。

 

続いて、身体能力を診るために、”10m歩行”のタイムの測定を行った。

これは、2回に分けて測定。

まずは1回目。

この日の測定は、「リハビリを受けた2日後」に行った。

そして、そのタイムは、リハビリの前後で、1分9秒から1分4秒へと「5秒短縮」した。

続いて、2回目の測定。

これは、「1週間、リハビリを全く受けない状態の後」に行った。

すると、リハビリの効果は、1分39秒から1分15秒と「24秒短縮」であった。

 

これによって、「リハビリをした後は何だか足が軽くなったような気がする」と感じていたことが、「単なる”感じ”だけではなかった」ということが証明された。

しかし、決して症状が改善したわけでは無く、その証拠に、「1週間後に測定した”リハビリ後の歩行タイム”」は、「1週間前に測定した”リハビリ前の歩行タイム”」よりも悪くなっていた。

つまり、この1週間の間で明らかに筋力は低下しているわけで、その低下の度合いは”リハビリの効果”を上回っており、冷静に考えてみると、医師の言うとおり、”リハビリの効果”など、あまり意味のない”気休め”みたいなものかもしれない。

 

しかし、僕は、その気休めの結果に、思わず、「よしっ!」と声を出して喜んだ。

 

肺活量が増えると、異物が呼吸器官に詰まったとしても「エヘン!オホン!」という咳払いの威力が増して九死に一生を得るチャンスだって増えるかも知れないし、お腹を下したとき、10m離れたトイレに24秒も早く行けるなんてとてもすばらしいことだ。

その場の”気休め”としては、”十分な効果”をもたらしてくれたことは確かだった。

 

 

気休め?

別に、”気休め”だったとしてもいいじゃないか!

リハビリだろうが何だろうが、その”気休め”が「奇跡を呼び起こす」ことだってあるかも知れないし、その可能性だって、「僕がこの病気を患う可能性と比べてどちらが高いか?」なんて、わかったものではない。

病気になる可能性も、病気が治る可能性も同じようなものだろう。

 

というわけで、僕は、この”大いなる気休めの結果”に対し、「前を向いて生きるための勇気をくれた」と、受け取ることにした。

 

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(9.9)

天使の寝顔

 

僕は、数年前に介護用のベッドを買って以来、ずっと一人で寝ている。

 

そんなある日のこと、「今日はどうも体調が良くないなあ」と思い、昼食を軽めに済ませてベッドに横になっていると、一人の少女がこっそりやってきた。

 

僕は、あいにく、壁の方を向いて横になっていたため、その少女の顔を見ることができなかった。

 

「どうしたの?」

その少女は僕の背中に向かって訪ねた。

「いや、な〜に、ちょっと眠くなっただけだよ」

僕は強がって見せたが、その少女は全てお見通しの様子。

「ヨシヨシしてあげるね」

彼女はそう言うと、僕の背中の前にちょこんと座って、”ヨシヨシ”をやり始めた。

 

その手のなんとも優しいこと。

僕は、そのあまりの気持ちよさに目をつむってしまった。

 

しかし、しばらくすると、その子の「”ヨシヨシ”する手」が少しずつ止まっていき、やがて、スヤスヤという寝息に変わった。

 

僕は、「背中で眠っている少女の顔を一目みたい」と強く思ったのだが、自分の力では寝返りをすることができない。

しかたがないので、その寝顔を頭の中で想像してみることにした。

 

そして、僕の想像は、「限りなく天使に近い寝顔」へと広がっていった。

 

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(9.7)

ヘルパーの登竜門

 

今日、僕にサービスを提供してくれているヘルパー事業所の責任者が、ヘルパーの近況を聞きにきた。

 

「最近のうちのヘルパーのサービスはどうですか?」

「みなさん、良くやってくれて助かっているのですが、一人だけ”自分の世界”を作っている人がいるんですよ。」

「もしかしてAさんでは?やっぱりね。あの人は事業所でも、ご飯を食べるときに車内に行ってしまって、他のスタッフとは口を利かないんですよね。」

 

ん?

”やっぱり”っていったい?

 

「実は、昨日も、あまりにも僕の介護の仕方を忘れてしまっていたので注意したら、”私は忙しいのであなたの介護の仕方を復習している時間はありません”って言われまして・・・」

「それはちょっといけないですね」

「そうでしょ。だから、”あなたは介護をすることにプライドはないのですか?”って聞いたら、”そんなことを言うのならば、もうあなたのところへはヘルパーは派遣しませんよ。そうなったらあなたはお風呂にも入れなくなるのですよ”って言い返されてしまったので、思わず、”君は事業所の責任者か!”って注意してしまいました・・・。」

「それもちょっといけないですね。もっともっと注意してあげてくださいね。」

 

ん?

そんな返事でいいのかなあ?

 

「・・・あのう、”もっと注意してあげて”って、そんなことをしても、彼女は大丈夫ですしょうか?」

「彼女はこれまであまり介護の経験を積んでこなかったので、ここで”あなた”という壁を乗り越えることができたら、彼女は、この先、どんな困難にぶち当たってもヘルパーとしてやっていけると思うのです。だから、もっと、教育してあげてくださいね。・・・、ところで、先週から来ているヘルパーはどんな感じです?」

 

ん?

”僕の壁”っていったいどういう意味?

 

「ああ、あの若いヘルパーさんですか?あの人、”いままでに身体介護はしたことがない”って言ってましたよ。それがいきなり”僕の介護”だったから、ちょっときつそうでしたね。」

「やっぱりね。先週、あなたの介護が終わった後、すぐに”僕にはこの人の介護は無理です”という電話があったんですよ。だから、”あなたはこれからもヘルパーという仕事を続けたいんでしょ!だったら彼を乗り越えてみなさい。そうすれば、この先、たくましいヘルパーとしてやっていけるから”って言ってやったんですよ。もう、まるで、”お母さん”になったみたいでしたよ。」

 

この人が”彼のお母さん”になったかどうかは別として、この話をずっとそばで聞いていた妻は、思わず、僕に向かって「あなたっていったい・・・」とつぶやいてしまった。

 

僕は、ただ、”自分がしてほしい介護”をお願いしているだけなのに、どうやら、この事業所のヘルパーにとっては「越えなければいけない”登竜門”」として位置づけられてしまっているようだった。

 

ほんと、僕っていったいどんな”利用者”なんだろう?

 

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(9.6)

時限爆弾

 

我が家には、時限爆弾が備わっていて、ある条件を満たすと、自動的に作動することになっている。

今日も朝から、チッチッチッと動き始めた。

しかし、子ども達はそれに気付かずに、朝食を食べないでオモチャで遊んでいる。

 

チッチッチッチッチッ。

 

時限爆弾の針の動くスピードが少し速くなったが、子ども達はまだそのことに気付かない。

それどころか、「今遊んでいるからご飯食べない。保育園にも行かない。もうあっちに行って!」という”針のスピードを加速させる呪文”を唱えてしまった。

 

チッチッチッチッチッチッチッチッチッ。

 

ようやく、針の音に気付いた子ども達は、急いで朝食が置いてあるテーブルに逃げ込もうとした!

が、しかし、その瞬間、ガシャーンという音と共に辺り一面を白い牛乳の花園にしてしまった。

 

万事休す。

子ども達は時限爆弾のスイッチを押してしまった!

 

「いいかげんにしなさい!」という怒鳴り声と共に時限爆弾が爆発!

 

子ども達は、この風圧によって、朝食もそこそこに歯ブラシが置いてある洗面所まで吹き飛ばされてしまった。

 

また、そこに居合わせていた他の住人もトイレまで飛ばされた後、「早く出てきなさいよ!」という余波に見舞われてしまった。

 

やっぱり、この時限爆弾の威力はすさまじい。

 

「子ども達にはもう少し時限爆弾の怖さを教えておくべきだった」と後悔した朝となった。

 

後悔先に立たず、、、、かな?

 

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(9.3)

アイスとケーキとブドウ

 

とある日の夕方、夕食を食べ終えた我が家にちょっとした問題が起こった。

 

それは、「食後のデザートに何を食べるか?」

 

妻は、「”賞味期限が迫っていたケーキとブドウ”を食べさせよう」と思い、それを子ども達に提案した。

賞味期限が切れかかっているとはいえ、妻の方から食後のデザートを”2つも提案してくる”なんて極めて珍しいことだ。

そんな”珍しい提案”に、娘はすぐに「うん」という返事。

一方、長男は、「え〜!今日は”アイスを食べる”って決めてたんだ。だから、アイスとケーキとブドウを食べようよ」と提案。

この予想外の長男の提案に少しムッときた妻は、「デザートに”3つ”は多すぎます!”2つ”までです!」と小さな攻撃を加えた。

 

しかし、さすがは僕の息子。

この程度の攻撃ではビクともしない。

 

「え〜!・・・、わかった!じゃあ、ブドウは明日食べることにしようっと。」

「何を言ってるの!アイスとケーキは一緒に食べてはいけないんです!」

「どうしてさ!・・・、しょうがないなあ。だったら、アイスとブドウの”2つ”にするよ。」

どうしても、長男から自分の思い通りの返事が戻ってこない妻は、ついに大きな攻撃を加えることにした。

「どうしても、アイスを食べたいのなら、ケーキとブドウは食べれません!」

しかし、長男はこの攻撃にも歯を食いしばって耐えた。

「いいよ。アイスだけでいいもん!」

 

こうして、二人の攻防は終わったかに見えたが、妻がわざとらしく娘に「このブドウ、おいしいね。お母さんの分を少し分けてあげるね」と言ったため、僕まで巻き込んだ闘いとなってしまった。

「よし!お父さんのブドウを長男に分けてあげよう」

すると、妻が間髪入れずにこう言ってきた。

「この子は、一度、”アイスだけでいい”と言ったんだから、ブドウは上げないでちょうだい!あなたは少し長男に甘すぎます!」

僕は、これまで、たとえ長男でも、理屈が通らないことには厳しく言ってきたつもりだ。

「オイオイ、お前の方が先に”デザートは2つまで”って言って、途中で勝手に変えたんだぞ。おまえこそ、少し”自分”を甘やかしすぎではないか?」

 

親だからといって、何でも”自分のルール”を作っていいわけはない。

 

子ども達には、親との話し合いを通じて”解決方法を見つける癖”を教えてあげないと、いつの日か、自分より力がない人に”自分のルール”で接するようになっていくのではないだろうか?

 

親は子どものお手本のはず。

 

・・・、でも、やっぱり、子ども達のためには、夫婦ケンカを無くす方が先かなあ?

 

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