(10.27)
行き着く先
昨日、今年初めての家族旅行に行った。
行き先は温泉旅館で、少し贅沢をして、”露天風呂付き客室”を予約。
しかし、”温泉”と言っても、妻一人では僕を浴槽に入れることができないため、僕は匂いを嗅ぐぐらいしかできないし、露天風呂付き客室といっても、シャワー浴しかできない僕にとっては、10月の夜風は少し寒かった。
だったら、なぜ、そんなとことに泊まったのか?
それは、大学時代の友人から「いっしょに温泉に行かないか?」と誘われたから。
僕は、もしかすると、家族を除くと、彼以外の人から温泉旅行に誘われても、2つ返事で「うん」とは言わないかもしれない。
というのも、そんな”彼”無くして、僕の大学生活を語ることはできないからだ。
当時、僕たちは、勉強、バイク、彼女、それに将来の夢など、海辺で夕日を見ながらいろんなことを語り合ったものだった。
そして、この日も、彼は、当時、描いていた「自分の会社を持つ」という”夢”に向かって、1歩1歩前に進んでいる話を聞かせてくれた。
一方、僕は、かつて描いていた「知事になってこの地域の人たちが1日1回笑顔がつくれる街を創る」という夢の続きではなく、「今、絵本を作ってるんだ」という話をしてしまった。
彼の”家族の生活まで賭けた夢”に比べ、僕は”趣味の範囲を超えない夢”。
こうやって比較すると、そのスケールの違いは歴然・・・。
何だか情けなくなってきた。
でも、”必死さ”でいうと、勝るとも劣らないし、僕の絵本を読んで、もし、笑顔をつくる人がいれば、僕の夢は全国規模で叶うことになる。
ん?
やっぱり、こんな比較は、止めておこう。
だって、行き着く先は「こんな病気になんかなっていなければ、僕だって・・・。」に決まっているのだから。
そんなことより、今は、そんな”行き着く先”のことなんか忘れて、1年ぶりに再び酒を酌み交わすことができた喜びと昔の思い出に浸ることにしよう。
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(10.24)
もう1つの講演
昨日、僕が講演した後、実は、”もう1つの講演”が開かれたそうだ。
そして、その講師は、10年以上もALSと闘っている僕の先輩だった。
彼は、病気を患うまでは、高校の教師をしていて、「ジョーズ先生」として生徒達に恐れられていたそうだ。
しかし、平成7年9月、55歳のとき発病。
そして、病状の悪化に伴い、36年間の教師生活に終止符を打ち、平成11年6月、気管切開をして人工呼吸器をつけ、息苦しさの解消と共に声を失ってしまった。
それからというもの、彼の奥様が1人で彼の看病を続けていたのだが、平成14年1月、看病の負担で身体を壊したため夫婦で入院生活を送ることになり、その後、奥様の病状は好転せずに平成17年10月他界。
一方、彼は今も入院生活を送っている。
そんな彼から、1通のメールが届いた。
タイトルは「また、教師に戻れました」だった。
僕は、このメールを読んで深く感じるものがあった。
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朝夕はだいぶ涼しくなりましたが、いかがお過ごしですか。
僕は久しぶりに教師に戻り、看護師の研修会の一環として、意志伝達の方法の講義を受け持ちました。
片手間でなく、きちんと1時間を確保して講義しました。
声が出ないので、パソコンの16文字を保存できる機能を活用し、事前に講義に必要な語句を入力しておいて、講義しました。
疲れたけど、楽しかった。
そして、以前にあったことのある受講生の看護師の感想文の中に「あなたは精神的に充実しているご様子」とあったのは、僕自身大変嬉しかった。
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彼の講演は、彼に更なる”生きる勇気”を与えただけでなく、講演を聴いた看護師さんの心に、そして、その看護師さん達がこれから関わっていく患者の皆さんの心へと、”生きる勇気”が広がっていくものになっていくに違いない。
そして、僕自身、彼からのメールを読んで、”生きる勇気”を分けてもらいました。
貴重な講演、本当にお疲れさまでした。
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(10.23)
真剣な眼差し
「もしかしたら、これが最後の講演になるかも知れない。」
そう思いながら、講演会場へ向かった。
また、「今日は妻が同行してくれるので、ここで倒れても悔いない」
そんな気持ちも少しあった。
今回、僕の話を聞いてくれる人は、6つの県から参加してくれた看護師さん。
そして、話す内容は「患者に対して”言ってほしいこと”と”言わないでほしいこと”」を含むいくつか。
やがて、講演の時間になった。
「まず、みなさんにお約束があります。それは、”この講演の間は鉛筆を持たないで欲しい”ということです。この講演が終わった後に皆さんの心に残ったこと、それが、今日、僕が伝えたいことですから。」
この”いつもの挨拶”と共に講演はスタートした。
講演といっても、僕の声は聞き取りにくくなっているから、まずは、”聞き取りやすくなる魔法”をかけておく必要がある。
そこで、疑似体験として、声を使わずに「この講演に期待すること」について隣の人と話し合い、その感想を発表してもらうことにした。
すると、参加者は口を揃えて「なかなか相手の言うことが理解できなかった」と言う。
僕は、「待ってました!」とばかりに、「この疑似体験よりは、僕の声は理解しやすいと思うので、最後までおつきあい下さい。」と言い、参加者に”聞き取りやすくなる魔法”をかけることに成功した。
そして、「今でこそこんな声ですが、1年半前はもう少し聞きやすかったんですよ。今日は、その証拠のDVDを持ってきたのでご覧下さい。」と言って、持参したDVDを放映してもらい、その間、僕は机に伏せて休憩。
DVDが終わると、少しだけ長い話をした。
「僕から参加者へ2つのお願いがあります。1つ目は、”ALS患者に言ってほしくないこと”についてです。それは、”もっと周りに感謝して”という言葉。ALS患者は、みなさんのお世話がないと生きていけないことはわかっています。しかし、それを言うと、”自分は周りに迷惑しかかけていない”と思ってしまう時もあり、その場合、"生きる勇気"が持てなくなってしまいます。ALS患者だって、誰かに感謝されたいんです。ALS患者だって、誰かに"生きる勇気"を上げたいんです。」
「2つ目は、”ALS患者に言ってほしいこと”です。それは、”もっとわがままを言って”という言葉。ALS患者は、ある時期、不安になってナースコールを頻繁に押すことがあります。でも、それは感情の表れ。"生きる勇気"の表れなのです。体が動かなくなった人が感情まで持てなくなったら、その人は"生きる勇気"が持てると思いますか?」
それから、質疑応答を繰り返し、最後にこんな言葉で締めくくった。
「僕はもう話をすることさえきつい状態です。その僕がここに来た理由はなんだと思いますか?」
何とか、無事に講演を終え、会場を見渡してみると、そこには、目を赤くした参加者の”真剣な眼差し”があった。
それを見て、僕は、「最後の講演を聞いてくれた人がこの看護師さん達で良かった。」
そう思い、目を細めながら、少しだけ遠くを眺めた。
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(10.21)
初志貫徹
今日は、僕と同じ病気と闘っている仲間の作品が展示されている”作品展”に行った。
彼女の作品は、大好きな野球選手へのエールや外出したときの想いを”五七五の俳句形式”で表現する、というもの。
一見、簡単そうに見えるが、呼吸器を付けているために声が出せずに、かつ、手足が動かせない状態で自分の想いを俳句に表現することはなかなかたいへんなことだ。
まず、最初に、家族や看護師の方に文字盤を使って、17個の文字を1つ1つ伝えていく。
そして、できた俳句を読み直して、修正したいところを文字盤を使って、また、家族や看護師の方に伝えていく。
文字盤を使った、この”伝言ゲーム”。
通常の”伝言ゲーム”と同様、なかなか「間違えずに伝えること」は難しい。
そして、根気が必要になる。
たとえば、参考になるかどうかわからないが、我が家では、僕の話を3回繰り返しても妻が理解してくれなかったときは、「もういい!」とか「ごめん、もうわからない」という投げやりな言葉が出てきてしまうくらいだ。
だから、相当な根気がないと、俳句のような微妙な表現の作品は作ることができない。
そこで、彼女の作品を眺めながらこんなことを考えてみた。
「これだけハンディキャップを持ちながらも懸命に作った作品を素材にしたカレンダーを作って、いろんな人に見てもらえたら、同じ病気と闘っている人へはもちろんのこと、心にハンディキャップを抱えている人にも、”生きる勇気”のお裾分けができるのではないか?」
実は、この考えはずいぶん前から持っていて、お見舞いに行く度に「今の想いを作品に表現してみてはいかが?」とは提案していたのだが、「1人で作るには、少し、たいへん」と思い、なかなか先に進めないでいた。
でも、「初志貫徹」という言葉もある。
よし!
今年中に作成できるかわからないが、ALS患者支援の会のスタッフに協力を依頼してみよう。
会のスタッフの「また、”いきなり提案”ですか!」「ほんと、あなたには困ったものです」と愚痴を言いながらも「今年中に間に合うかな?」「何部までだったら予算が足りるのかな?」と考えてくれている顔が目に浮かぶ。
さあ!
今年最後の大仕事。
”カレンダー作り”に向けて、がんばるぞ〜!
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(10.18)
人間の”嵯峨”
僕は、一日の生活の中で、いっぱい、気になることがある。
まずは着替え。
ヘルパーさんに着替えさせてもらうと、いつも洋服がきちんとズボンに入っていないことが気になってしまう。
見た目は問題ないそうなのだが、ベルトの当たりに洋服が身を寄せ合っていてムズムズムズ。
やっぱり、気になってしまう。
次に食事の介助。
ヘルパーさんの中には、僕にご飯を食べさせるとき、毎回こぼしてしまう人がいる。
「そんなの、拭けば済むことじゃないか」と思うかも知れないが、「さあ、食べよう」としたときに、口の中に入らずに顎の方にこぼれていくあの虚しさ。
そして、その後、ヘルパーさんは「もうこぼすまい」と緊張するあまり、「ハー、ハー、ハー」と言いながらスプーンと一緒に顔まで近づけてくるものだから、僕は、時々、ご飯と一緒に”ヘルパーさんの息”まで飲み込んでしまうことがあり、そのことが、やっぱり気になってしまう。
さらに入浴の時、僕はきつくてダラーンと首を下げていると、ヘルパーさんは目の前に見える後頭部ばかり洗い、鼻の中や耳の中までシャワーで”水洗い”してくれる時もある。
「本当は”生え際”の方がかゆいのに・・・。」
これも、やはり、気になってしまう。
こんな具合に、ヘルパーさんの介護には、気になってしまうことがいっぱい。
注意をし、その度にノートにも書いてはもらっているのだが、毎回ヘルパーが換わるため、次に来たときには、”以前注意されたこと”、それ自体を忘れているヘルパーさんもいる。
そんな時は、もうがっかりだ。
でも、その一方で、ヘルパーさん達の努力によって「気にならなくなったこと」だっていっぱいある。
いや、どちらかというと、「気にならなくなったこと」の方が多いくらいだ。
それだけ、「ヘルパーさんは頑張っている。」ということだ。
なのに、1つでも”気になること”が続けて起こると、何だか嫌な気分になる。
ん?
間違えた!
本当は、「10人のヘルパーさん達が頑張っても、たった1人でも頑張らないヘルパーさんがいると、何だか”介護されること”が嫌になってくる」だった。
頑張ってくれている10人のヘルパーの「気にならなくなったこと」に感謝しながらも、1人のヘルパーの「気になるところ」のことばっかり考えてしまう。
たくさんの”良いところ”よりも、たった1つの”悪いところ”に目がいってしまう。
これって、人間の”嵯峨”なんだろうか?
でも、僕は、この”嵯峨”のままでは終わりたくないなあ。
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(10.15)
成長のための闘い
僕のところに来てくれる若いヘルパーさんのお話。
彼は、若くしてヘルパー1級を取得し、その後に実務経験を積むために僕のところに来た。
そして、彼は一生懸命僕の介護をしてくれました。
しかし、それは、教科書に載っているとおりの介護であり、”僕が求めている介護”ではなかった。
そして、徐々に、僕と彼の心の溝は深まっていき、ついに、彼は「もうあなたの介護はできない。いや、そもそも僕にはヘルパーは向いてないんだ」と言い出した。
僕は「このままでは彼がつぶれてしまう」と思い、「僕の介護はやめてもいいけど、でも、利用者は僕のような人ばっかりではないのだから、僕だけを見て”ヘルパーは向いてない”なんて思う必要はないよ」と励ました。
その数日後、上司と共に「もう一度だけチャンスを下さい」とお願いに来た。
どうやら、僕の励ましに感動して「この人のヘルパーを続けたい」と思ったようだった。
僕は、「今日が最後」と思って、精一杯、よそ行きの服を着て”餞の言葉”を送ったつもりだったのに・・・。
でも、仕方がない。
「僕ももう一回り成長してみよう」という気持ちに切り替え、「”してあげたいサービス”ではなく”してほしいサービス”の提供に心がけること。自分本位ではなく”利用者本位”で行動すること」を条件に、もう一度だけ、彼のサービスを受けてみることにした。
自分本位ではなく”利用者本位”。
口で言うことは簡単だが、その本質を理解していない彼には具体的なやり方を教える必要があった。
そこで、何かをする前に、一度僕に聞くようにお願いした。
そして、徐々に質問の仕方を変えていく。
最初は「ご飯暖めていいですか?」、そして、慣れてきたら「ご飯暖めますね」という具合に。
しかし、ここで大きな落とし穴があった。
それは、ご飯を食べさせてもらっているときのこと。
彼は、誤って、ソースを僕のシャツにこぼしてしまった。
彼は”前掛け用のタオル”を僕に付けないでご飯を食べさせていたのだ。
上手く飲み込めない時には口から物をはき出すことがある僕にとってこのタオルは必需品であり、毎回付けるようにお願いしている。
「おい、何か着け忘れてないかい?」
「え?何も思いつきませんけど。」
「タオル。タオルが着いてないでしょ!」
「あ!しまった!」と慌て出す彼。
「あなたはどうしてそんなに良く忘れるの?」
「いや、あの、その・・・。僕は覚えていたんですけど、あなたが何も言わなかったから着けなかったんです。」
「ん?僕のせいだっていうのか?」
僕は高まっていく自分の感情を必死に押さえつけて話した。
「僕は覚えていたんです。本当なんです。」
彼は下手な言い訳を繰り返している。
「じゃあ聞くけど、僕が”タオル”って言ったとき、どうして、”しまった”って言ったの?」
「あ!・・・、すいませんでした。本当は忘れていました。」
「自分のミスをお客さんのせいにするとは・・・。おまえはバカか?もういい。あなたの顔は見たくない。もう、帰ってくれ!」
すると、彼は「待ってました!」とばかりに、スタスタと帰っていった。
残された僕は唖然とするばかり。
最近の若者っていったい・・・。
その後、彼の上司が来て、「すいませんでした。実は、彼は職場でも言い訳ばっかりするから、”いいわけ太郎”と呼ばれているのですが、いつもは反省しないのに、今回は大いに反省しています。そして、あなたの介護は続けたいと・・・。これを乗り越えれば彼は大きく変わると思います」とのこと。
こうして、僕とこのヘルパーさんとの”成長のための闘い”は、もう少しだけ続けられることになった。
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(10.12)
ヘルパーの賃金
先日、とあるヘルパー事業所から、「あなたの介護はヘルパーへの負担が大きいので、”重度訪問介護”から”身体介護”に変更してもらいたい。」という要望があった。
国の法律によると、1時間当たりの単価は、”重度訪問介護(または生活介護)”が2千円弱で”身体介護”は4千円を超える。
つまり、もし、この変更を受け入れたなら、事業所に支払う単価が2倍以上になり、家計への負担は大きくなる。
しかし、「これによって毎日頑張ってくれているヘルパーさん達の給料が増えるのなら仕方がない」という気持ちで、この提案を受け入れることにした。
それから2ヶ月経ったある日のこと。
一生懸命介護をしてくれていたヘルパーさんに「いつもありがとね。僕は何のお礼もできないけど、賃金は2倍にしてもらったからね。」と言った。
すると、ヘルパーさんは目を丸くして、「2倍?とんでもない。でも、おかげさまで、少し上がりましたよ。」
「ん?少しって?」
「これまで1,000円だった時給が1,300円になりました。」
ちょっと待ってくれ!
国も、「身体介護はヘルパーにとって”きつい仕事”だから」ということで、単価を2千円から4千円に増やし、利用者の負担も2倍に増えているのに、ヘルパーさんの時給が2倍に増えないとは、いったい、どういうことだ?
考えられることはただ1つ。
事業所が”ネコババ”している、ということだ。
ほとんどの事業所は、”生活介護”という「単価2千円の介護サービス」をメインにしていて、その2千円のうち、千円をヘルパーさんに支払い、残りの千円を”利益”として計上しているのが現状だ。
だったら、”身体介護”という「単価4千円の介護サービス」を提供する場合、その4千円のうち、3千円をヘルパーさんに支払い、残りの千円を事業所の儲けにしても何ら支障はないはずだ。
そこで、気心の知れているヘルパー事業所の所長にこの質問を投げかけてみたところ、こんな返事が返ってきた。
「確かにあなたの言うことは正しい。事業所にとって”身体介護”はボーナスみたいなものでおいしい話。しかし、この地域のヘルパーのほとんどが”高齢者を対象とした生活介護”しかやったことがないため、なかなか”身体介護”をしてくれるヘルパーがいないのも事実なんだ。」
「そりゃあ、時給がそんなに変わらないのなら、比較的楽な”生活介護”を選ぶに決まってるさ。だから、”身体介護をするヘルパーの時給は3千円”って言ってごらんよ。アッという間にヘルパーが集まるから。」
「いやいや、事業所の所長だって身体介護をしたことがない人が多いんだから、”事業所の収入”が変わらなければ、事業所だって楽な”生活介護”を選ぶよ。」
「だったら、事業所とヘルパーの両方に利益が出る”2千円ずつ”ってのはどうなの?」
「それも無理かな。”身体介護”をする場合、事業所はヘルパーを研修するわけだから”半分ずつでは割に合わない”って思うんだよ。」
「”研修”って・・・。それも、僕が賃金を払いながらしてもらってるんだけどな・・・。」
「そもそも、地方には、高齢化による”生活介護”のニーズは増えているけど、人口が少ないため、”身体介護”を必要とする利用者が少ないのも事実。」
人口が少ないから”身体介護”を必要とする利用者が少ないのか、それとも、地方の自治体の財政が苦しいからなかなか”身体介護”の認定をしないのか、はたまた、それ以外にも理由があるのか・・・?
でも、「この地域に”身体介護”をしたがるヘルパーが少ない理由」が少しだけ見えてきたような気がした。
僕の介護は”おいしい話”。
いつも頑張ってくれているヘルパーさんではなくて、事業所にとっての”おいしい話”。
僕は、また、つまらない事実を知ってしまった。
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(10.10)
お腹の鍋の音
昨日の夜のこと。
僕はいつものように、妻に支えられながらトイレに行った。
そして、自分の力ではズボンを下ろせなくなった僕の変わりに、妻がズボンを下ろしてくれていた。
その途中、「お母さ〜ん」という子どもの声。
妻は「ちょっと待っててね」と言って、僕のもとを離れていった。
妻は僕の介護よりも子どものことを優先して考えている。
それは仕方がないこと。
わかってはいるのだが、ズボンを途中まで下ろされたままでは、おしっこをすることも歩くこともできない。
おまけに、立った状態では声を出すこともできない。
それなのに、僕のことをすっかり忘れてしまった妻は、戻ってこないまま子ども達を寝かせに行ってしまった。
「あ!あいつ、僕のことを忘れてやがる!」
そう思いながらも何もできないまま、時間だけが過ぎていった。
そして、ついに我慢の限界が来た。
ジョジョ〜。
”温かいもの”がズボンに染みていき、やがて、僕の足を伝って床に溜まっていった。
何とも情けない姿だ。
どうして僕がこんな目に・・・。
しばらくして、妻がやってきた。
「ごめん、ごめん。子ども達を寝かせていたらいつの間にか寝てしまっていて・・・、あなた、何をしてるの!」
「・・・。」
先程も述べたが、僕は、立ったままでは何も話せない。
「何をボーとしてるのよ!早くズボンを脱いでよ!」と妻は言う。
しかし、先程も述べたが、僕は一人ではズボンを脱ぐことができない。
そんな僕の態度が”非協力的”に見えた妻は、ぞうきんで床を拭くと、怒ってサッサと寝てしまった。
僕は、つい先日も、妻に「速く歩いて!」と言って腕を思いっきり引っ張られて頭から転んだことがあったし、「口を拭いて」とお願いしたときも、妻はよそ見をしていて間違って僕の目を拭いたことがあったが、その時は「あなたは目が出過ぎ!もっと目を引っ込めておいてよ」と言われた。
でも、その後の「わざとしたわけではないのよ」という言葉で、僕はその全てを許してしまった。
しかし、今回は訳が違う。
待たされて、「自分ではできないこと」をするように言われ、そして、挙げ句の果てに寝られてしまった。
でも、今の状況は何とか打破しないと、足が踏ん張れずに倒れてしまうのも時間の問題となってしまう。
そこで、僕は足の裏が乾くのを待ってから、危険は承知の上でズボンを脱ぐことに挑戦!
ゆっくり、ゆっくり、慎重に、慎重に。
何度かスリルを味わいながらも、ズボンを脱ぎきることができ、トイレから脱出することに成功した。
すると、妻は、僕が廊下を歩いてくる音に気付き、急いで起きてきてぞうきんを僕の足下に投げつけて「部屋がくさくなるから足を拭いて」と言った。
しかし、僕はそれを無視。
妻の横を通ってベッドに横になった。
「どうして私ではなくてあなたが怒っているの?」と妻。
「・・・。」
僕は、ベッドに横になり、しゃべれるようになったが、無言を貫く。
今、僕のお腹は、「病気への恨み」と「妻の無神経な言葉への感情」を食材とした鍋がグツグツと煮えたぎっていた。
しかし、1時間もすると、何も履いていない状態によって冷たい空気にさらけ出されていた僕の”お腹の鍋”はすっかり冷えてしまい、今度は「キュルキュル」という音が鳴り始めた。
そして、それも我慢の限界。
「おしっこまみれになったのだから、もう、うんこまみれになってもいいじゃないか!」
一瞬、こんなことを考えてはみたものの、「できれば、”うんこまみれ”だけは避けたい」という思いがことのほか強く、妻に「お願いがあるんだけど・・・、トイレに連れて行ってくれないか?」と頼んでしまった。
我ながら、情けなかった。
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