(11.29)

あきらめた夕食

 

実は、僕は、妻に「毎週木曜日は家族で夕食をとりたい」とお願いしていた。

 

「あ!ずるい!お父さんのお肉の方が大きい!」

「そうか?だったら、1つあげよう。」

「え〜!ずるい!だったら、私にもちょうだい!」

 

こんな会話を交わしながら取る食事は、黙々とヘルパーさんと2人で食べる食事よりもはるかにおいしかったからだ。

 

しかし、今日は、僕の食事を介助してくれる妻のまぶたが今にも閉じてしまいそうな状態。

「うう、眠い・・・。」

この一言から、いつもとは違う会話へと発展していった。

 

「おまえはちょっと”寝過ぎ”じゃないのか?」

「なんですって!」

「毎日毎日、8時間も9時間も寝てるから、逆に眠気がとれないんだよ。」

「ああ、うるさい、うるさい。もう、あなたの食事の介助なんかしたくないわ!・・・、ねえ、子ども達。お母さんね、お父さんにご飯を食べさせたくないんだけどいいかな?」

 

この問いかけに子ども達はこう答えた。

「嫌なことはしない方がいいよ。」

 

僕も「そのとおり。嫌な介護はしない方がいい」と相づちを打った。

 

すると、妻は「そうよねえ。」と言って、僕への食事介助を止めて寝てしまった。

 

今日の僕の夕食は「スプーン3杯」。

ちなみに、ここ3週間、妻は何かと理由を付けて、僕の食事介助を途中で投げ出し、嫌な雰囲気での夕食が続いていた。

 

こんな環境は、子ども達にとって、決して、いいものではない。

それに、きちんと栄養をとらないと、僕の体にも良くない。

 

これは、もう、あきらめるしかない。

 

こうして、僕は、名残惜しみながらも、「木曜日もヘルパーさんとの2人で夕食をとること」を決断してしまった。

 

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(11.25)

理想の夫

 

最近、妻から”難しいお願い”ばかりされて困っている。

 

例えば、「忘れ物の予防」のためのお願い。

妻は僕に「最近、よく、携帯電話を仕事に持っていくのを忘れるんだけどどうしたらいいのかしら?」と相談し、「私が仕事に行く前に”携帯持った?”と確認してほしいんだけど。」とお願いしてきた。

 

その1日目

「おーい、携帯持ったか?」

「うん、持ってるよ。ありがとうね。」

我が家の天気は快晴。

朝から妻にお礼を言われるなんて・・・、なかなかすがすがしい朝を迎えることができた。

明日も頑張ろうっと。

 

2日目。

「おーい、携帯持ったか?」

「持ってるわよ!」

我が家の天気は朝からドンヨリと曇り気味。

昨日と同じ言い方をしたのがまずかったのかな?

よし!明日はもう少し明るい感じで言ってみようっと。

 

3日目。

「おーい、今日もお仕事頑張ってね!ところで、携帯持ってるかな〜?」

「毎日毎日うるさいわね!ちゃんと持ってるでしょ!そんな”確認”は、私が携帯を忘れそうになったときにしてちょうだい!」

「・・・。」

我が家に突風が吹き荒れ、”僕の妻への思い”も吹き飛ばしてしまった。

 

4日目。

「・・・。」

また、確認したら怒られるかも・・・。

僕はそう思い、今日は何も言わないことにした。

 

すると、その日の夕方、妻から「今朝、どうして確認してくれなかったのよ!おかげで携帯を持っていくのを忘れてしまったじゃないのよ!」と怒られてしまった。

 

驚きである。

 

僕は、妻にとって”理想の夫”になりたいと思っているのだが、そのためには、どうやら「テレパシー」を身に着けないといけないようだ。

 

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(11.23)

重たい荷物

 

今日、ALS患者の家族の方が僕の妻に”夫の介護”の相談をしに我が家を訪れた。

 

「僕がいない方がよいのでは?」と聞いてみたが、「患者の目線からの意見も聞きたい」ということだったので、同席してみることにした。

 

そして、そばにいる僕のことなんか無視した2人の奥様方による”マシンガントーク”が始まった。

 

最初は、定番の「うちの夫なんか・・・」合戦。

この合戦は、双方の妻が「お互い、悪い男と結婚してしまったわねえ」ということを認め合ったために引き分け。

 

続いて、「介護の大変さ」についての現状報告。

これも「お互いに気が強い人と結婚してしまい、大変よねえ」という言葉と共に引き分けた。

 

しかし、このあと、僕の妻の発言によって状況が変わってきた。

 

「気が強い人って、”それを治す修行”のために病気になるのよねえ。」

「病気になるのに、”気が強い”とか”気が弱い”とかは関係ないと思うわよ。」

「いいや、病気になる人は、現世で修行をしたくて、生まれてくるときに自分から望んで病気を持ってくるのよ。」

 

この発言には、つい、僕も横やりを入れてしまった。

 

「それは違うだろ。病気になっていつまでも落ち込んでいてもしかたがないから、頑張って前を向いて生きようとしてるだけだよ。おまえは、”前を向いて生きてる人”しか見えてないだけだよ。」

「私もご主人の言っているとおりだと思うわ。」

「え〜?そうかなあ?うちの主人は、きっと、前世でわがままだったから、”今世で病気になって修行したい”と思って生まれてきたのよ。」

「そうかしら?私には、あなたのそのお話を怒らずに聞いてくれているご主人が立派に見えるけど。それによく前を向いて生きていると思うわ。」

 

ありがたいお言葉。

できれば、録音して毎日妻に聞かせてあげたいものだ。

 

「・・・、それに、実は、私、娘を癌で亡くしているの。だから、主人には前を向いて生きて欲しいのに、いつも”もう死にたい”って・・・。」

「・・・。」

 

彼女は目から涙を流し始め、僕と妻は言葉を失った。

 

「ご主人はどうして残酷な病気を患っているのにそんなに前を向いて生きることができるんですか?」

 

僕は、少し言葉を選びながら答えた。

 

「妻や子ども達の”悲しい顔”を見たくないからかなあ。それより、お子さんとの闘病生活、よく頑張りましたね。」

「朝、子ども達が学校に行った後に入院している子どものところに向かい、夕方、子ども達にご飯を食べさせたあとに病院に行き、明け方、朝食を作りにまた家に戻る。そんな生活でしたねえ。」

「その生活はどのくらい続いたんですか?」

「約9ヶ月かな。その間、ほとんど、寝てなかったけど、全然大丈夫だったのに・・・。もう、”年”なのかしら。今は、主人の介護をする体力がなくなって、一時的に入院してもらったんだけど、”もう今までのような在宅介護はできないみたい”って言ったら、”俺がどれだけ頑張って病気と闘っていると思っているんだ!そんな家族の面倒が看れないようなやつとは離婚だ”って言われてしまいました。」

「わかるわ。私も同じことを主人に言われたことがあるから。この人、”一番たいへんなのは自分だ”って思っているんだから!」

「ん?私も、”一番たいへんなのは本人”って思っていますよ。ALSは残酷な病気。それは、そばで見ているとよくわかるの。でも、これ以上の介護は、私が倒れてしまいそうでもうできないの。それなのに、”だったら、離婚だ”なんて。主人のことを考えると、本当に離婚した方がいいのかしら?」

「・・・。」

 

妻は、また、言葉を失ってしまった。

 

「そう言えば、我が家でも、僕が子ども達に週に一回お菓子を買ってあげていて”離婚騒動”になったような・・・?」

「そうなんです。この人、”まだお菓子は残ってる”っ言っているのに、毎週買ってくるんですよ。それが、ほんと、いやなんですよ。」

「週に一回ぐらいはいいと思いますけど。ご主人は、いつも、奥様や子ども達のことを気遣っていて、病気のことを出さないようにしていらっしゃるんですね。」

「・・・。」

妻は、またまた、言葉を失ってしまった。

 

そこで、今度は僕との会話。

「奥さんは患者の気持ちがよくわかってしまうようですね。だったら、今度、”わからないフリ”をしてみたらどうです?」

「”わからないフリ”ってどうやるんです?」

「それは簡単ですよ。奥さんが”妻”に戻って、介護はヘルパーさんに任せるんです。」

「”夫の介護は私がしなきゃ”って思っているでしょ?奥さんはたくさんの優しさを持っていて、それが重たくなって歩くのが疲れたのかも?その重たい”優しさの荷物”を少しだけ下ろしてみてはどうですか?」

 

この一言によって、この方に笑顔が戻ったことは良かったのだが、今度は、「私は優しくないの?」という顔で僕のことを見ている妻のことが気になり始めた。

 

やっぱり、僕は、この場にはいない方がよかったようだ。

 

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(11.15)

夢と現実の妻

昨日、また、ALS患者の方が亡くなられた。

彼女はシスターで、来月、僕がお見舞いに行くのを楽しみにしていたそうだ。

実は、このお見舞い、本当は今月の上旬に行く予定だったのだが、僕が風邪をこじらせてしまったために1ヶ月延期してもらったのだ。

 

彼女は、声は出にくくなったものの、まだ、鉛筆を持つことができ医師からも「元気ですね」と言われていたそうなので、突然の訃報の知らせに、一瞬、自分の耳を疑ってしまった。

 

彼女との「今度、お見舞いに来るときは、妻や子ども達も連れてくるね」という約束が、まさか、彼女の通夜の席で果たされることになるとは夢にも思わなかった。

 

ただ、周りのシスター達の顔に、涙ではなく「天に召されて良かったですね」という言葉と笑顔があったことは救いだった。

 

その夜。

僕は夢を見た。

 

それは、妻が最高に優しい笑顔で「大丈夫。あなたをまだ逝かせやしない」と言って僕を抱きしめてくれる夢だった。

たとえ、夢の中とはいえ、5年ぶりに妻を抱きしめることができたことに、僕は妻から”生きる勇気”をもらった。

 

そして、目が覚めてしまい、その余韻に浸っていると、急にトイレに行きたくなってきた。

「お〜い、トイレに行きたいんだけど。」

でも、熟睡している妻には僕の優しい声は届かない。

「おい!トイレに行きたいって言ってるだろ!早く起きろ!」

こういう言い方は、妻の心によく響く。

そして、すぐに返事が返ってきた。

 

「はあ?今何時だと思ってるのよ!明日にして!」

 

やはり、現実の世界では、まだ、”妻に優しくしてもらう時期”ではないようだ。

 

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(11.14)

トイレ事件

今日も、子ども達はいつものように保育園から帰り、いつものようにお風呂に入ってテレビを見ながらお母さんが帰ってくるのを待っていた。

そして、ほどなくお母さんが帰ってきてご飯を作り始め、家族団らんしながら夕食を終えた。

 

時刻は20時過ぎ。

 

まだ、寝るには少し早いような気がしたが、長男の「もう眠たい」の一言で、僕以外はお布団へ向かった。

 

しばらくして、「うんこしたくなった。」と言いながら起きてきた長男は、まっすぐトイレに向かった。

 

「ジャー!」

長男はいつものように水を流す。

 

「あ、あ〜、あ〜!!」

長男のいつもとは違う声がトイレから聞こえてきた。

 

「お母さ〜ん!トイレから水がこぼれてきたよ〜!」

 

その声を聞いたお母さんは、半分夢心地でトイレに向かった。

 

すると、そこは、辺り一面水浸し!

 

お母さんはいっぺんに目が覚めてしまい、長男に言った。

「あなた、今、何を流したの!お母さん、怒らないから正直に言いなさい。」

その声は明らかに怒っていた。

 

「何もしてないよ。うんこしただけだよ!」

「今だったらお母さん、怒らないから正直に言いなさい。」

 

その言葉に僕も切れた。

 

「おまえは長男がトイレに何かを流したのを見ていっているのか!」

「みてないけど・・・。でもそれ以外に何が考えられるのよ!」

「そんなこと知るか!」

 

すると、長男が「あ!わかった!きっと、妹が何か流したんだ!」と言って娘を起こしに行った。

 

僕は、家族の間での責任の押し付け合いをみるのはまっぴらごめんだ。

 

「もういいから、子ども達は寝なさい。」

 

僕はそう言って子ども達を寝かしつけたあと、妻に”トイレ屋さん”に電話をしてもらい、”詰まっていた物”を吸い取ってもらった。

 

そして、”トイレ屋さん”は言った。

 

「”詰まっていた物”、見ますか?」

僕は妻に「お前、何が詰まっていたのか知りたかったよな?」と言って見るように促したが、妻は低調にお断りしていた。

 

その後、トイレ屋さんからこんなアドバイスをもらった。

「水洗トイレの場合、おしっこをしたあとでもトイレットペーパーぺーを使用した場合、”大”ではなく”小”で流すと詰まることがよくあるから気を付けた方がいいですよ。」

 

我が家でこのような”節水”をしているのはたった一人。

 

でも、「それが原因だ」という確たる証拠もないので、「こんな話を聞いたから、うちも気を付けようね」という注意を喚起する程度で押さえることにした。

 

大事なことは、「誰が詰まらせたか?」ではなく、「これからどうやって詰まらせないようにするか?」だ。

 

こうして、この事件のおかげで、ぼくは、また、少しだけ成長できたような気持ちになった。

 

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(11.13)

最後の1割

 

人が生きていく場合、「”最後の1割”まできちんとできるか?」がとても大事だ。

 

「仕事がほとんど終わったから」と安心して、”最後の仕上げ”を忘れてしまう会社員。

こんな人は、その度に”信用”を無くしてしまう。

 

また、部屋の掃除を途中で止めてしまう主婦や主夫。

こんな人は、決まって、家のカギや財布を無くしてしまう。

 

人生、「9割も頑張ったのに」とか「最後は頑張ったのに」と言い訳しても、他人はなかなか認めてくれないものだ。

 

ところで、今日、1人のヘルパーさんからこんな相談を受けた。

 

「私は、この数ヶ月、あなたの介護に対し、頑張ってきたつもりなんですが、あなたは、私が一人でケアに入ることを認めてくれない。やっぱり、私はあなたに負担ばかりかけているのでしょうか?」

この質問に対し、僕はこう答えた。

「あなたは、最初は着替えの仕方もわからなかったのに、今では口腔ケアもある程度はできるようになった。ある程度はね。だから、あなたはこの数ヶ月で僕の介護が上手になったことは間違いない。でも、歩行介助の時は”ある程度”ではダメなんだ。実際、あなたは”何とかベッドの近くまで連れていくことができた”と安心して、僕の体勢が安定する前に力を抜いてしまい、その度に僕は倒れそうになり、それを他のヘルパーさんに助けてもらっている。このことは何度もあなたに注意しているのに、まだ、直っていない。それが理由です。」

「いつも気にしてはいるんですが、1つの介護が終わると、すぐ、”次の介護”のことを考える癖が付いてしまっているんですよね。」

「1つの介護が終わると?ん?”終わる前に”では?でも、僕は”根比べ”では負けるつもりはないので、あなたが頑張る限り、僕もねばり強く”期待”していきます。」

「そうですよね。お互い、”根比べ”ですよね。私もあなたに負けないぐらい頑張ります!」

 

こうして、このヘルパーさんの目に”やる気”が戻ってきた。

 

最後の1割。

 

この癖を直すことは、簡単そうに見えて、なかなか難しいもの。

 

でも、”もの”は考えよう。

 

この癖を直すことができれ、「9割の努力」が全て実を結ぶことになり、そうすれば、きっと、僕の生活も楽になるはず・・・だ!?

 

それに、今が僕の人生の”最後の1割”かも知れないのだから、もう少しだけがマンするのも悪くないだろう。

 

う〜ん、でも、本当は、こんな”根比べ”はやりたくないんだけどなあ・・・。

 

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(11.12)

懸命な努力

 

僕は、病気になってからも、なる前も、その立場立場で、「自分の意見」を発言するように心がけていた。

そして、その度に”僕の評論家”は増えていった。

 

例えば、高校時代。

数学の授業中、偏差値49の僕が「こんな解き方ではダメなんですか?」と教科書には載ってないような解き方を聞いても、「そんな解き方では伸びないぞ」と言われ、それでも頑張って”自分の理屈”を追求しているうちに、いつの間にか、数学の成績が学年で1番になっていた。

 

続いて大学時代。

「よし!今から飲むぞ!」と言われれば例えテストの前日であっても飲まなければならない、という”寮生活”に嫌気がさして「学生の本分を忘れてしまっている寮からは出ていきます」というと、「そんな根性無しは社会では通じないぞ!」と言われ、その4年後、寮を出ていかなかった同期生達は全員留年してしまった。

 

そして、「大学院への進学を辞めて公務員を目指す!」と言った時は、親戚中から「お前の頭では試験に受かるはずがない」と言われた。

 

さらに、その試験に合格して、その後、企業誘致の担当になり、”これまでにない手法”を提案すると、今度は「そんな手法で企業を誘致できると思っているのか!このオナニズムが!自己満足のために仕事をするな!」という罵声と共に無視されるようになり、数ヶ月後、実際にその手法が成功すると、「お前を信じていた」という発言に変わった。

 

ついに、ALSを患ってしまい、「僕が”世界中で初めてALSを治した人”になるんだ!」と意気込んでいると、「もっと、病気のことを受け入れた方がいい」と言われた。

果たして、今度こそ、僕の評論家の意見は当たってしまうのか?

それとも、連勝記録を伸ばせるのか?

 

「3,4年で決着が付く」と言われてきたこの闘いももうすぐ8年目。

 

こうして、僕は、周りの意見に不安になる度に、それを振り払うための努力を懸命にしてきた。

 

小さな努力ではわからないけど、”懸命な努力”は僕を裏切らない。

 

しかし、努力すればするほど、評論家は増えていく。

それでも僕は前を向く。

それが今の僕である。

 

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(11.4)

スイートポテト

 

今日、妻は、朝から”町内の掃除”に行って疲れていた。

だから、仕方がないこと。

僕は、妻に「グイ」と腕を引っ張られた拍子に転んでしまった状態のまま、こう自分に言い聞かせていた。

 

「こうなった原因はなんだと思う?」

僕は床に強打した側頭部を動かせないまま、妻に聞いた。

「私がよそ見をしながらあなたの腕を引っ張ったからでしょ。」

ん?

いつもは言い訳ばかりしていた妻が素直に自分のミスを認めた。

だから、僕も「今度からは介護をするときにはよそ見しないでね」とだけお願いして、あとはもう何も言わないようにした。

 

それから、しばらく頭を動かさずに、「もう大丈夫だ」と確認できた後に起き上がり、椅子に座って安静にしていた。

 

そして、夕方になり、ご飯の準備ができた。

 

子ども達からご飯を食べ始め、僕は妻が落ち着いてからご飯を食べさせてもらうことにした。

すると、妻は子ども達と約束していた「ご飯を食べたらスイートポテトを作る」ということが気になってしまい、子ども達がご飯を食べ終わると、僕のことはほどほどに、子ども達といっしょにスイートポテトを作り始め、子ども達を見ながら僕の口に食べ物を入れ始めた。

 

ゴホッ!ゴホッ!

 

案の定、僕は食べ物をノドに詰まらせてしまった。

「ゴホッゴホッ。おまえなあ、朝、”介護をするときはよそ見しないでね”って言っただろ!そんなにスイートポテトが作りたいのなら、もう危ないからご飯が食べられないよ。」

 

すると、妻は「ごめんね」と言ってスイートポテト作りに本腰を入れ始めた。

 

というわけで、今日の僕の夕ご飯は”スプーン3杯”。

 

1週間風邪を引いている体には少し応えるが、実は、食欲もあまり無かった。

 

仕方がない。

薬だけでも飲んでおこうか?

「おーい、すまないが、風邪薬を飲ませてくれ。」

「あと少し待って。」

「・・・。」

 

それから、1時間後。

無事、スイートポテトを作り終えた妻が言った。

「ねえ、お薬だけでも飲んだ方がいいんじゃない?」

「そんなこと、お前の知ったことか!」

僕は精一杯強がって見せた。

 

 

 

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