(12.31)

僕との出会い

 

今年最後のお客様。

彼女は高校3年生で、「大学に合格したので、その報告に来た」とのこと。

 

彼女とは、高校受験の時に、「受かるか心配なんだって?な〜に、あなたなら大丈夫!得意科目で90点、苦手な科目で60点とれれば、絶対合格間違いなし!だから、この2科目だけに集中しなよ。あとの3科目は適当にね。ね!これで緊張する必要はなくなったでしょ!」とアドバイスしたっきり会っていなかった。

 

だから、3年ぶりの再会に、ちょっと、ドキドキ。

 

一方、彼女にとっては、この3年間、「病気の僕がわざわざ自宅まで励ましに来てくれたこと」が心に残っていたようだ。

 

そして、そのことがきっかけとなって、「将来は医療関係の仕事に就きたい」と思うようになり、高校3年の時、思い切って担任の先生に「実は医学部を受けたいんです。」と相談し、某大学の医学部に見事合格!

その受験の時に提出した論文の中で、「僕との出会い」、そして、「僕が患っている病気の治療を研究したいという想い」を訴えたのだそうだ。

 

僕との出会いが彼女の進むべき道に影響した。

 

僕は嬉しくなって、つい、こんなことを言ってしまった。

 

「あと10年。僕はあなたがこの病気の治療法を見つけてくれることを信じて、これから10年、頑張って生きていくよ。だから、10年後には僕を元気な体にしてね。」

 

高校を卒業してからの10年間はその人の人生を決定づけるくらい重要な時期。

だから、必死になって頑張って欲しい。

 

そう思って出た一言だったんだけど・・・、でも、高校生には、ちょっと、プレッシャーが大きかったかな?

 

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(12.28)

ぐしゃぐしゃな顔

僕には、お互いに”妻に対する愚痴”を言い合う仲間がいた。

そして、今日はその人のお見舞いに行く日だった。

 

朝8時30分。

 

プルルルル。

仕事場に向かっていた妻の携帯電話が鳴った。

 

「今日、お見舞いに来てもらうものの妻ですけど・・・。」

「あ、おはようございます。今日は、お邪魔しますね。」

 

この家族とは、妻同士も夫の愚痴を言い合うほど仲が良かった。

 

「実は、今朝、主人が亡くなりまして・・・。」

 

 

その後、彼の奥様が過労とショックで倒れてしまっため、僕たちは、急遽、予定を変更して、この奥様のお見舞いに行くことにした。

そして、通夜は、その翌日に行われた。

 

僕は、少し遅れて車いすで参列。

 

そして、お焼香を上げに前まで行ったとき、彼の奥様がやってきて僕の前でしゃがみ込み、下から僕の顔を見あげながら、ぐしゃぐしゃになった顔でこういった。

 

「ありがとね。今までありがとね。」

 

僕は、闘病仲間の死を「悲しい」とは思わずに「お疲れさま」と思うことにしている。

それは、「この病気と闘いながら生きること」の大変さが身にしみてわかっているからであり、「悲しい」と思うとこれから生きていくことがつらくなりそうだったから。

 

それなのに、いつのまにか、僕の顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。

 

「悲しくないはずなのに、なぜ?」

 

そう考えれば考えるほど、僕の顔はますますぐしゃぐしゃになっていき、ついに、もう何も考えられなくなった。

 

僕はこんなに”弱い人間”だったのか?

なんだか情けない。

 

「ちきしょう。ちきしょう。ちきしょう。ちきしょう。ちきしょう!」

 

いったい何が悔しいのかわからない。

わからないけど、やっぱり何かが悔しかった。

 

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(12.23)

長男へのお願い

 

昨日から甥っ子が我が家に泊まりに来ている。

僕の子ども達は、この甥っ子が大好きで、昨日も「まだあ?まだ来ないの?」と待ちわびていた。

 

その甥っ子ももう6歳で、来年には小学生。

遊び相手には、4歳の女の子よりも、やっぱり、同級生の長男の方がよさそうだ。

娘も頑張って「仲間に入ろう」とするのだが、なかなか難しい。

 

その様子を見かねた僕は、つい、長男を呼び寄せてこんなことを言ってしまった。

 

「あの女の子はお前の何だ?」

「いもうと!」

「そうだよな。たった一人の大切な妹だよな。」

「うん!」

「だったら、一緒に遊んであげてね。」

「うん!」

 

それからというもの、長男は妹に気を遣いながら3人で仲良く遊び始めた。

 

この長男へのお願い。

 

長男にとっては「周りへの配慮」の練習にもなって良かったのだが、娘にとって良かったのだろうか?

 

そんなことを考えていた僕のところへ、ふと、娘がやってきた。

 

「ねえ、お父さん。お父さんは、私を1人で抱っこできる?」

突然の質問に驚いたが、すぐに「もちろんだよ。」と大見得を張って答えた。

すると、娘は「ほんとう?」と言って僕のひざの上に乗ってきた。

そして、あろうことか、娘は僕の胸に自分の胸を合わせてきた。

 

これは夢か幻か。

 

僕は、妻に目配せをして、僕の手のひらを娘の背中に持っていくようにお願いした。

 

すると、娘は「お母さん、写真、写真。早く、早く。」

 

パシャ!

 

その音を確認した娘は、サッサと僕のヒザから下りてしまった。

 

その行動の素早さには少し驚いたが、でも、僕の胸には、まだ、娘の体重の余韻が残っていた。

 

少し早い娘からのクリスマスプレゼント。

 

もしかすると、”長男へのお願い”で一番得をしたのは僕だったのかもしれない。

 

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(12.19)

子どもみたいな親

 

 

「私は無理してまであなたの介護をする義務はないのよ!」

そう言って、妻は僕への食事介護を止めた。

 

実は、妻から「今日、一緒に食事したい?」と誘ってくれたことで、みんなで食事をすることになったのだが、早く食事を済ませた子ども達の「ジュース飲みたい」の一言から雰囲気は変わっていったのだった。

 

「今、ご飯を食べたばかりでしょ。それに、もう夜の8時だからジュースは明日にしましょうね。」

「え〜。せっかく、お父さんが買ってきてくれたのに〜。飲みたいよ〜。」

「ダメです!」

「まだ、歯磨きもしてないんだからいいでしょ〜。」

「しつこい!あんまりしつこく言うと、お母さん、怒るわよ。」

 

この言葉に、妻に食事介護をしてもらっていた僕は切れた。

 

「お前は、僕が買ってきた物に対して、どうして子ども達を脅すんだ?それに、”ダメダメ”って言うなといつもお願いしているだろ。毎回毎回感情的に子ども達を叱って、お前はバカか。・・・、子ども達も、もう遅いから、ジュースは少しだけにしておくんだよ。そして、飲んだ後はすぐに歯を磨くこと。」

「はーい!」

 

と、ここで、妻から冒頭の言葉が出てきた。

 

でも、僕は、もう、こんな言葉にも慣れてしまった。

 

「わかった。今日のおかず、おいしかった。ごちそうさま。」

そして、妻はお皿を片づけてしまった。

 

それを見ていた子ども達も、ジュースを飲みながらも気になっている様子だった。

 

「お父さん!お母さんに”バカ”って言ったらダメでしょ!お母さんに謝りなさい!」と説教する娘。

僕は、渋々「さっきはごめん」と妻に謝った。

そこで、今度は、長男がお母さんに「お父さん、謝ってるよ。お母さんもあんまり意地悪をしない方がいいよ。」

 

「・・・。」

 

お母さんの機嫌がまだ悪いことを察知した子ども達は、急いでジュースを飲んで歯磨きをしに行った。

 

それを見ていた僕は、思わず、「おまえも子どもみたいだな」と余計な一言を言ってしまった。

 

そんなことを言う僕もまた、子どもみたいだった。

 

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(12.15)

”自分本位”な挨拶

 

今日は、ALS患者会による”集い”の日。

 

今からちょうど1年半前、最初に”集い”を開催したときの参加者はたったの1名。

しかし、今日は、自己紹介をするのに1時間を要するほどの参加者の数。

この1年半の間で、”集い”を楽しみにしてくれている人が何倍にも増えた。

とてもうれしいことだ。

そして、その中には、以前訪問したときに「呼吸器を付けてしまったため、もう外出したくない」といっていた人や、奥様から「体力がなくなり在宅介護は限界」と言われて本人が納得しないまま入院することになってしまった人が夫婦揃って参加してくれている顔など、思いも寄らなかった人たちの顔もたくさんあり、僕の頭の中はパーと明るくなった。

 

実は、今日の”集い”は、年末でほとんどの役員が仕事で来れない上、寒い季節でもあったため「ALS患者やその家族の方達も参加しにくいのではないか?」という意見が多かった。

それを、ほぼ僕の想いだけで開催が決定したようなものだったので「他のスタッフには迷惑をかけられない」と思っていたのに、案内状の作成や発送作業など、みんな、忙しい時間を駆使して手伝ってくれ、開催にこぎ着けた。

 

僕は、もう手も足も、そして、口さえも動かなくなってきた。

しかし、何も出来なくなったわけではない。

たとえ少しでもいいから、出来ることを見つけて、それを懸命にやってみる。

すると、きっと、誰かが助けてくれる。

だから、決して、「もうダメだ」とあきらめないこと。

 

そう思いながら、”集い”の最後にこんなことを言った。

 

「今日参加されたALS患者の方の症状は、一人で歩ける人から寝たきりでまぶたしか動かせない人までいて様々ですが、みんな、病気と闘っている仲間なんです。だから、ここに来た人たちだけでも”もうだめだ”という言葉を”イイッコなし”に出来たらいいなあ、と思っています。そして、ご家族の皆様におかれましては、介護することの大変さは重々承知しながらも、”患者のわがままは生きる勇気の表れである”と思って頂けると、とても助かります。」

 

我ながら、”自分本意”の堅い挨拶になってしまった。

 

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(12.13)

満身創痍?

 

毎日している”散歩”の状況を見ていると、病気の進行の程度がよくわかる。

半年前までは、10分くらいで近所を約200m散歩していた。

それが今では、15分かけても室内を30m歩くので精一杯。

毎日毎日、「転ぶ恐怖」と闘いながら、震えるヒザにむち打って頑張ってきた結果がこれだ。

 

必死に頑張っても、記録が大幅に落ちていく現実。

 

周りのみんなは「ここまで頑張ったんだからまだ歩けるよ」と言ってくれるのだが、素直に「よし、頑張るぞ。」という気分にはなれない。

 

また、基礎体温は、36,5度から35,5度まで下がり、体重も65kgから46kgへ。

「頑張ってあれだけ食べているのにどうしてこんなに痩せているんだ?」と思いながら、骨密度を測定したら62,5%。

その場で「骨粗鬆症」の告知を受け、薬を服用することに。

 

さらに、血圧も、横になっていると「上が120,下が80」と正常なのだが、椅子に10分間座ってから測ると「上が160,下が110」に上昇し、脈拍も100を超える。

医師から「1日のほとんどの時間を椅子に座って過ごしているようだけど、本当は座っているのもかなりきついんでしょ?」と聞かれ、思わず、ニコっと苦笑い。

 

こんな風に、数値だけ並べてみると、なんだか”満身創痍”のような気がしてきた。

 

そんな中、「それでも”病気を治そう”と懸命に頑張っている僕って、子ども達からすると、”自慢のお父さん”に見えないかなあ?」という妄想にふけっている自分がいた。

 

歩けるのに歩かない。

座れるのに座らない。

僕は、そんなことを子ども達に教えたいわけではない。

 

「歩かない日」や「寝たきりの一日」が、とっても楽なことはわかっている。

だから、そんな”楽しみ”は明日にとっておこう。

 

僕は、こんなことを子ども達に教えたいんだ。

 

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(12.9)

最高の子ども達

 

今日は保育園の生活発表会。

 

子ども達は、1週間も前からお家でダンスのお稽古をしていた。

 

「ねえ、ねえ、お父さん。プリキュアの歌を歌って!」とせがまれて、何度、出ない声を無理矢理出して歌ったことか。

とても”歌”には聞こえない雑音だったにもかかわらず、娘は、お尻をフリフリさせて踊り出す。

それに釣られて、長男もお尻フリフリ踊り出す。

 

その姿の、まあ、なんと、かわいいことか!

 

しかし、30秒もしないうちに、”歌”のつけが回ってきて、僕はしばらく呼吸困難に陥ってしまうが、正直、「このまま死んでもいいかな。」と思うぐらい幸せな時間だった。

 

そして、発表会の当日。

 

保育園では、僕は”車いすのお父さん”として有名で、この日も一番前の真ん中の席を準備してくれていた。

 

かわいい衣装に着替えた子ども達の踊りを特等席で見る。

4時間にも及んだ発表会はアッという間に終わってしまった。

 

そして、園児達は最後に歌を歌って保護者のお迎えを待つことになっていて、僕の目の前では、子ども達が「かっこよかったぞ!」とお父さんに誉められながら抱っこしてもらっている姿ばかりが目に付いた。

しかし、僕は、子ども達を抱っこしてあげることが出来ないどころか、周りの声にかき消されて、僕の「お前達、かっこよかったぞ」という小さな声も届かない。

 

僕は、何とも言えない劣等感に見舞われた。

 

そこへ子ども達がやってきて、長男は僕の手をぎゅっと握りしめ、娘は僕のひざの上に乗って、電動車いすのレバーを握って「はい、行くよ。」と言った。

 

僕は、どうあがいても最高の父親には慣れそうもない。

 

しかし、僕には最高の子ども達がそばにいるんだ!

 

今日はやっぱり素敵な一日だった。

 

 

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(12.6)

家族の”ネタ”

 

今日、来てくれた訪問看護師からこんな話があった。

「先週、久しぶりにあなたを訪問した看護師が、事業所に戻った後、”とっても緊張したあ”って言っていましたよ。」

 

僕は、初めて訪問したり久しぶりに訪問してくれる看護師やヘルパーさんには、彼女たちが緊張しないでケアができるような雰囲気作りに心がけていたつもりだったので、この話には少し驚き、そして、1つの結論を出した。

どうやら、僕は、看護師やヘルパーさんとの会話の中心は”家族”や”彼女”のことであり、そのことをあまり話したがらない人とはなかなか話が弾まず、そんな場合には、やむを得ず、看護や介護などの仕事の話ばかりしてしまっていたようだ。

 

僕と看護師やヘルパーさんでは、趣味も違えば興味があるニュースも違う。

しかし、”子どもへの想い”や”恋愛への興味”には共通するものがある。

 

そう考えての試みなのだが、なかなかうまくはいかないものだ。

そもそも、僕は、別に”無言”でもいいのだが、そうすると、相手は緊張してしまい、その結果、失敗が増え、さらに緊張してしまう。

 

プライベートのことをお客さんに話す義務はないと思うが、”会話は気持ちの潤滑油”。

 

緊張をほぐすためにも、共通点が比較的多い”家族”のネタをいくつか準備しておくのも、ある程度は必要なのかも知れない。

 

でも、まあ、僕のようにあまりにも”ネタ”を話しすぎると、口が滑ってひっくり返ってしまい、後々に夫婦ケンカの”タネ”になる場合もあるから、十分に用心した方がよい!?

 

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