白玉屋新三郎を後にして、小川町へ。 砂川にかかる橋から、3号線方面を望む。 それにしても暑い暑い。 |
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伊勢屋跡。 江戸時代に、北島雪山という人が蕎麦を食べて、詩を残した場所らしい。 北島雪山さんを知らないので、何とも感想を言い難いが、この横に長い古い建物には、とても興味を惹かれた。 |
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左に曲がったら、洋館があった。 歯科医院として使用されていたそうだ。 江戸時代には、この地に関所が置かれたとのこと。 交通の要衝だったことが分かる。 |
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洋館・・・ 確かに・・・ 今は、何にも使われていないとのこと。 朽ちる前に、有効に活用してもらいたいところ。 |
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ちょうど曲がり角のところに洋館はある。 この景観は、実に不思議。 次の写真から続く街道沿いとは、好対照である。 このアンバランスさは、ここの魅力の一つと言える。 |
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洋館から妙音寺へと続く商店街。 かつての街道沿いである。 日差しが強く、ものすごく暑い。 空には、もくもくと入道雲が出ている。 |
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旧薩摩屋敷。 参勤交代のときに、薩摩藩の宿となったそうだ。 今は、金物屋さんになっている。 |
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郷土資料館を発見! 元々は、肥後銀行だったようだ。 歴史好きが、郷土資料館を無視して通り過ぎることは出来ない。 避暑も兼ねて、見学することにした。 |
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入館料は、無料。 館員の女性は、とても話すのが好きなようで、ずっと付いて説明をしてくれた。よく勉強されていて、とても詳しかった。 小川町は、長崎と関わりが深い。 この獅子舞も長崎から伝わったとのこと。 そういえば、長崎くんちの踊り町に「小川町」があり、そこの出し物も獅子舞である。 よく見ると、姿かたちもそっくり。 高い確率で、何らかのつながりがあることが予想される。 意外なところで、長崎との関係を知ったせいか、不思議と獅子頭がすごく可愛く見えてきた。 |
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八代市の妙見祭は亀蛇(ガメ)で有名だが、この小川町にもガメがいた。 このガメの頭は、かなり古いそうだ。 古さもあってか、顔が怖い。 そうらい亀、獅子舞などは、10月15日の小川阿蘇神社の秋の祭りで披露されるそうだ。 年々、見学客が少なくなっているらしい。 ぜひ見に行ってみよう。 |
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元寇の際の蒙古襲来絵詞で有名な竹崎季長は、小川町の生まれとのこと。 博多人形だという説明だったが、今にも動き出しそうで、かなり気持ち悪い。 大蔵経の版木で有名な鉄眼禅師の像もあった。 鉄眼も小川町の出身とのこと。 ちなみに、大学生の頃、京都宇治の万福寺の隣にある宝蔵院に収蔵されている鉄眼禅師の版木の実物を見たことがある。 ふと、そんなことを思い出した。 その他、高砂事件の資料などもあった。 なかなか興味深い資料館だった。 |
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郷土資料館を後にして、商店街を進む。 古い建物だと思って見ていたら、理容店だった。 中の設備もかなり古い。 味のある理容店だ。 |
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今まで歩いてきた道を振り返る。 もう見えないが、奥に洋館がある。 手前右の建物は、先ほどの利用店、その奥が資料館。 資料館の向かいが、旧薩摩屋敷の金物屋さん。 |
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風の館・塩屋。 明治39年に建てられた古民家を改装して、現在、まちづくりの拠点施設となっている。 この日は開いていなかった。 残念。 ギャラリー等として利用されるほか、予約したら料理も食べられるらしい。石釜で焼くピザ作り体験も出来るそうだ。 今度は、よく調べてから行ってみよう。 |
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至るところに、歴史案内がある。 これは、町の歴史が分かりやすくて非常に良い。 歴史の掘り起こしは、そこに住む人の地元に対する愛情や誇りを醸成する。 大事なことだ。 |
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虎? 寅さん? 不気味なオブジェだったので、つい撮影してしまった。 何かに使われるのだろうか・・・ |
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新麹屋。 江戸末期から明治初期に栄えた商家。 金融業から茶、反物、木蝋などの商売をしていたそうだ。 明治5年に建てられた。 |
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現在は、昔の生活の様子を展示している。 資料館で、新麹屋に連絡してもらったが、玄関から声をかけても誰も出てこなかった。 内部を見てみたかったが、小川町散策を進めるために、新麹屋を後にした。 残念。。。 次回の楽しみにとっておこう。 小川町散策(2)へ続く。 |