想いが届くまで   第一章





 悲しみを告げる鐘の音。

 突然の不幸があかねを襲った。
あかねの両親があかねをたったひとり残し、他界してしまったのだ。
幼いあかねには、なにが起こったのか、理解することなど到底無理な話。

「・・・・・・。」

 十字架の前に立ち、ひとり佇むあかねの姿は、皆の涙を誘った。

「まだ、むっつなんですってね。」
「まあ、かわいそうに。」

 喪服に身を包んだ大人たちは口々に、この悲劇に同情の声をあげた。



 しかし、ひと段落した頃、大人たちは誰があかねを引き取るかということで口論していた。
過酷な運命を背負わされた少女に同情こそはしても、皆、本心では引き取りたくない。
幼いとはいっても、すでに物心はついている。
今更、親代わりになろうとしても、なつかないことは目に見えていた。
その証拠に、葬儀の間中、あかねは親戚の誰にも、泣きついたりしなかった。
それに、両親のあかねへと残した財産は乏しく、
あかねが大人になるまでにかかる費用を考えると、それだけでは到底間に合わない。
皆、ああだこうだと、それぞれ口々に、自分たちの都合を言い合い、結論は出なかった。
そんな中、ひとりの男がすっと前に出てきて口を開いた。

「わしが、引き取ります。」

 名乗りをあげた彼は、あかねの父親と昔からの友人で、玄馬と言った。

「うちには、妻と、ちょうどあかねちゃんと同じ年の男の子がおります。
 ひとり育てるのも、ふたり育てるのも、そう変わりません。
 それに妻は、昔からずっと、女の子がほしいと言っておりましたので、皆さんに異存がなければ・・・。」

 異存もなにもと、ふたつ返事で、了承された。
その場で、養子縁組は組まれ、あかねは玄馬に引き取られることになった。

 この間中、あかねはまるで人形のように、うつろな目つきで椅子に座っていた。



 あかねと手をつなぎ、玄馬は自分の家へ向かうことにした。

「あかねちゃん、おじさんのこと覚えてる?」

「・・・ううん。」

「そうだよね、まだ・・・今よりずっと、ちっちゃかったからね。」

「おじさん、わたしのこと知ってるの?」

「ああ。あかねちゃんのお父さんもお母さんも、よく知ってるよ。」

「お友達だったのね。」

「うん。少し前まで、あかねちゃんの家に何度も遊びに行ったし、
 あかねちゃんも何度も、おじさんの家に遊びに来たりしてたんだよ。」

「そうなんだ。」

「ここ二、三年、ちっとも会えなかったけど・・・まさかこんな形で会うことになるなんて・・・。」

「おじさん? 泣いてるの?」

「・・・いやいや、すまないね。」

「ううん。」

「それでね、これから行く、おじさんの家で、あかねちゃんは暮らすんだよ。」

 玄馬は出来るだけ優しく、話した。

「・・・わたし、お家に帰りたい。」

「あかねちゃんのお家に帰りたくなったら、いつでも連れていくから、ね?」

「本当?」

「ああ。だから、今はおじさんの家に行こうね。」

「うん。」

 素直な態度のあかねにほっと胸を撫で下ろしながら、一緒に馬車に乗った。



「ただいま。」

 玄関でそう言うと、数人のメイドが出迎えに現れ、帽子やコートを受け取っていく。
そして、ゆっくりと、妻らしき女性が近づいてきた。

「おかえりなさい。」

「ただいま。」

 あかねはおどおどしながら、玄馬の足元から顔を出す。

「あらあら? そちらのかわいい子はどうしたのかしら? ひょっとして、乱馬のガールフレンド?
 だけど、どこかで会ったことがあるような気がするわね。どこの子だったかしら・・・。」

「・・・すまんっ、のどか。」

 いきなり、玄馬は妻である、のどかに向かって頭を下げた。

「どうかなさったのですか?」

「じ、実は・・・。」

 と、親戚に疎まれていたあかねがあまりにも不憫に思え、ついその場の雰囲気で、
勝手に養女として迎えることを決めてしまったのだと、これまでのいきさつを話した。

 そうすると、のどかは高らかな笑い声をあげた。

「まあ。なんて素敵なことを!」

「へ? お、怒ってない?」

「怒るわけないじゃありませんか。」

「・・・本当に?」

「あかねちゃん、おばさんのこと覚えてる?」

 あかねの視線まで、屈んで問いかける。

「ううん・・・。」

「それもそうね。おばさんもあかねちゃんのことわからなかったくらいだもの。」

「おばさんも、お父さんとお母さんのお友達なの?」

「ええ。とっても仲良くさせていただいてたわ・・・。」

「・・・おばさんも泣いてる?」

「ごめんなさいね。あかねちゃんだって泣いてないのに、おかしいわね。」

「ううん。」

「あかねちゃんは、ずっと泣かなかったんだ。」

「まあ・・・そうなんですか。」

 幼いあかねにはまだなにが起こったか、理解できていないに違いなかった。
事実を受け入れきれてないから、泣かずにいるのだろう。
やがて、真実を知り、それを受け止めなければならなくなったとき、
その時、自分たちが支えになれれば・・・と、ふたりは強く思った。

「これから、ここがあかねちゃんの家になるの。わかる?」

 あかねは首をかしげてみせた。

「わたしのお家は、ちゃんと、あっちにあって、そこにお父さんとお母さんがいて、
 でも、いなくなっちゃって・・・でも、お家は、わたしのお家は・・・。」

「そうね。あかねちゃんのお家は、あっちにあるのね。」

「うん。」

「でも、あかねちゃんひとりで、そのお家にいれるかな?」

「・・・怖い。」

「そうね。ひとりだと怖いわね。」

「うん。」

「ここには、たくさんの人がいて、ここにいれば、怖くなんかないよね?」

「うん。怖くない。」

「あかねちゃんが、ひとりでいても怖くなくなるまで、ここがあかねちゃんのお家になるの。」

「ここが、わたしのお家。」

「そう。わかった?」

「ここが、わたしのお家。ここが・・・。」

 受け入れようと、何度もあかねは同じ言葉を繰り返した。

「本当に、勝手なことをしてすまなかった。」

「こんなかわいい子、放っておく方が問題です。
 あなたが、そんな人でなくてよかったと、私は嬉しく思います。」

「・・・そう言ってもらえると、わしもこうしてよかったと思えるよ。」

 きょろきょろとしながら、一生懸命、周りを見渡すあかねの姿を見つめながら、
ふたりは、不思議と幸せな気分に包まれた。



「あかねちゃんの身の回りの品は、とりあえず必要そうな物だけ、持ってこさせてある。
 それから、部屋なんだが・・・。」

「乱馬が遊ぶのに使っている部屋、あの部屋なら、日当たりもいいし。」

「そうだな。広さも充分だし。早速、新しいベッドを用意させよう。」

「それじゃあ、すぐに掃除と・・・カーテンも新しいものに、
 とびっきりかわいらしいのを用意しましょう。」

「そういえば、乱馬はどうしておるのだ?」

「多分、部屋で遊んでいるんじゃないかしら。」

「あの子は大丈夫だろうか・・・あかねちゃんのこと疎んだりしないだろうか。」

「きっと大丈夫です。わからなければ、よく言って聞かせればいいのですから。」

 乱馬には、私たちがいる。けれど、あかねには、いない。
その分、余計に愛情を注がなければならないように思えた。

「乱馬。」

 扉を開くと、そこに乱馬の姿はない。

「どうやら、外に遊びに行っているみたいね。」

「それなら話は早い。さっさと、この部屋をあかねちゃんの部屋に変えてしまおう。」

「ええ。」

 使用人すべてが呼ばれ、隅々まで掃除され、すぐさま取り寄せられた、
綺麗な縁取りのしてあるベッドが置かれた。
それとお揃いの縁取りのされた、クローゼットと鏡台も用意されており、
次々に配置されていく。
あっという間にがらんとしていて、ソファーくらいしかなかった部屋が、
かわいらしい小さな女の子にふさわしい、そんな部屋になっていた。




 その頃、あかねは居間でひとり、持ってきていた、人形と遊んでいた。

「ここ、あかねの新しいお家なの。今日から、おじさまと、おばさまと、それからえーっと・・・。」

 同じ年の男の子がいて、その子の名前は何だったかなと思い出そうとしていたとき、
乱暴に台所の方の扉が開かれた。

「腹減ったー、飯まだ?」

 そう言いながら現れたのは、どうやらその男の子のようだった。
外で遊んでいたらしく、顔は泥で少し汚れていて、怪我をしているのか、
まくられた袖から見える腕には包帯が巻いてあった。

「!!」

 突然、目の前に現れた少年にあかねは驚き、戸惑い、
思わず手にしていた人形を床に落としてしまった。

「お、おめー・・・誰だ?」

「あ・・・あ・・・。」

 話そうとしても、声が出ない。
それほどまでに、あかねは驚いていたのだった。

「人ん家でなにやってんだ?」

「・・・・・・。」

「しゃべれねぇのか? んー?」

「あ、あ・・・わ、わたし。」

 ずかずかとあかねに近づき、顔を近づける。

「なんだよ、言ってみろよ・・・。」

 突然、ばっと、少年はあかねから離れた。

「?」

「・・・・・・。」

「ど・・・どうか、した?」

「な、なんでもねぇっ。」

「顔・・・赤い?」

「なんでもねぇっつってんだろ。」

 そう言って、明らかに赤らんだ顔をごまかすようにごしごしっと擦る。

「お、おめー、なんなんだよ。」

「あ、あの・・・。」

「今日から、一緒に暮らすことになった、あかねちゃんだよ。」

 ちょうどそこへ、作業を終えたふたりが戻って来た。

「え。」

「何度か会ってるんだが・・・覚えてはおらんだろうな。
 ちょうどお前と同じ年だ。仲良くするんだぞ。」

「さあ、お腹すいたでしょう? 食事にしましょうね。」

 促されて、立ち上がったあかねは、乱馬を見つめる。

「あ、あの・・・仲良く、してね。」

 はにかんだような笑顔を向けられた乱馬は更に赤くなった。



 食堂に通され、あかねは乱馬の隣の席につく。
お祈りの最中も、乱馬はあかねのことが気になるのか、何度もあかねの方を見ていた。

「・・・それじゃあ、いただくとしよう。」

 そう、玄馬が言うが早いか、乱馬はがつがつと食べ始める。
それに引き換え、あかねは、「いただきます」と、言い、
スプーンを手に取り、ゆっくりとスープをすくい、口に入れた。

「やっぱり、女の子ね。お行儀がいいわ。」

「一緒に暮らすことで、乱馬にもこういう上品さが身につくとよいのだが。」

「本当に。」

 どんどん汚れ散らかしてゆく、乱馬の姿を見ながら、
ふたりはふぅっとため息をついた。






 食事が終わり、あかねは部屋に案内された

「ひらひら、かわいい。」

 窓辺にかけられたレースと刺繍の施されたカーテンに触れて、嬉しくなる。

 その時、乱暴に扉が開いた。

「え。」

「え?」

 何も知らない乱馬がそこにいた。

「・・・な、なんでここにいるんだよ。」

「ここ、わたしのお部屋だから。」

「違う。ここはおれの。」

 と言いかけて、あかねの表情がみるみる曇っていくのがわかった乱馬は慌てた。

「乱馬のお部屋だったの? わたし、乱馬のお部屋、取っちゃった?」

「い、いや・・・なんでもねぇ。」

「・・・・・・。」

 涙を必死にこらえているような、そんな顔をあかねはしている。

「ま、間違えた。おれの部屋、隣だった。わ、悪かったな。」

 再び、乱暴に扉は閉まった。



「な、なんでおれが謝んなきゃなんねぇんだよっ。」

 調子の狂った乱馬はぶつくさいいながら、自分の部屋へ向かうため廊下を歩いていた。

「乱馬。」

「ん? なんだ? 母ちゃん。」

「いい? ちゃんと聞いてね。」

 のどかは、ゆっくりと静かな声で、あかねの身に起こった不幸を乱馬に話して聞かせた。

「・・・あかねには、父ちゃんも母ちゃんもいねぇのか。」

「そうよ。だから、乱馬。あなたも、あかねちゃんのこと、決して悲しませたりしないように、
 寂しいなんて思わせないように、そばにいて、一緒に遊んでね。」

「わかった。」

「それから、部屋のことなんだけど。」

「いいよ、別に。おれ、あんまり家ん中じゃ遊ばねぇから。」

「わかってくれて、母さん、嬉しいわ。」

 少々乱暴だけど、決して間違った育て方はしていないと、このときのどかは確信した。

「それじゃあ、一緒にあかねちゃんのところに行って、おやすみなさいの挨拶、しましょうね。」

「・・・今?」

「ええ。」

 ついさっき、顔を合わせ、泣かせようとしてしまっていたので、乱馬は戸惑う。
それでものどかは、乱馬の手を引き、あかねの部屋の扉を叩いた。

「あかねちゃん、いる?」

「はーい。」

 中から、小さな声で返事が聞こえた。

「開けるわね。」

 そう言って、ゆっくりと扉を開く。
あかねは、ベッドに座って、お人形遊びをしていたようだった。

「この部屋、どう? 気に入ってくれたかしら?」

 こくんっと、頷き、嬉しそうに微笑む。

「そう。それならよかった。」

「・・・でも・・・。」

 のどかの後ろに隠れている乱馬の姿を見て、あかねは表情を曇らせる。

「どうかした?」

「ここ、乱馬のお部屋だったんでしょう?」

「違うって、さっき言っただろ。」

「・・・本当?」

「おれの部屋は、隣だ。」

「そうよ。乱馬の部屋は隣。ここは誰の部屋でもなかったの。空いていたのよ。」

「そうなの?」

「この子、よく、部屋を間違えるのね。だから、さっき、間違えて、
 あかねちゃんの部屋に入ってきちゃったのよ。」

「悪かったって、さっきも謝ったろ。」

「うん。」

 あかねはほっとしているようで、乱馬も同じようにほっとした。

「・・・今日は疲れたでしょう? ゆっくり休みなさいね。」

「うん。」

 あかねはベッドに入る。

「おやすみ、あかねちゃん。」

 のどかは、あかねの頬にやさしくキスをした。

「おやすみなさい。」

「ほら、乱馬も。」

「え。」

 背中をぐいっと押され、あかねに顔を近づける。

「お・・・おやすみ。」

「うん、おやすみなさい。」

 乱馬も母を真似て、そっとあかねの頬に一瞬、唇をあてた。







                                 =つづく=




呟 事

幼少期 終了

>>>そんなわけで、いきなり十年経ってるつづきへ

>>>やめときます