想いが届くまで 第二章 それから十年の月日が流れた。 乱馬はずっと胸の中に、あかねに対する秘めた想いを抱え続けていた。 友達が遊びにやって来ても、あかねには会わせないようにしたし、 あかねのことは、誰にも言わなかった。 誰かがあかねを好きになって、あかねもその誰かを好きになったりしたら嫌だったから。 あかねは乱馬が外に遊びに行こうとすると、ついてこようとしたが、 ひとりで遊ぶとき以外は、一緒に連れていかなかった。 その時あかねが悲しんでも、それでも、他の誰かにあかねのことを 見つけられたくなかった。 だけど、出来るだけ、寂しいなんて感じさせないように、あかねのそばにいた。 両親を亡くしたと知ったときは、まるで自分のことのように苦しかった。 おれには、両親がいる。でも、あかねにはいない。 一瞬でも、あかねにそのことを感じさせてはならないと思い、 あかねの前で、親に甘えるような真似はしなかった。 とは言っても、簡単に甘えさせてくれるような親ではなかったが。 両親があかねのことを、実の子である、おれ以上に、 かわいがってくれてる姿を見て、おれは嬉しかった。 あかねは、最初はあまり笑わなかったけど、段々とここの暮らしにも慣れ、 次第にこころを開いてくれた。 「乱馬。」 名前を呼ばれただけで、それだけで幸せな気持ちになれた。 初めて会った、あの時から、あかねにこころを奪われてしまっていた。 少しずつ大きくなって、あかねはどんどん綺麗になっていく。 何気ない会話をしていても、ちょっとした仕草にどぎまぎした。 あかねは多分・・・いや、全くおれの気持ちになど気が付いていない様子で、 それがもどかしくてたまらなかった。 だけど、あかねに気持ちを伝えても、 あかねはおれのこと、家族のひとりとしてしか、見てくれてはいないだろう。 そうなると、気まずくなってしまう可能性は高い。 この関係を壊せない。 進みたいけど、進めなかった。 そしていつの頃からか、あかねをさけるようになっていた。 微笑むあかねを見るほどに、どうしようもない気持ちが沸きあがってしまう。 そんな気持ちから逃げたくて、出来る限り、あかねには近づかないように、 口をきかないようにしていた。 「乱馬、起きて。」 「ん・・・ん。」 「乱馬ってば。」 「・・・ん?」 うっすら目を開けると、日の光に包まれた、少女の顔があった。 後ろで風を受けた白いカーテンが、その子の後ろで揺れていて、まるで羽のように見える。 「・・・天使?」 思わず、手を伸ばした。 「もう、なに寝ぼけてるの? 朝ご飯の用意出来てるわ。 おじさまもおばさまも、お待ちかねよ。早く、起きて。」 伸ばした手を掴まれ、ぐいと引かれると、上半身が起き上がった。 「・・・ん?・・・わぁっ!!」 「ど、どうかしたの?」 「ななな、なんであかねが。ばあさんはどうした?」 「え・・・あ、あのばあやさん、近頃腰の調子がよくないらしくって。 それで、わたしが代わりに。」 「そ、そもそも、なんでおめー、メイドの格好なんかっ。」 「昨日の晩御飯のとき言ったでしょ? わたしももう十六になったのだから、 そろそろ、この家にご恩返ししたいって。それで。」 「・・・・・・。」 そういえば、そんなこと言ってたっけ。 昨日はあかねの十六歳になった誕生日だった。 今まではなにもわからず、いいように甘えてきてしまったけれど、 これからは今まで受けた分を一生この家のために働いて返すとか、なんとか。 もちろん、親父もおふくろも大反対で、 今までどおり、いや、それ以上に甘えていいと言ったのだが、 あかねは自ら、長かった髪を切り、メイドの服に身を包んだ。 「乱馬付きだから、なんでも言ってね?」 「え・・・。」 あかねはてきぱきと乱馬の着る服を見繕い、ベッドの上に並べていく。 「わたしが着せた方がいいのかな?」 思わず、うんっと頷きそうになったが、慌てて上着を手に取った。 「い、いい。自分で着る。おめーは外に出てろ。」 「どうして?」 「着替えるからだろ。」 「なによ、今更。ちっちゃいときは、一緒にお風呂にだって・・・。」 「いいから、早く出ろっ。」 「・・・わかったわよ。」 あかねは不服そうな顔をしながら、背中を向けた。 「これなら、いいでしょ?」 「こ、こっち見んなよ。」 「見ないわよ。」 ひったくるようにして、用意された服を手に取り、さっさと身に纏う。 「もういいぞ。」 「朝ご飯、出来てるから、食堂に急いでね。」 「ああ。」 あかねの横を通り抜け、おれは部屋を後にした。 いつもの席に座ると、同時にお祈りが始まる。 昨日までと違うのは、おれの隣の席が空いているということだった。 「・・・それじゃあ、いただきます。」 「いただきます。」 なんとなく、わかない食欲。 それは、親父たちも同じのようで、空いているあかねの席をじっと見つめていた。 「乱馬。」 「なんだよ。」 「あかねちゃんのことなんだが。」 「勝手にさせといたら、いいだろ。あかねがやりたいって言ってんだ。」 「でもね、あかねちゃんは貴族の娘さんなの。こんなことさせてるって、 亡くなったご両親が知ったら、さぞやお嘆きになるでしょう・・・。」 「んなこと、言ったって・・・。」 「乱馬付きにしたのは、お前になら、あかねちゃんを説得できるって思ったからだ。」 「・・・・・・。」 「いい? こんなこと、すぐに止めるようにって、ちゃんと説得するのですよ。」 「やるだけは、やってみるけど・・・。」 「第一、これまでだって・・・気を遣って、ここで暮らしてきたのに・・・。 これ以上、あかねちゃんには無理してほしくないの。」 「ここに来てから、一度も、自分の住んでいた家に帰りたいなんて、言わなかったからな。」 「服だって、自分から欲しいなんて、一度だって言ったことなかったのですよ。」 確かに、あかねはわがままを言ったりしなかった。 自分から、なにか欲しいなんて、絶対に口にしない。 いつも遠慮がちで・・・けど、与えられた物はとても大切にしていた。 服の裾も、汚さないようにといつも気にしてたし・・・。 「元々、よく気の付く子だから、むいているとは思うけど・・・でも、 やっぱり、この家の子として、これからも過ごしていってほしいし・・・。」 「いずれ、お嫁に出さないといけないからなぁ。」 「そんな。私は嫌ですよ。あかねちゃんを他所に渡すなんて。」 「だけど、あかねちゃんにとっては、それが一番幸せなことなのかもしれん。 本当にこころから甘えられる人の元で暮らしていくのが。」 親父のこの一言に、おふくろは泣き出した。 「そうね、そうよね・・・私ったら・・・あかねちゃんが幸せになることが、一番よね。」 そう言いながら、おふくろは何かを決意したようだった。 翌日、いつものようにあかねに起こされて、食堂に行くと、妙にかしこまった雰囲気を感じた。 「おはよー。」 椅子に座ると、親父が祈りの言葉を口にする。 「・・・それじゃあ、いただきます。」 「いただきます。」 スプーンを持とうとしたとき、親父がおれをじっと見た。 「乱馬。」 「ん?」 「食べながらでいいから、よく聞きなさい。」 「な、なんだよ。」 なんとなく、嫌な予感がした。 「お前、ガールフレンドとかいないのか?」 「は?」 突然予想もしていなかった質問に動揺したおれはスプーンを床に落とす。 すぐに、メイドが新しいスプーンを用意し、おれに渡す。 いきなりのことに慌てたせいで、少し手は震えていた。 「いきなり、なに言い出すんだよ。」 「お前も、もう十六。女友達のひとりやふたりいてもおかしくない歳だ。」 「昨日、お父さんと話し合ったのですけどね、そろそろあなた、結婚なさい。」 間髪いれず、親父は話を進める。 「ちょうどな、わしの知り合いの娘さんで、お前を見て、気に入ったという子がおってな。 その子は器量もよくて性格もいいらしい。」 「それで、お見合いしたらどうかしらって。」 「やだよ。」 「どうして?」 「ど、どうしてって・・・。」 「ひょっとして、やっぱり、いるのね? ガールフレンドが!」 「それなら、連れてきて、紹介しなさい。」 「・・・・・・。」 「いいわね?」 返事をしなくていいように、出された物を口いっぱいにほおばった。 「あかね!」 その頃あかねは、おれの部屋でベッドメイキングをしていた。 「なあに? どうかしたの? 顔色、あんまりよくないみたい。」 「・・・メイド、辞めろ。」 「え? 急にどうしたの?」 「おめーが、そんなことしてっから、おれにまでとばっちりがきてんだ。」 親父たちは、あかねの代わりを求めてる。おれの隣の席をうめる、その相手を。 「なにがなんだか、わかんないよ。」 「いいから、その服、脱げ。」 「やだ。」 「脱げっ!」 がしっと肩を掴む。 「きゃっ。」 痛かったのか、あかねは小さな悲鳴を上げた。 思わぬ反応に力は緩み、その隙に、あかねはしゃがみ、おれの手を逃れる。 「乱馬、怖い・・・嫌。」 「・・・・・・。」 おれは何も言えず、その場から逃げだした。 その日の夕食時、あかねはメイドの服のまま、なぜかおれの隣の席に、 いままでのように、ちょこんと座っていた。 「・・・おじさまたちがね、話があるって。」 「・・・・・・。」 気まずい空気の流れるところに、親父たちは入ってきた。 「ふたりとも、そろってるね?」 「はい。」 「それじゃあ・・・まず、乱馬。」 「なんだよ。」 「朝、言っていた、お見合いの件だが、お引き受けしてきた。」 「なっ! おれは嫌だと言ったはずだ。」 思わず、立ち上がる。 「先方が乗り気なのだ。会ってみて断るのならば、相手も納得するだろうし。」 「そういう問題じゃねぇっ!」 「だったら、誰か、想う子でもいるというのか?」 「そ、それは・・・。」 あかねの方をつい、ちらりと見る。 「とにかく、会うだけ会ってみなさい。結論はその後でいいんだから。」 ちっと舌打ちしながら、おれは椅子に腰を下ろした。 「それから、あかねちゃん。」 「は、はいっ。」 「あかねちゃんにもね、お見合いを勧めようと思ってるの。」 「えっ! わたしに?」 「ええっ!」 あかねが驚くよりも更におれは驚いた。 ・・・あかねにも、見合い話? 嘘だろ・・・。 「な、なんであかねに?」 「あかねちゃんも、あなたと同じ年。そろそろ結婚を考えてもいいと思うの。」 「まだ早いだろっ!」 「あかねちゃんがね、メイドを辞めてくれるのなら、無理にとは言わないけど・・・。 このまま、この家に、あなたを縛り付けておくの、申し訳ないから。」 「そ、そんな。」 「あなたは、大切な私たちの家族。幸せになってほしいと、みんな思ってるの。」 「・・・・・・。」 どきどきしながら、おれはあかねの反応を待つ。 どうか、メイドを辞めると、そう言ってくれ。 「・・・お受けします。」 「え。」 三人同時に声をあげた。 「わたし、あの・・・みんなの気持ち、嬉しいです。だから、お見合い、受けます。」 「・・・・・・。」 「そう・・・わかったわ。」 そう返事した、おふくろは、どこか寂しそうにも見えた。 みんな、わかっていた。 この返事が、あかねの優しさであり、配慮であることを。 「だけど、もう少し、先にしてもらってもいいですか? せめて乱馬にお嫁さんがくる時まで。 わたし、まだ、みんなのために、ちっとも役立ってないから。」 「・・・ええ、もちろんよ。」 「よかった。」 そう言うと、あかねは席を立ち、ぺこりと頭を下げて、部屋を出ていった。 「・・・もっと、甘えてくれていいのに。」 おふくろが、ぼそっとこぼす。 あかねの存在に、今までおれたち家族は癒されてきた。 いるだけで、それだけでよかった。 それだけに、あかねがいなくなってしまうことを考えると・・・。 気が付けば、三人でふぅっと、ため息をついていた。 部屋に戻り、床に付いたおれは、天井を見上げながら考える。 「おれが嫁をもらうときまでか・・・。」 それが永遠にこなかったら、あかねはずっとこの家に? いやいや、そんなの、親父たちが許すはずがない。 でも・・・おれはあかね以外の女になんか興味ねぇ。 「やっぱ、あかねに・・・。」 想いのたけを伝えなきゃ。 そうしないと、なにも始まらない。 ひょっとしたら、始まった途端に終わってしまうかもしれねぇけど。 「そん時はそん時だ。」 と、口に出してみたものの、どう考えても、 あかねがおれを受け入れてくれるとは思えなかった。 今日の昼も、怖い思いさせちゃってるし。 そういや、あれから、ろくに口聞いてねぇなぁ。 まず、仲直りするとこから入らねぇとな・・・。 ああだこうだと考えて、なかなか眠れなかった。 =つづく= 呟 事 >>>第三章へ行ったり >>>行かなかったり どっちでもお好きな方で。