訪問記

2001年(平成13年)8月3日(金)

 久しぶりに帰省してきた岩永智君(30回生)と東高訪問。
 彼は射撃部OBでもあり、今年の高総体での男女アベック優勝、全国高校選手権での団体準優勝、個人優勝という後輩達の活躍ぶりに、大喜びです。


 資料館では、在学中の昭和52、53年の2年連続全国制覇のトロフィーに再会。(ただし、これは女子団体のもの。)
 また、卒業アルバムに懐かしの先輩後輩たちを見つけました。

 卒業後に出来た射撃場にも足を運びましたが、3年生がヤタロウ合宿中で、顧問の松添先生、部員達には会えませんでした。当時と比べて広い射撃場に感激していました。

2001年(平成13年)5月29日(火)

 長崎東高同窓会代議員会
東高の資料館“轍”の様子を報告し、同窓生皆さんにも活用していただくことを要望。

2001年(平成13年)5月17日(木)

 『長崎東高新聞』の本紙を確認作業。

 ファイル化されている『東高新聞』には漏れていて、新たに本紙が発見された号は次の通り。
  第40号(昭和28年7月15日発行)
  第54号(昭和30年9月1日発行)
  第169号(昭和59年3月1日発行)

 ファイル化されているものの、本紙ではなくコピーが保存されていた号は次の通り。
  第60号(昭和31年7月31日発行)
  第64号(発行年月日不明)
  第66号(昭和32年9月30日発行)

 『東高新聞』には1ページあたりがA2版の大きさのものと、A3版の大きさの2種類があって、
それぞれA2版=約223ページ、A3版=138ページが保存されていました。(コピーの分も含む)

 また、資料館の目録作成について菊池先生に御相談したところ、「長崎県立長崎東高等学校創立50周年記念事業・資料館展示品一覧」の表を見せて頂きました。これを参考に、目録作りを考えたいと思います。

2001年(平成13年)5月12日(土)

 第29回東高在京同窓会総会
 ホテルニューオータニ東京「鳳凰の間」にて開催。
 今年のテーマは「長崎へのノスタルジー〜2001年 温故知新の旅〜」。

当番幹事の31回生・吉田泰将さんが「壁新聞」にて、資料館“轍”と『東高新聞』をPRしてくださいました。

2001年(平成13年)5月1日(火)

 在京同窓会で『東高新聞』を閲覧していただくことになり、閲覧用にコピーするため資料館を訪問。
 新聞をめっくていたところ、昭和42年吹奏楽コンクールでの曲目が書かれた記事を発見。

 新規納入された書棚には卒業アルバム等が並べてありました。

2001年(平成13年)4月3日(火)

 『東高新聞』をコピーするため資料館を訪問。
 新しく、閲覧用の机と、書棚が搬入されていました。

 3月31日(土)、『東風』第24号が届きました。

  【目次】
 第29回在京同窓会総会のご案内
 特集/修学旅行今昔物語パート1
 長崎特派員便り/男子バスケ部全国大会出場他
 回生便り/同窓会報告
 NEWS/山口光太郎君を偲ぶ会、他


【長崎特派員便り】
在長崎特派員 30回生:鷹川恵一

あの頃の思い出を訪ねて
 資料館“轍”には、高校時代の思い出が詰まっています。その手がかりとなる資料が『東高新聞』であり、生徒会発行『ひがし』です。今回、特集「修学旅行」の情報収集のため訪ねてみました。



資料館で懐かしの『東高新聞』に再会された有田俊雄さん(3回生)(
2000.12.8
「この部屋にいるだけで、当時の西山校舎の記憶がよみがえってきます。」(有田さん談)




 昭和30年の新聞には、卒業前に高校時代の思い出を語る座談会の記事があり、当時、高校生だった芦塚有道先生(回生)も修学旅行の思い出を語っておられます。
 昭和
41年の新聞「論説」には、修学旅行に替わり、学年別の九重登山が実施されることについて論じてあります。充実した高校時代を送るためにも、修学旅行ばかりでなく、クラブ活動なども通じて、積極的に満足のいく高校時代を送ろうと問い掛けていました。
 修学旅行に替わって実施された九重登山についての座談会では、全員参加できたこと、大自然に触れられたことなどを挙げ、概ね歓迎されていました。
 昭和58年には、17年ぶりに修学旅行が復活していますが、この年度に発行された第27号以降の『ひがし』には、生徒達の感想文などが掲載されています。
 惜しむべきは、資料館に保存されている『東高新聞』には欠落号が多く、修学旅行の記録が確認できない年代もありました。下記号数が欠落していますので、もしお手元にございましたら、ご一報下さい。

【『東高新聞』欠落号】
28,30〜32,34,35,37〜49,51〜59,61〜64,71〜75,77,79,83,84,103,107,135,157,164,169,175

 資料館“轍”には、高校時代のあの頃がたくさん残されています。皆さんも、懐かしいあの頃を訪ねてみませんか。「資料館“轍”訪問記」のホームページを作成していますので、お立ち寄り下さい。

http://www1.cncm.ne.jp/~takagawa/wadachi.html

2001年(平成13年)3月22日(木)

 資料館を訪問する道中の立山公園では、市の職員さんたちが雪洞(ぼんぼり)の飾り付けをしていました。長崎海洋気象台から開花宣言がありました。平年よりも3日早いそうです。

 資料館で、菊池先生と目録作りについてご相談しました。

2001年(平成13年)3月1日(木) 東高卒業式

 卒業生387人を代表しての答辞。
「高校生活でのあの時、あの日の出来事が今の私をつくっていることに改めて気付きます。東高での3年間は私たちの人生の土台となり、深く強く根を伸ばし続けることでしょう。」

2001年(平成13年)2月19日(月)

 昭和25年5月撮影の集合写真に、父(4回生・当時2年生)を見つけました。同じクラスに三浦達美さん、浦川良一さんも発見。また、撮影年月日不明のアルバムには、叔母(15回生)が1年2組に写っていました。従ってこれは、昭和35年度のものです。

 修学旅行に関しては、ある資料から5,6回生の実施時期が分りました。『東高新聞』からは、16,18回生の実施日が分りました。

 『東風』第24号には、吹奏楽部に関する情報も載せる予定なので、顧問の瀬戸口先生にお話を伺いました。
 第6回定演は4月30日(月・祭日)の予定で、21世紀にも引き継がれるであろう20世紀の名曲を演奏するそうです。吹奏楽オリジナル曲、ベートーヴェン・ピアノ協奏曲「皇帝」などのクラシックから、ビートルズや美空ひばりのメドレーまでたくさん聴けそうです。部員たちによるプログラムの広告取りも順調だそうです。

 『東風』で「修学旅行」を特集することになり、“轍”で調査を行ってきましたが、一段落着いたところで東高MLに報告しました。
 件名:『東高新聞』に見る修学旅行

鷹川@30・長崎です。

資料館で分った分を報告します。

修学旅行に関しての資料は『東高新聞』が頼りですが、
欠落号が多くて充分調査できませんでした。

東高の最初の修学旅行は昭和26年5月、
当時の4回生が3年生のときです。
5回生は明けて昭和27年の春休みに、2年生で行っています。
6,7回生も2年生終わりの春休みに実施されています。

16回生:昭和37年7月22日〜7月29日。
18回生:昭和39年7月29日〜8月4日。

と、実施日が分りましたので、HPに更新しました。
  http://www1.cncm.ne.jp/~takagawa/syuugakuryokou1.htm

昭和41年頃までの『東高新聞』に目を通してきましたが、
5,6,8〜14,17,19回生の記事は見当たりませんでした。
資料館に保存されていない、欠落号にあるのかもしれません。

以後の新聞は、年間の発行回数が少ないせいもあってか、
修学旅行についての記事は少ないようです。

代わって、
生徒会発行『ひがし』に、立山移転後、昭和58年度の第27号から
「修学旅行」に関しての記事が掲載されています。
この年に、九重登山から17年ぶりに修学旅行が復活しています。
この第27号以降には、毎号生徒による感想文等が書かれてあります。


『東高新聞』は、言うまでもなく、生徒の視点による学校生活そのものです。
修学旅行の座談会などは、ときには先生を交えながら、またあるときには
先生方による(本来ならオフレコの)面白い記事もあります。

大きな役割を果たしてきた新聞部が、今いないことは残念なことです。
『東高新聞』が果たしてきた役割が終わったとは、思いたくありません。
生徒達の手による新聞復活を望みたいものです。


2001年(平成13年)2月6日(火)

 修学旅行についての記事がないか、『東高新聞』を捲ってみました。
 最初の修学旅行(昭和26年5月実施)についての記事がありました。この年には3年生(4回生)が実施しています。私の父も4回生なのですが、参加しなかったそうです。
 昭和30年2月23日発行の『東高新聞』第50号には座談会の模様が掲載されていました。芦塚有道先生(7回生)も座談会に御出席されていました。

 長崎東高郷土研究会の『長崎』が、きちんと保存されていることが分りました。旧制中学以来の研究誌で、第4号が東高での復刊号です。

 校内放送で初めて聞く音楽が流れてきました。創立50周年記念に作られた愛唱歌のようです。「立山の風に吹かれて」作詞:向井裕子さん(52回生・当時2年生)、作曲:瀬戸口仁志先生(音楽担当・吹奏楽部顧問)。
 18時が門限時刻の女子生徒に、下校を促していました。
 

2001年(平成13年)2月3日(土)

 生物部OBで部長だった浜本知之さん(30回生)に御同行願いました。
 生物部の研究誌『染色体』の保管状況を見ていただくためです。1部ずつしか保管されていない貴重な資料なので、どういった活用の仕方をするか、生物部OBの方々で御相談していただければと思います。

 『東風』第24号の特集として「修学旅行」について取り上げるそうなので、過日『学校要覧』を基に作っていた一覧表の見直しのため、『ひがし』、『東高新聞』などを閲覧しました。
 昭和41年から修学旅行がなくなりましたが、その辺の記事が『東高新聞』第112号(昭和41年7月12日発行)に載っていました。「論説」と座談会の模様が掲載されているので、当時の状況が伺えます。

 校内のスナップ写真も撮りました。
 西山の東高跡地公園で見つけることのできなかった「第三十回生」記念樹が、(立山校舎)図書館脇に植えられていました。

 1月30日(火)、『東風』第23号が届きました。

 副編集長に岩永智さん(30回生)、浦田秀樹さん(30回生)、スタッフに出島学さん(30回生)を迎えての新生『東風』(編集長:亀川明子さん(26回生))です。
 昨年の在京同窓会の当番幹事だった30回生による「総会レポート/20世紀最後を飾るミレニアム総会 僕らのドタバタ顛末記」、ぶらぶら散策隊による「特集/長崎ぶらぶら節散策マップ」、「回生便り」、そして・・・
 今回から「長崎特派員便り」のコーナーが始まりました。 「長崎から懐かしさあふれる便り」をレポートすることとして、「東高資料館「轍」、誕生!」をその第1回目の記事にして頂きました。


 その感激を、東高MLに投稿しました。

 1月31日(水) 件名:資料館訪問

鷹川@30・在長崎特派員です。

『東風』第23号、昨日届きました。
在京同窓会の30回生ドタバタ顛末記、ぶらぶら散策、長崎便り、と
誌面のほとんどに(繋がり)関係があるので、興味深く読みました。
自分が関わった事が記事になる喜びとでも言うのでしょうか、
ちょっと新聞部の経験をしたような気分です。

年末年始、仕事の合間にご苦労された亀川編集長、
岩永、浦田副編集長始めスタッフ皆様に厚く感謝しております。

先日26日、東高を訪れた日に丁度『東風』が東高にも届いておりました。
菊池先生始め、事務室の職員方々にも、“轍”掲載喜ばれました。
今後ますます『東風』を身近な話題として読んでいただけそうです。
第23号も資料館に保存されることになるようです。
何だか里帰りの気分ですね。

今回資料館取材目的は、
「朝も早から弁当箱さげて・・・」の歌探しでした。
あの歌を「第二校歌」と呼んでいたことすら忘れていました。
20回生MLを通じて、おおよそは思い出して頂いていたのですが、
資料館の展示ケースに応援団編集の歌詞集が保存されていることから、
当時の歌詞を取材出来ました。

また同時に、昭和57年に『東高新聞』にも復刻されていたことも
大きな収穫でした。
立山校舎に移転後、歌われなくなった愛校歌について書かれたもので、
改めて『東高新聞』の有り難さを思いました。

その有り難さの一端として・・・
私はブラバンOBなのですが、
『ひがし40年』『ひがし50年』の記念誌の「部紹介」には、
「昭和43年に部として活動を始めた」と記述されているのですが、
『東高新聞』によって「昭和39年」の誤りであることが分りました。

「第二校歌」の歌詞もそうであったように、
当時の記憶をたどるのはなかなか難しいものです。
そんな折、『東高新聞』が大事に保管されていることによって、
当時の様子を知ることが出来ました。

その『東高新聞』の(保管されている)最後の号(177号、昭和62年発行)に、
「新聞部を憂う」という記事がありました。
前田さん@40による記事でした。
前田さんからは、先日めだか塾で、資料のデジタル化について
いろいろとお話を伺ったばかりでした。

資料館の活用の仕方によっては、より多くのことを学べそうです。

今回の取材内容についてはホームページを御覧下さい。

愛校歌(歌詞集):
  http://www1.cncm.ne.jp/~takagawa/aikouka.htm

「新聞部を憂う」:
(このページは「資料の紹介」⇒『東高新聞』からのリンク)
  http://www1.cncm.ne.jp/~takagawa/shinbun177.htm

ほか、東高跡地公園、ランタンフェスティバルなどの写真も掲載しています。


2001年(平成13年)1月26日(金)

 展示ケースの鍵が見つかったとの連絡を受けて、資料館へ。
 第二校歌などが載っている「歌詞集」を見ることができました。菊池先生(26回生)が家から探し出されて来て、展示されているそうです。1973年(昭和48年)の“九月祭”のための歌詞集でした。高校時代を思い出しながら、口ずさんでみました。在校期間は数年しか違わないのに、知らない歌もありました。

 また、『東高新聞』第163号(昭和57年3月1日発行)に、「愛校歌!?」の記事を見つけました。併せて掲載することにしました。

 資料館に保管されている『東高新聞』の最後の号(177号)を捲っていると、「新聞部を憂う」という記事が目に飛び込んできました。当時の部長 前田勝之さん(40回生)が書かれたものでした。
 前田さんには“めだか塾”で、資料のデジタル化についてお考えを聞かせていただいていました。何と言うご縁でしょうか。この記事を書かれた方が身近にいらっしゃったとは・・・

 他には、『ひがし』の「部紹介」(ブラスバンド部)をコピーさせていただきました。それぞれの時代の意気込みが伝わってきます。
 

2001年(平成13年)1月19日(金)

 初めて「長崎県立東高跡地公園」へ行きました。
 上長崎小学校と旧東高西山校舎の間の道の突き当たりにあります。
 公園の中に入ってみると、西山校舎の校門やいくつかの記念碑がありました。
 橘同窓会、定時制一同、第一回生〜第二十九回生による記念植樹もあるのですが、私たち第三十回生の分がなかったのが気になるところです。西山校舎には、2年生の夏休みまでお世話になりましたから。

 それから東高へ行きました。
 明日からセンター試験です。受験生は大変でしょうが・・・

 先日来、20回生MLを通して「第二校歌」を教えていただいていましたが、“轍”で当時の歌詞が分りそうです。
 展示ケースの中に、応援団の下駄と並んで「応援歌」歌詞集がありました。残念ながら鍵がかかっており、歌詞集を手にとって見ることはできませんでしたが、目次が見えました。

 1.校歌、2.第一応援歌、3.春夏秋冬、4.第二校歌、5.東高音頭、6.ヤメロ節、7.東高教師数え歌、8.分校小唄、9.東高一万尺、10.クソクラエ節、11.事実を知らない大人たち、12.山谷ブルース、13.若者たち、14.友よ。

 次回の訪問では、是非歌詞を見てみたいものです。

 昨年暮の12月23日、東高バスケット部がウィンターカップ(全国大会)出場を果たし、同窓生の応援で盛り上がったそうです。
 “轍”の展示ケースの中には、過去の輝かしいトロフィーが飾ってありますので、それらを報告します。

 平成9年度の中国修学旅行で交流したときの記念ボールもありました。

 そして、ブラバンが昭和47年に沖縄へ九州大会に出場した記事を調べました。『東高新聞』『ひがし』に掲載されていました。