22)イエス・キリスト−3(福音書はフィクションか、その2) |
前回は、福音書がイエスを直接知った人か、もしくは目撃者たちに取材をして資料を集めた人によって書かれたものだ、ということを見ました。今回は福音書の内容を調べて、前回の結論を確認できたらと思います。簡単ですが・・。 まず、福音書を読んで目に付くのは、地名や人名、また当時の社会の制度や習慣についての描写の多さです。地名や人名を出すフィクションを書くのは至難の業です。それが嘘だったらすぐばれてしまうからです。たとえば、私が明治時代の東京を舞台にした小説を書こうと思っても、東京の地理にもその時代の風俗習慣や制度にも通じていないので、いたるところで誤りを書くでしょうし、専門家が読めばすぐに「この著者は自分が書いている舞台の中で生活したことはない」と気付くでしょう。それに対して福音書と使徒言行禄は、歴史学や考古学の情け容赦のない批判にも耐えてきました。福音書がイエスの時代のパレスチナに生きた人(もしくはその人々から取材した人)によって書かれたことは、疑いの余地がありません。 もう一つ、四福音書を読み比べると、マタイ、マルコ、ルカは似た記述が多く(それゆえに共観福音書と呼ばれる)、ヨハネ(最後に書かれた福音書)は前の三つに比べてかなり異なった内容であることがわかります。これらの福音書の中には似てはいるが細部は異なる個所が珍しくありません。これをもって「だから福音書は信用できない」と結論する人がいます。しかし、この事実も福音史家が自分の目で見、自分の耳で聞いたことを正しいと信じて書いたことの証拠です。というのは、もし自分の書くことが正しいという自信がなければ、どうして前の人と違うことをわざわざ書くでしょうか(これは特にヨハネの福音書に言えます)。裁判官は複数の証人が全く同じ証言をすると、口裏を合わせたのではと怪しむそうです。というのは、同じ出来事に複数の人が遭遇しても、後でそれを回想するときそれぞれ微妙に違う思い出を語るのが当たり前だからです。数人でハイキングに行ったとして、後でその思い出をみんなに書いてもらえば、まったく同じことを書くはずがないでしょう。 さらに、福音書には奇妙な現象があります。それは『イエスの仮説』(ドン・ボスコ社)の著者、ビットリオ・メッソーリが「都合の悪い事実」と呼ぶもので、初代教会の時代から異教徒への宣教を考えれば、できれば書いて欲しくなかった個所のことです。上記の各福音書の相違点もそうです。相違点がある個所は非キリスト教徒から批判を浴びるだろうと容易に推測できますね。それなら、どうして初代教会はそういう個所を手直ししなかったのか、と不思議に思いませんか。私たちもときどき信者でない人に説明するとき困惑を感じる個所があるでしょう。自由主義神学者たちは、福音書が初代教会によって捏造されたというのですが、それならもっと宣教に有利になるように捏造するはずでしょう。 この他にも「都合の悪い事実」は福音書に枚挙に暇がありません(上記のメッソーリの著書を参考にして下さい)。ここでは紙面の関係上、一つだけ紹介します。それは復活の日曜日の朝、イエスの復活が最初に婦人たちに告げられたという個所です。実は当時の社会では、女性は裁判で証言をする資格を認められていなかったのです。だから、主の復活を弟子たちに告げ知らせたのが女性であった、ということは復活を主張するためには大いに不利なことでした。もしその話が「作り話」なら、もっと違う風に書くべきでしょう。福音書全体にこの指摘が当てはまるのです。メッソーリは福音書がフィクションなら「それを作った人は、奇妙なショーの無能なディレクター」であると言っています。 最後に、福音書のもう一つの特徴として「無感動性」を挙げておきましょう。またメッソーリの言葉ですが、「四福音書を通して私たちが見出すのは、出来事を公平に記録する年代記作者の超然とした語調です。・・ここでもまた私たちが認めなければならないのは、このような文は神話や伝説を物語っているという印象を感じさせないということです。むしろ飾り気のない新聞記事のようです」(前掲書、346頁)。
もう一度、素直な目で福音書を開き、読んでみたらいかがでしょうか。これはフィクションなのか、と問いながらでも構いません。
訂正、前々回、昨年11月エルサレムで見つかった「ヤコボ、ヨセフの子、イエスの兄弟」という銘の入った石棺について話しましたが、古代史の専門家の調査によって石棺は1世紀のものだが、この銘は後代の偽造であると結論されました。前々回には銘を『ヤコブの兄弟、イエス』と言いましたが、これは私の誤りでした。
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