32)聖霊−1

 ふつう、手当たり次第に人を自分の家に招待して家族を紹介するようなことはしないと思います。本当の友達になった人だけを招待するのではないでしょうか。家族とは自分のプライバシーに属するもので、その中にある親密さや信頼は大切にしたいと思うのが人情でしょう。神様も同じようにされました。長い旧約の時代に、神様はご自分が唯一のお方であることを徐々に啓示されました。新約時代になると、まず第二のペルソナを紹介されます。そして、この第二のペルソナが今度はこの世を去る前に、第三のペルソナを紹介されたのです。

 イエス様は公生活において何度か聖霊についてお話しになりましたが、詳しく説明されたのは最後の晩餐のときでした。それは、主と使徒たちだけの送別会のような雰囲気がある親密な食事の場でした、イエス様はそこで多くのことを使徒たちに語られますが、その中で自分がこの世から去れば御父に頼んで「真理の霊」とも「弁護者」とも呼ばれる霊を送ること、その方が使徒たちを真理に導かれること、この世はこの霊を知らないこと、霊はこの世の誤りを明らかにされるであろうこと、などをお教えになりました(ヨハネ、14〜17章参照)。そうしてご受難に向かわれます。復活の日曜日の夜、使徒たちに出現され、彼らに息を吹きかけながら「聖霊を受けなさい」と言われます。

 このように、聖霊を信じるためには、まずイエス様を信じる必要があります。あるいはイエス様はご自分を愛する人々だけに聖霊について紹介されたとも言えます。イエス様を愛さない人に聖霊のことを紹介しても、彼らは聖霊を侮辱するだけでしょうから。

 さて、以前見ましたように、教会が誕生した直後から、イエス・キリストが神であることを否定する人々が教会の中に現れ、聖ヨハネを筆頭に使徒たちにことごとく断罪されましたが、最終的にその問題に確実な回答を与えるのは325年のニケーア公会議でした。しかし、イエス様の問題が解決したと思ったら、今度は「聖霊は神ではなく被造物だ」と言う人々が現れました(ニケーア信経でも「我々は聖霊を信じる」と言って、その神性を明らかに示しているのですが、いつの時代にも「明らかに教えられていることを素直に信じるほど俺は馬鹿ではない」と、珍奇な考えを発表して自分は賢いと思い込む自称神学者がいるものです)。そこで381年、コンスタンチノープル(現在のイスタンブール)で公会議が開かれ、この場で聖霊の神性に関して次の宣言がなされました。「主であり生命の主である聖霊を(信じる)。父から出て、父と子とともに礼拝され、尊ばれる。聖なる預言者によって話した」と。余談ですが、この二つの公会議の信経を合わせた二ケア・コンスタンチノープル信経がキリスト教の基本的な信仰宣言となっています。

 この信経でこれでもかと言わんばかりに強調されたのは、聖霊が御父と御子と同じく神であるという点です。ですから、全知全能、始めも終わりもない永遠の存在、真善美そのもの、といった属性は聖霊にもぴったり当てはまるのです。

 イエス様はまた最後の晩餐で次のようにも言われました。「私はあなた方とともにいたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父が私の名によってお遣わしになる聖霊が、あなた方にすべてのことを教え、私が話したことをことごとく思い起こさせてくださる」(ヨハネ、14章、26)。「実を言うと、私が去っていくのはあなた方のためになる。私が去って行かなければ、弁護者はあなた方のところには来ないからである」(同16章、7)。

 どうも、三位一体の神様の間で役割分担のようなものがあったようです(誤解のないように言っておきますが、神様が被造物に働きかけるとき三つのペルソナはともに働かれます。ですから、役割分担と言っても、一つのペルソナだけがその仕事を受け持つのではなく、三つのペルソナがともに働かれますが、言うならば主役は誰か、という問題です)。つまり、イエス様の役割は弟子たちに救いの教えを啓示し、ご受難によって人類の罪の購いを成し遂げるという局面で主役を果たし、それが終わればバトンを渡すように主役の座を聖霊に渡す、ということです。もう少し具体的に言いますと、イエス様は教会の土台を作り、それに聖霊降臨の日に聖霊を送られることによって、生まれた教会の指導を聖霊にお任せになり自分は脇役の地位に控えたと考えればよいでしょう。私たちは聖霊の時代にいるとも言えます。では、その聖霊と私たち一人一人との関係はどうなのでしょうか。それを次回に見ていきたいと思います。


31に戻る   33に進む
目次に戻る