52)死−1 |
カトリック教会の信仰宣言で「体の復活」の前に出てくる「罪の赦し」については、「洗礼」と「赦しの秘蹟」のところでゆっくり見たいと思い、今回から教会で伝統的に四終と呼ばれているものについて見ていきましょう。四終とは、死、審判、地獄、天国のことで、最初は死ぬことについて。こういうことについて話すのにはどんな意味があるのかをまず考えましょう。 神を信じない文化が支配している現代社会では、人生はなによりも楽しむものであって、死というテーマは暗いこと、縁起でもないことで、口にすることがはばかられるような気がします。また日本では死をタブー視する気風が根強く残っています。たしかに死は明るいテーマではないです。もしやたら死について話す人がいたら、やっぱりちょっと不気味ですよね。しかし、「死とはなにか」、「死後どうなるのか」というテーマは誰でも心の中で興味を抱いているテーマであることは確かです。上智大学のデーケン神父様は1975年から「死の哲学」という授業をしておられます。最初、日本では死はタブー視されているので、学生がいやがって来てくれないのではと心配していたら、毎年450人の定員に対し600人以上の応募があるそうです。神父様の『死とどう向き合うか』(NHK出版)という本に二つの興味深い話しが載っていました。一つは神父様の一人の教え子がボランティアをしていた高齢者の施設の話し。「そこでは毎月一人か二人の方が亡くなるというので、誰も死という話題に触れたがらないように見受けられました。しかし、ある時、一人の方が『ところであなたは上智大学で何を専攻しているのですか』と尋ねたそうです。彼は『私は哲学科ですから、今おもに死の哲学を勉強しています』と答えました。するとそれからはたくさんの方が一人ずつ彼の所に来ては、人間らしい死に方や死への準備、自分の葬式の支度などについて相談するようになった。誰でも内心では死に無関心ではいられません。とくに施設のお年寄りにとって、死は知りたい、語りたい、切実な問題だったのです。私の教え子のいた施設ではだんだん皆で死について積極的な話し合いが出来るようになり、入居者たちの表情まで大変明るくなったと聞きました」とあります(239~240頁)。 もう一つは学生の多くが年末の試験の答案に「今までは死を学ぶなどということは暗い考えだとばかり思っていましたが、生きていく上で実に大切なことが判りました」と感謝するという話しです(28~29頁)。 いかに死を忘れようと試みても、「人間は一度だけ死ぬ」という事実はまったく変わらないし、人生に終わりがあるという事実を直視せずに人生の意味を理解することは不可能です。死を忘れようとして「人生は楽しまな損や」と言う人、あるいは「死んでからのことは死んだときに考えたらええわ」という人は、ちょうど受験勉強の辛さから逃げたい受験生が、「1月になったら入学試験がある」という事実を無視して、遊びほうけようとするのに似ている。1月になったら現実に直面せざるを得ないし、また遊んでいるときも入試のことが片時も頭から離れず、決して心の底から楽しく遊ぶことはできないでしょう。つまり、現実から逃避しても何の役にも立たないのです。 あるいは、「信者はあの世のことではなく、もっとこの世に目を向け、この世をよい社会にすることにこそ努力を傾けるべきや」と言う人もいるでしょう。社会の中に生活する信者が、社会に対して積極的に関与し、信仰の教えに合わせた幸せな社会を作ることに貢献すべきだというのは大いに本当です。しかし、同時に、この世の生活が人間の目的ではなく、私たちはあの世に永遠の住処を持っていることを忘れるわけにはいきません。 最近「メメント・モリ(死ぬことを思い出せ)」という中世の修道院などに書かれていた文章のことがある新聞で紹介されていました。教会は、いつもこの明々白々の事実を私たちが忘れないように呼びかけてきました。それはペストや戦争や災害にしばしば襲われいつも死の恐怖に怯えていた中世だけのことではなく、平均寿命がすごく伸びた現在も同じです。ごミサの祈りを注目して下さい。いろいろなところに死や永遠の命についての言及があります。また教会は毎年11月を死者の月として、死者のために祈ることと、死について黙想することを勧めています。死について考えることは、人生には終わりがあることを思い出し、よく時間を活用して充実した人生を送ることができるようになるためです。キリストと教会が死について教えることは、決して暗いことではなく、人生をよりよく生きるために助けになることです。 また、死は自分に関する問題だけではありません。愛する人の死を経験することも辛いことです。あるいはその苦しみの中にいる人とどう接したらよいのか、という問題に直面することもあります。
ということで今回から何度かにわたって死とその後に起こることについてイエス様の教えをもとに教会が何を教えているかを見ていきたいと思います。
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