寿司の歴史










●すしの語源
●日本の「すし」
●握りずし
●江戸前ずし

























☆語源☆

「すし」には『鮨・鮓・寿司<当て字>』がありますが
鮨と鮓はもともと二千以上も前からあった中国の漢字です
「すし」の始まりは、はっきりは解らないけどおそらく東南アジアかどこかの
山中の民族が川魚の保存に穀物を炊いたものを漬け込み、自然発酵させたものが、
始まりだといわれてます(日本のフナ寿司の元祖ともいわれる)
「鮨」のつくりである「旨」にはモノを熟成させるの意味があり
「鮓」のつくりの「乍」は、モノを薄くはぐの意味があるらしい
それが、中国に渡り、日本に渡ったらしいが現在の中国にはそれらしき
食物は残ってないらしい...とにかくそれが元祖の『鮨・鮓』であり
『寿司』とゆう漢字は「寿を司る(つかさどる)」で、縁起がいいものとして
その名を語っている...らしい
余談だけど、「シャリ」の語源は「仏舎利」(仏様の遺骨)が、ちょうど
お米に似ているためそう呼ばれているといわれる。

 

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☆日本の「すし」☆

さて、それではいつ頃日本に伝わったかと言うと定かではない
そもそも伝わってきたのは漢字だけかもしれないし、
「すし」と呼ばれる魚介類の漬け物が大陸から渡ってきたのかもしれない
じゃぁいつの時代から記録があるかと言うと、
養老二年(718年)「養老律令」のなかに『鮨・鮓』の漢字が登場する
それらはおそらく、魚介の漬け物と思われる。それが、奈良時代には、
「熟(な)れずし」...これは、現在の「フナずし」のようなモノで、
その後は「飯ずし」...現在の関西の鯖の棒ずしみたいなモノ
「コケラずし」...箱ずしの原型、現在も「ケラずし」として大阪に名を残す
「箱ずし」...言わずと知れた関西の「押し寿司」の原型
「握りずし」となる。ここで、注目すべきは、関西と言う言葉が沢山出てくる
... そう、「関西ずし」こそ日本のすしの伝統を、今に伝えるすしである。

 

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☆握りずし☆

握りずしのルーツは一八〇〇年前半ごろ、江戸のある屋台の職人の誰か

(もちろんその頃は関西風の「押し寿司」が主であり、店だけではなく屋台でも売られていた)
がシャリの上に押し寿司の材料を切り付けてのせ、
即席のすしをつくったと言うのが始まりと言われている
しかし、当時の「握りずし」は「押し寿司」と同様、シャリの味が重要で
甘辛く味付けた椎茸や海苔を加えたりオボロをのせたりして味を補っていた
それから、大きさもオニギリみたいに大きくて、現在のモノとは
大違いだったらしい。
もちろん、材料(ネタ)自体の違いは言うまでもない
やがて、「江戸前ずし」の誕生によりその姿を変えるとともに
 全国に広がっていったが、それはすでに戦後のことである
...ということは「握りずし」は、江戸以外ではまだまだ
そんなに昔からあるモノではないということになる
「江戸前の握りずし」は、気が短い(^_^;「江戸っ子」が作り上げた
いわゆる「東京の郷土料理」と言っても過言では無いだろう。

 

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☆江戸前ずし☆

さて、いよいよ「江戸前」ずしの登場だけど
前にものべたとおり「握りずし」が誕生したのは江戸だった
しかし、「江戸前」という言葉は、もともとうなぎ屋さんだったらしい
江戸幕府の徳川家康が、江戸城の前の浅い海を埋め立てて土地を造成したが
その時にできた沼でウナギが沢山とれて、それに目を付け商売をした人がいた
江戸城の前の沼で捕れる、「江戸前のうなぎの蒲焼き」と言ったそうである
やがてそれが、江戸の前の海(東京湾)で捕れる魚介類を指すようになり
ちょうど、握りずしの人気が上がってきたときと重なって、
「握りずし」が、江戸前ずしと呼ばれるようになった
それが、太平洋戦争後に全国に広がり北海道でも九州でも「江戸前ずし」と
語っている店が増えた(言葉の意味より、響きがいいから...かな?)
...と、あっけなく終わってしまったが、(^_^;
その後は、その店による工夫(〆もの、オボロ、玉子、アナゴ等の味付けや、
加工など)の仕方が違うので、これから先は、その店の歴史であり
「江戸前ずし」は、現在の「すし」の代表的な存在であると綴っておこう。

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