グラバー園

鎖国時代、長崎は外国に開かれた唯一の窓口でした。開国後、長崎・横浜・函館・神戸・新潟の5つの町が開港され、それぞれの町に外国人居留地が造られました。グラバー園がある南山手一帯は居留地として栄えたところです。園内には当時のままのグラバー邸、リンガー邸、オルト邸のほかに、ウォーカー邸など6つの洋館が移築されています。側には大浦天主堂があって、グラバー園一帯は長崎観光の中心となっています。

グラバー邸



トーマス・ブレーク・グラバー(1838〜1911 スコットランド出身)は21歳の時、開国と同時に長崎に来日し、グラバー商会を設立しました。幕末には坂本竜馬などの志士を支えたり、伊藤博文たちの英国留学などに多大な援助をしました。明治以降は経済人として日本の近代科学技術の導入に貢献しています。1911年、73歳で亡くなったグラバーは、妻ツル、息子の倉場富三郎夫妻と一緒に、長崎市の坂本国際墓地に眠っています。 




グラバー邸は江戸時代末期に建てられた、日本最古の木造洋風建築で、国の重要文化財に指定されています。建物を真上から見ると屋根が四つ葉のクローバーの形をしています。グラバー邸は何度も改築されていますが、半円の形をした建物は独特の雰囲気です。




グラバー邸からは長崎港を見下ろすことができます。長崎を舞台にしたオペラ「マダム・バタフライ(蝶々婦人)」はグラバーの妻ツルがモデルだと言われています。グラバーは終生日本で過ごしたのですが、ツルが接客の時、いつも蝶の紋の着物をきていたからだそうです。ここから見る長崎港は、「鶴の港」の異名通り穏やかで綺麗でした。



グラバーはとても草花が好きだったそうで、
私が訪れた時、邸内にはチューリップ・シモクレン・桜などが満開でした。
温室に咲くシンビジュームには、
グラバーによって日本に初めてもたらされた洋ランもあります。
二回目の入園時、ウエディングドレスを着て楚々と走り去る一行に出会いました。
もしかしてロケかも?と後を追い、付き添いの人に尋ねたところ
“結婚アルバムの前撮り”という答えでした。
オバちゃんは走り疲れ、ミーハーするのも大変です。\(^o^)/
(2007年4月9日)


リンガー邸

フレデリック・リンガー(1840〜1908 英国出身)は1864年頃来日し、グラバー商会に勤めた後、英国人のホーム氏とホーム・リンガー商会を設立しました。居留地の外国人と市民の交流の場や内外クラブを開設しました。長崎市の上水道建設・外国貿易・製茶・製粉・発電など幅広い事業もおこなっています。1907年(明治40年)、商会を子ども達に譲って英国に帰り、翌1908年(69歳)に死去しました。


1869年(明治2年)に建てられたリンガー邸は、外壁石造り平屋建ての建物です。明治初期の洋風建築として貴重で、昭和41年国指定重要文化財に指定されています。南欧風バンガロー形式の建物です。




リンガー邸は、グラバー邸とオルト邸にはさまれるように位置しています。
屋根がクローバーの形をして複雑な造りのグラバー邸とは対照的に
驚くほどシンプルで整然とした造りになっていました。
当時のままに地続きの三邸は、どの建物からも美しい長崎港がよく見えます。
4月中旬、リンガー邸からオルト邸に向かう門には、白と黄色のバラが咲いていました。
“長崎ちゃんぽん”のチェーン店として知られているリンガーハットの店名は、
この偉大な英商フレデリック・リンガーにあやかっているそうです。
(2007年5月18日)

オルト邸

ウイリアム・オルト(1840〜1905英国出身)は、1859年長崎開港の年に長崎にわたりオルト商会を設立しました。長崎の女性・大浦慶と手を組んで九州一円から茶を買い求め輸出をし、日本の緑茶を世界に広めると同時に巨額の富を得ました。あまり体が強くなかったようで、明治4年ごろ英国に帰国しています。

長崎に現存する洋風建築の中では最大規模の建物で、本格的な洋風建築です。1865年(慶応元年)頃に作られました。昭和47年、国指定重要文化財に指定されています。



オルト邸を作ったのは、大浦天主堂も手掛けた天草出身の職人・小山秀之進です。三方にベランダをめぐらした重厚な木造・外壁石積の建築です。ベランダの高い天井は、タスカン様式の列石柱に支えられています。



裏手(写真右端・石柱が無いところ)には、当時の厨房や貯蔵庫がそのまま残されています。


ポーチ横には日本最古で最大級の木香バラがあります。二度目に訪れた五月、白い木香バラが往時を偲ばせるように咲き誇っていました。グラバー邸には樹齢300年と言われる巨大ソテツがありますが、オルト邸にも大きなソテツとシュロの木がありました。

グラバー園の中で、最も好きな邸宅はオルト邸です。
ゆったりと広い邸内は観光客が少なく、異国を訪れたような気持ちにさせてくれました。
「おたくさ日記」には珍しく、人が映っているのに気付かれましたか?
椅子に座っている彼、身長190センチぐらいの外国の若者です。
一心に読書をしていたのですが、ウロウロしているおばさんに気が付くと笑顔で手をあげました。
インタビューでもすれば良かったのですが、英語が全くダメなおばさん、
笑顔を返すのが精一杯でした。
とってもハンサムで“逃した獲物は大きかった〜〜”\(^o^)/
(2007年5月25日)

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