興福寺

興福寺は国内最初の黄檗禅宗の唐寺です。中国・明の商人が1620年ごろ航海安全を祈願してこの地に小庵を造ったのが始まりです。黄檗宗の開祖隠元禅師は1654(承応3年)長崎へ渡海、興福寺住職として一年滞在しました。


大雄宝殿(本堂:国指定重要文化財)

本堂を大雄宝殿と呼ぶのは釈迦(大雄)を本尊としているからです。
1632(寛永9年)建立され、現在の建物は明治16年に再建されたものです。
中国工匠による純粋な中国建築で、
アーチ型の黄檗天井や大棟上の瓢箪はとてもめずらしいものです。

 



媽姐堂(まそどう)

媽姐」とは『菩薩』『天后聖母』などとも呼ばれる、航海の守護神です。
長崎に来る唐船には必ず「媽姐」が祀られ、停泊中には唐寺の媽姐堂に安置されました。
建築様式は和風を基調としていますが、黄檗様式も加味されています。






三門

入母屋造単層屋根の三門です。
和風様式を基調とする総朱丹塗りの雄大な三門で、長崎一の大きさです。
1690(元禄3年)に日本人工匠により建てられた山門は、
原爆で大破しましたが復元されています。
上部には隠元禅師が書かれた「初登宝地」という扁額が掲げられています。






中心の二階建ての建物は、「鐘鼓楼」です。
上階には梵鐘を吊って太鼓を置き、階下は禅堂になっています。
梵鐘は戦時中に供出されて、今はありません。
左から三門、鐘鼓楼、媽姐堂、右手前に少し見えているアーチ型の屋根が大雄宝殿です。

長崎の「興福寺」は、家から歩いても30分とかかりません。
崇福寺のような華やかさは無く、日本に溶け込んだ唐寺という感じです。
大雄宝殿のアーチ型の黄檗天井(屋根)は、私が見たことも無い見事なカーブで、
木造建築のすごさと匠の技に目をみはりました。
朱塗りの建物を、青空をバックに鮮やかに撮りたかったのですが、
今回もうまくいきませんでした。
世界遺産として有名な奈良の『興福寺』を、近々訪れる予定です。
奈良行きを前にして、9月に撮影していた「東明山・興福寺」の写真を、
やっとアップすることが出来ました。\(^o^)/
(2007年11月1日)


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