浦上界隈

1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分。長崎に投下された原子爆弾は、一瞬にして7万4千人もの命を奪いました。(被爆直前の人口は24万人と推定。)その原爆が炸裂したのが、長崎市の北部・浦上(うらかみ)上空約500メートルです。

浦上教会(天主堂)

浦上教会(天主堂)は爆心地から近かったので、原型をとどめないくらいに破壊されました。現在の建物は1959年廃墟の跡に旧天主堂を模して新築されたものです。




原爆により崩れ落ちた浦上天主堂の鐘楼
被爆時のまま保存されている唯一の遺構です。


被爆地・長崎に住んで、原子爆弾の非人間性を痛感します。
この悲惨さを後世に伝えなければと思うものの、まったく実行は伴っていません。(>_<)
“何なっとせんばいかん!”と思って出かけたのは、3月1日でした。
しか〜し、随分遅くなった上に、とても簡単なページになりました。(笑)
今後、もう少し加筆出来たらいいな〜、と思っていますが・・・
(2008年6月25日)

如己堂

自らも被爆し病床にありながら被爆者の医療にあたられた永井隆博士のために隣人たちから贈られた2畳一間の家です。「己の如く人を愛せよ」という聖書のことばから、博士が名づけられたそうです。昭和23年から昭和26年(43歳)に亡くなられるまで、書斎兼病室として、二人のお子さんとここで住まわれました。



写真では分かりにくいのですが、驚くほど小さな家です。
考えてもみてください。タタミ2畳の家です。
ここで親子3人が暮らされたのかと思うと、涙が出そうになりました。
被爆中心地・浦上の悲惨さが凝縮されている気がしました。


平和公園

原爆落下中心地の少し北側にあります。公園内には「平和祈念像」をはじめとして「平和の泉」や世界各国から贈られたたくさんのモニュメントがあります。8月9日・長崎原爆の日には平和祈念像の前で記念式典が行われます。



平和祈念像
恒久平和を願って、被爆10周年にあたる1955年(昭和30)に作られました。
「上に指した右手は原爆の脅威を、水平にのばした左手は平和を、
軽く閉じたまぶたは原爆犠牲者の冥福を祈っている」と言われています。






平和の泉
噴水の形が変わるのは、平和の象徴とされる鳩の羽ばたきと、
「鶴の港」と称される『長崎港』をイメージしているそうです。


小学5年生の時、長崎見学で「平和祈念像」を始めて見ました。
大きくてビックリしたことを、今でもはっきりと覚えています。
世界の平和を願って作られてから50余年、人類は進歩しませんね〜。
核の脅威は拡がるばかり、残念です。(ー_ー)!!
(2008年9月28日)


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