第14回 戦争と親子

 今日の試験では意外と(失礼)よくできていて喜んでおります。これからも授業だけはまじめに聞いてください。

 もう真夏のような太陽が照っていますが、ということはもうすぐ夏休みですね。今年の休みはみんなにとってちょっと苦しい休みかも知れませんが、それでも嬉しいでしょう。日本では8月は戦争を思い出すときですね。そこで今日は戦争にちなんだお話を少し。

 「子を持って初めて知る親の恩」とか、「親孝行、したいときには親はなし」と言うのを知っていますか。親に対する子供の義務とは大切な勤めなのです。家族のみんなが健康なときは、それほど考えないかもしれませんが、非常事態になると親子の情とは何ににもまさって有り難いものだということをお話したい。
 学徒動員で出征した学生さんたちが、戦場で綴った日記や手紙を集めて『聞けわだつみの声』という本ができました。私もかつて読んで感動したのですが、そのいくつかを紹介したいと思います。それは親子の情というものが今もいつも同じであることを理解するのに役に立ち、また、現在の平和を感謝できるのではないかと思うからです。

 最初は、昭和20年4月元山(朝鮮半島)から沖縄に神風特攻隊として出撃した22歳の京大生(少尉)が出陣直前にお母さんに書いた次の手紙です。

「お母さん、とうとう悲しい頼りを出さねばならないときが来ました。『親思う心にまさる親心、今日のおとづれ何と 聞くらむ』(吉田松陰の最後の句)。この歌がしみじみと思われます。本当に私は幸福だったです。我ままばかり通しましたね。けれども、あれも私の甘え心だと思って許して下さいね。晴れて特攻隊員として選ばれて出陣するのは嬉しいですが、お母さんのことを思うと泣けてきます。母チャンが、私をたのみと必死で育ててくれたことを思うと、何も喜ばせすることができずに、安心させることもできずに死んで行くのがつらいです。・・・ひょっとすると博多の上を通るかもしれないので楽しみにしています。陰ながらお別れしようと思って。・・母チャンが私にこうせよと言われたことに反対して、ここまで来てしまいました。私としては希望どおりで嬉しいと思いたいのですが、母チャンの言われるようにした方がよかったかなあと思います。でも、私は技倆抜群として選ばれるのですから、喜んでください。・・ともすればずるい考えに、お母さんの傍らに帰りたいという考えに誘われるのですが、これはいけないことなのです。洗礼を受けたとき、私は「死ね」と言われましたね。・・すべてが神様の御手にあるのです。神様の下にある私たちには、この世の生死は問題になりませんね。・・・私はこの頃毎日聖書を読んでいます。読んでいるとお母さんの近くにいる気持ちがするからです。私はこの聖書と賛美歌を飛行機につんで突っ込みます。・・・(結婚の話を断るので)許してください。これはお母さんにも言わねばなりませんが、お母さんは何でも私のしたことは許して下さいますから安心です。・・・お母さんは偉い人ですね。私はいつもお母さんに及ばないのを感じていました。お母さんは、苦しいことも身に引き受けてなされます。・・私はお母さんに祈って突っ込みます。・・もうすぐ死ぬということが、何だか人ごとのように感じられます。いつでもまた、お母さんにあえる気がするのです。逢えないなんて考えると、ほんとうに悲しいですから。」

 次は23歳の慶応大学出身の人。出水の基地に待機していた時、四国から訪問に来たお母さんに合われる日の日記。

「・・・軍人になっても母が恋しいのであります。幼児のように、学生時代はそうでもなかったのですが、海軍に入って特に痛切に感じます。意志が弱いからでしょうか。それとも人の子としての情なのでありましょうか。・・自分には母がある、有り難いことだと思いました。遠路はるばる逢に来てくれる母が・・。」

 次の人も京大(23才)。

「お母さん、あなたはよく言っておられましたね。私が学校を出たらいっしょに京都で暗そうよと。・・お母さん、今となっては私と暮らす望みもなくなりました。・・現在何を頼りにあなたは生きるのですか。老いし母よ。私はあなたが気の毒でたまらないのだ」。

 まだありますが、この辺でやめます。もし興味があれば、本をお貸しします。みんなは日本の戦闘機がアメリカの戦艦目指して突っ込んでいくフィルムを見たことがありませんか。戦艦からは高射砲や機銃が雨あられと撃って来られる中を遮二無二突っ込んでいきますよね。もしそういうフィルムを見るなら、あの飛行機の中にこれらの人々が、つまり兄弟家族を持った生身の人間がいたことを思いだして下さい。

 親子の情は昔も今も同じです。奈良時代の万葉集の防人の歌の中に「父母が、頭かき撫で幸くあれて、いひし言葉ぜ忘れかねつる」(父母が私の頭を撫でて無事でいろよと言った言葉が忘れられない)とか、「水鳥の発ちの急ぎに父母に、物言わずに来にて今ぞ悔しき」(水鳥の飛び立つような、出発のあわただしさに、父母に別れの言葉も言わずに来てしまって、今になって後悔している)という歌があります(と偉そうな顔をして言いますが、実は今調べて初めて知ったのです)。

 これらは戦争という、私たちの平凡な生活とはだいぶ違う状況の中のことなので、特別に感情が強く現れていると思われます。でも、親子の情は、戦時でも平時でも同じでしょう。今は{自分のことなんか全然考えてくれていない」なんて万一思ったとしても、いざとなったら大変な心配をされるはずです。あるいは逆に「親はうるさい」と考えている人もいるかもしれませんが、皆さんも言っているように、親の義務として、「必要なときにはおこりしかる」ことがあります。また「親が子を怒るのは、子が憎いからではなく、子のことを考えて行っている」わけですよね。

 また、上の手紙を書いた学生たちも、平和なときには家族の中でけんかもしたでしょう。あの少尉さんも、将来の進路についてはお母さんと意見が違ったようですね。これは当然です。家族といっても異なる人間ですから。でも異なるけれど、信頼の絆によって結ばれているのが普通。意見が違ったり(意見に多様性があることは決して悪いことではありません)して時々けんかもするけど、一つにまとまり信頼しあうことができるためには何が必要でしょうか、考えてみる価値があると思います。

 それではまた。


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