第15回 戦争と本当の祖国愛

 先日特攻隊員の人たちの手紙を紹介しましたが、あれは『ああ同期の桜』という本から引用しました。太平洋戦争では多くの日本人がなくなりましたが、兵士として外地で戦死した人たちの遺族は、戦争を回想するのははばかられたようで、黙っていたようです。ある人がこう言っています。「終戦後、一時は学徒動員の若者たちが勇躍して征った気持ちや、遺族の思い出を、一片のセンチメンタルだと何かしら軽んぜられ、残された者は今日まで、何も言わずにひたすら歯をくいしばって耐えてきた」と。この本の前書きにも「死者は死者であるがゆえに、また永らえた者はいろいろな気おくれと遠慮ゆえに、20年間沈黙のうちに時を送った」。そうして戦後20年たって、これらなくなった人たちの遺書や日記や手紙、また遺族の人たちの回想などを集めてできたのがこの本だったそうです。私も読み直してみて、これも知って欲しいと思うものが続々出てきたので、そのうちのいくらかを紹介させて下さい。

 ご主人に先立たれ一人息子を亡くしたお母さんの手記です。息子さんの基地(宇佐、大分県)の近くに引っ越してきて、息子さんの外出が許されたとき、親子水入らずで話すことができたのですが、昭和20年4月、何のお別れの言葉もないまま帰らぬ人となったようです。お母さんは出撃のことを知らないので「落花の音にも耳を傾け、物音のたびに縁側に走り出て、今にも笑顔がそこに現れるかと、立ち尽くしたことが幾度かありました。が、ついに初雄は帰って来ませんでした。・・・初雄は思い残すことなく瞑目したでしょうが、ただ一つのものを失った私は残念です。心残りです。それは親の夢に過ぎないかも知れませんが、この子に何か才能があるならば、学業を終え社会人になってから十分にそれの発揮されるのを願い、将来に期待をかけて育てて来ましたものを・・・。あれから20年の歳月が流れました。『去るもの日々にうとし』とか。しかし私の想い出は、年ごとに咲く桜とともに、強くよみがえり、生命の続く限り消え去ることはないでしょう。」

 これはお兄さんをなくした妹さん。「20年も経った今でも、ぬっとどこかから、首を出しそうな気がするのです。小さなやさしい目をしただんまり屋の兄が・・。その兄は、昭和20年4月16日に戦死した。最後に『空母に突入する』と無電を打って来たそうです。本当に怒りに燃えて、空母を闘牛士の赤マントに見立てて突っ込んで行ったのでしょう。日頃はおとなしい牛のような中村栄三の肉体は、その日限りで再び私たちの前には姿をあらわさなかったのです。」

 お母さんの和歌。「帰らざる息の誕生日来る毎に 年齢かぞえみるおろかしの母。」

 別のお母さん。「夢の間に20年。セブ島(フィリピン)より転出の途中行方不明という公報を戴いております以上、当然のことながら遺骨の箱の中あの『堂宮実』の紙一枚。それ以来息子の最期の様子を何とか聞きたいと、それのみで今日まで生きて参りました。」

 次のはまだ戦争中に戦地にいる一人息子にお父さんが書いた手紙です。「吾々両親は、完全に君に満足し、君をわが子とするすることを何よりの誇りとしている。・・・吾々夫婦は、今までの24年の間におよそ人の親として受けえる限りの幸福はすでに受けた。親に対し、妹に対し、なおし残したことがあると思ってはならぬ。・・・お祖父様の孫らしく、また吾々夫婦の息子らしく、戦うことを期待する。」戦時中ですからとても勇ましい文章ですが、その裏に父親としての無念の気持ちがにじみ出ているとは思いませんか。

 最期に、再び特攻隊としてなくなった青年の遺書のような手紙で、残された家族への気持ちを綴ったもの。「お父さま、お母さま。本当に優しく、心から私を可愛がって頂きましたこと、有難くお礼申します。この短い文の中に、わたしのすべての気持ちを汲んで下さい。これ以上のことを言うのは、水臭く、妙な感じがすると思います。私は一足先に死んでいきますが、私が、あの弱かった私が、国家のために死んでいけることを、喜んで下さると思います。長い間お世話になって、何一つ父さん、母さんに喜んで頂けるようなことも致しませず、誠に相済まぬと思っております。私の死は、せめてもの御恩返しだと思ってください。・・良和ちゃん、詳しいことは兄さんやお父さん、お母さんから聞いたことと思う。体を第一、次に勉強だ。立派な日本人になって、兄さんの後を継いでくれ、国家を救う者、これからの日本を背負う者は、良和ちゃんたちだよ。敵が九州の南まで来ていることを思って、毎日毎日、一生懸命にやることだ。日本の宝だよ、良和ちゃんは。兄さんの最期の言葉を、無にしないようにしてくれ。最期の瞬間まで戦える、強健な身体と精神の養成に努めよ。お父さん、お母さんにあまり心配かけるな。和子ちゃん、日本人らしい女になれ。強く優しい女性となれよ。良い母親とない、良い子を生んで日本の宝となせ。兄さんの代わりに、お父さん、お母さんに、孝行してくれ。」

 戦争の話ばかり申し訳ありませんが、私は戦後の日本の発展がこの人たちの犠牲と無関係ではないと思うので、知っておいて欲しいのです。最期の人の弟と妹への忠告は、今では「軍国主義の古い考え」だとして非難される可能性があります。でも、そうでしょうか。キリスト教は「父母を敬え」と教えますが、この「父母」の中には国も含まれます。人間が自分の生まれた家族はもちろん、土地や国を愛するのは徳(良いこと)なのです。国を愛することを英語で "patriotism" と言います。"patria" とは「祖国」のことです。私たちが、自分の国や地域を愛して、より良い国にしていこうとすることは大いに誉められるべきことです。だから、皆さん、政治問題に少しは興味を示してください。政治によって国を良くにも悪くにもなるから。その意味で今度の参議院選挙は大切。

 この「祖国愛」と区別しないといけないのは、"nationalism"(日本語では「国民主義」と訳される)で、これは自分の国あるいは民族が一番で、他の国は劣っていると考えることです。第一次世界大戦は、もろに国民主義の結果起こった惨事です。教会は、この "nationalism"を断罪しています。
 私たちは、日本を愛すると同時に、他の国の優れたところも認める必要がある。「カトリックであるとは、だれにも負けないぐらい祖国を愛し、同時に、あらゆる国々の気高い念願を自分のものとすることである。どれほど多くのフランスの栄光が私の栄光であることか。同じように、ドイツ人、イタリア人、イギリス人・・・アメリカ人、東洋人、アフリカ人が誇りとするたくさんのことは、私の誇りである。カトリックとは、大きな心、広い心を持つことだ」(『道』525)。もし、みながこのように努めれば、戦争なんか起こらないでしょうに。

 また、日本の歴史や文化や良い伝統もよく知るように努めたいものです。そのためにこそ、国語の勉強、特に古典や漢文の勉強は大切だ。受験を楽にするために高校で漢文を教えるのを辞めようという人がいるみたいですが、まったく浅はかな考えだと思います。それではまた。


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