第17回 自己主張の大切さ

 いよいよ待ちに待った夏休み、と言っても補習がありますが、長崎の高校と比べればまだ屁みたいなものです。人間の体と霊魂は非常に密接につながっていて互いに影響を与え合います。例えば、体が疲れれば霊魂も疲れ、やる気がなくなったりする。そこで適当に体を休ませないと、人間は精神的にもまいってしまう恐れがあるのです。だから、休みは必要です。

 ところが少し年配の日本人は休み方が下手なのです。というか休むより仕事のほうが好きという人も少なくありません。だから休日にまで仕事場に行かないと不安という人もいるのです。それに対して現代の若者は遊ぶことに長けているから、休み方を知っている、と言えるのでしょうか。確かに、彼らは休日に退屈することはないかもしれませんが、もしつまらない遊びに時間を費やすなら、それは誤った休み方と言わざるを得ない。というのは、人間は休むために生きているのではないから。休息とは仕事で疲れた体に力を取り戻させるために、そしてよく休んでその後、よりいっそう働けるため、また家族生活に時間を割けるように休息を取るわけです。だから、人を堕落させる遊びで休みを過ごすなら、その休息によって人格が堕落するわけですから、その休みの後でよりよく働けるということは期待できないでしょう。「休息とは、何もしないことではなく、あまり努力のいらない活動でくつろぐこと」(『道』、357)を忘れないように。

 今回の参議院選挙の後で新聞やテレビでは、首相がリ−ダ−シップを取れなかったことを自民党の敗因の一つに挙げています。今の首相だけでなく、とかく日本には強力なリ−ダ−が珍しいと言われます。一人の人が強引に皆を率いていくより、みんなで話し合って共通理解を得てから物事に当たるやり方が日本人には好まれるようです。サッカ−でも、日本人は皆で組織的に守るのは得意でも、トップが一人でゴ−ルを決めるのは不得意らしいですが、これも似ていますね。

 私も個人的に日本人には(自分も含めて)リ−ダ−シップに欠けると思います。どこの国の人にも長所と欠点があるのですが、これは日本人の欠点でしょう。政治の世界においては、外国の人は日本の首相の顔が見えないとよく言うそうです。つまり、首相が何を考えているのかが分からないというわけです。もちろんこれもいちがいに悪いとは決めつけられませんが、少なくとも国が大変な状態にあるときその国のトップの指導者ははっきりとした意見をもって国民を引っ張り外国に対してもはっきりと主張ができないといけないでしょう。

 でもこの顔が見えないというのは、首相だけではなく、一般の我々日本人にも言えることです。日本人には、「皆と同じことをしておけば間違いない」と考えることがよくあります。だから、自分の意見を言わないで、隣の人が何を言うかを伺って、その人の意見を聞いてから「じゃ私もそうです」と答える。こんなことを日常生活の中で見たことはありませんか。

 外国では、自分の意見を言わなければ「あの人は馬鹿だ」と思われるが、日本では「男は黙って○○ビ−ル」、「敗軍の将は兵を語らず」、「イヌも歩けば棒に当たる」(これは関係ない)とか言われるように、言葉数が少ないのが一種の美徳と評価されます。でも、これは日本国内だけで通用する考えで、一歩日本を出ると自分を主張しない者は、回りからまったくかまってもらえない(これは大学生によく言ったことです)。私は精道の卒業生には、黙りを決め込んで自分の意見を言わない人にはなってほしくない。

 でも、もちろん「何でもええから意見を言え」と言うのではない。正しい意見を言わなければ意味がない。そのためには、普段から物事を深く考えるくせを付けておく必要がある。そのためにも、例えば良い本を読む、遊び方を考える、つまらないテレビ番組は時間の無駄を忘れないで、テレビや読物をちゃんと選択する、しっかりした友人を作る、などに気をつけて毎日を過ごしてほしい。私が中学や高校のとき、回りの友達の中でも、「こいつは魅力的な人間やな」と思うような奴がいました。精道の全員がそうなって欲しいと思います。手前味噌ですが、授業も説教も話も、結局はそのためにやっている。

 みなさんは食事をするとき、「なんでもいいから食べる」と言う人はいますか。いないでしょう。おいしいかどうか、健康に害があるかないか、などを考えて食べるでそう。もっとも今はお母さんの作ってくれるものだから健康に害があるかないかなんてことは気にしないでしょうが、もしみなが下宿生活をするようになれば食事には気を付けるようになはず。それと同じように、自分の遊びが、自分のためになるのかないのか、ためにならない遊びなら止めてしまう勇気と賢さを持ってほしいです。もちろん、頭をリラックスさせる娯楽は悪くないが、それはその娯楽が道徳的に健全なときです。そして、健全でなければ、結局頭もリラックスしません。 以前、希少価値について話したけど覚えてないでしょうね。つまりものの価値とは、それを生産するためにかかった費用だけで決まるのではなく、それがどれほど必要か(需要)、またどれほどあるか(供給)の関係で決まるわけ。例えば砂漠では超高級車より水1リットルの方が貴重になる場合がある。

 君たちは、この日本で希少価値のある人間になってほしい。つまり、その他大勢の一人ではなく、どこにでもいる安っぽい意志の弱い、教養もなく、何ごとにも他人の目を気にして動く人間、弱いものには強く強い者には弱い人間ではなく、自分の意見をもって自分で良かれと判断したことを最後までやり通す意志のある人間を目指してほしいですね。

 今日は一学期最後の手紙でちょっと肩に力が入りすぎたかもしれません。それでは、山に行けば雷に、海に行けばくらげに(先日クラゲに刺されて死んだ幼児のニュ−スがありました)、町に出れば自動車に、学校では妖怪に、家では寝冷えに気をつけて、よい夏休みを過ごしてください。

 それではまた。


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