第25回 人間の性格

 日本シリ−ズも終わり、思い出したくない今年のプロ野球のペナントレ−スもやっと幕を閉じたわけですが、皆の受験レ−スはこれからが勝負、頑張ってください。

 この8月に行なわれた高校の同窓会の写真が先日送られてて来ました。なつかしく見入ったのですが、そこに出ている約50人のうちその名前がすぐにわかったのはほんの数人でした。ほとんどみんな頭が薄くなっていたり白い髪が多くなっていたり、あるいはお腹がビヤ樽のようになっていたりでなかなか誰か判明しません。なにせ私は高校を卒業してから神戸を離れたので、同級生の大部分は卒業以来会ったことがない。それでもしばらく写真の顔を丹念に調べていると、3分の2くらいは名前を思い出しました。

 これで思ったことは、人間は時間とともに変わるんだなということ。でも確かに外見は変わるけど、人間の中身はどうなのでしょうか。特に、性格ということを考えると、「三つ子の魂百まで」と言うように、変わらないのではないでしょうか。確かに、私も何年もつきあっている友人や兄弟と久しぶりに会うと、人間としては「あまり変わってへんな」と言う印象を受けます。

 「性格」ということについて詳しく調べたことがないのですが、人間には生まれつきの(あるいは、小さいときに身に付けた)性格というのがあって、それはほとんど変わらないような気がします。ただ、よく「あの人の性格は悪い」とか「よい」とか言いますが、これは間違っていると思う。つまり、良い性格や悪い性格があるのではなくて、それぞれの性格に良い面と悪い面があると考えます。例えば、細かいことに気がつく性格の人は、整理整頓が行き届いて自分の回りを清潔にしてくれるが、反面小さいことを気にしすぎてほっておいたら良いことにもうるさく口を出す傾向がある。それに対して、大ざっぱな性格の人は、整理整頓はうまくできないという欠点があるが、いろんなことを大目に見るという寛容な人という長所がある、と言うことはできるでしょう。

 だから、大切なことは私たちが自分がどういう性格で、どういう長所と欠点を持っているかを正しく知り、そして欠点を直そうと努力することです。「でも、さっき性格は変わらないと言うたくせに。性格が変わらへんのやったら、欠点を直そと思ても無駄やんけか」と長崎弁で反論するでしょう。

 これも私の意見ですが、人間の性格自体は変わらないにしても、その欠点はいくらか矯正(直す)ことができると思います。実際私が見たことですが、ある友人は中学のときには目茶苦茶まじめで固い人間だったのですが、高一のとき急に寒−い駄じゃれを言ったり、朝教室に入ってくるなり「ピ−ス、ピ−ス」とか言ったりするようになった

人間を知っています。我らが精道三川台の卒業生でも、中学のときは恥ずかしがりやであまり口も聞かなかった子が、今ははきはきと話し立派な社会人になっている人もいます。

 このような場合、その人の性格が変わったのではなく、それぞれ自分の性格の弱い面を直そうと努めた結果と言えるでしょう。恥ずかしがりやの人が話すようになったのは、恥ずかしがりやでなくなったのではなく、相変わらず恥ずかしいのですが、その気持ちに打ち勝って話すようにしていると思います。1980年代「炎のストッパ−」と呼ばれた広島カ−プの津田投手は本当は気の小さな人だったのですが、高校のとき先輩から習った「弱気は最大の敵」というモット−を自分に言い聞かせてプロで活躍しましたが、奥さんの話しでは決して気が強くなったのではなく、いつも自分奮い立たせてプレ−していたそうです(参考、『もう一度投げたかった』、NHK出版。ぜひ一度読んでください)。

 また、たとえ性格は変わらなくても、「好み」も変わる。私の高校時代、日本史の先生が、「君らは今は、英語の歌を歌ってアメリカの映画を見て喜んどるが、大人になったらやっぱり演歌と高倉健でっせ」と言っていましたが、だいたいその通りだった。まだ演歌を聞いて涙を流すことはありませんが、私は寅さんの映画や「釣り馬鹿」や「水戸黄門」や「大岡越前」や「鬼平犯科帳」などの時代劇の方がアカデミ−賞受賞作品より興味がある。甘いケ−キより、醤油味の方が好きになってしまった。と言うと「おじんクサ−」と言うかも知れませんが、君たちもいずれはこうなるはず。

 皆さんも、たとえまだ15年しか生きていない人生であっても、自分で少し振れ返れば、例えば小学3年生のときに興味をもっていたことが今ではまったくつまらないことに見えることがありませんか。きっとあるはず。 私は自分が中学生のときのことはあまりはっきりと思い出せませんが、おそらく楽しいことおもしろいことが最も関心のあることで、「人生の目的」という話しをされてもピンと来なかったでしょう。という風に考えると、今私が授業やこの手紙で君たちに訴えていることが君たちにはチンプンカンプンで全然理解されないといてもまったく不思議ではないという結論が出てくる。しかし、今から5年、10年、人によっては20年たって、君たちの頭から髪の毛がずるずると抜けて行くか、白色に変色するかし始めたとき、ファイルしていたこの手紙を読んでみると、「なんとすばらしいことが書いてあるのだ」と感動して涙を流す人、あるいは宗教のノ−トを開いて読んでみてそのすばらしい内容に感謝する人、は一人もいないかも知れませんが、少なくともその内容に共鳴する人はいるはずです。ということで、この手紙と宗教のノ−トは大切に保管して、万一火事にあったら、いの一番に避難させるようにしてください。

 性格の悪い面は、しばしば自分でははっきり分からないが、回りの人にはよく判るということがあります。周囲の人の目を以上に気にするのはよくないけれど、自分のこの点が回りに嫌がられているなと感じれば、あるいは親切な友達や家族の人が、「あんたはこれが悪い」と注意をしてくれれば、反抗しないで(最初の反応が反抗的なのは自然ですが、その次の態度が大切)素直に認めて直すように努めればすばらしい。他人に注意をするのは結構勇気がいることで、そのような注意をしてくれるなら、それは本当に君のことを考えてくれているから、です。

 それではまた。


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