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昭和22年9月9日 長与町に生誕 |
つじた光昭のプロフィール
戦後の混乱期、昭和22年9月に長与村吉無田郷に7人兄弟の3男として生まれる。いわゆる団塊の世代である。
父は明治生まれの厳格な人間で、子供たちはこの親父から礼儀作法を厳しく躾けられたと思う。終戦後に瓦工場を設立し、粉骨砕身事業を発展させたことも父を尊敬する一因である。
母は優しさと厳しさを併せ持った人だった。狭い田畑に米、麦、サツマイモ、野菜を作り、7人の子供を育ててくれた。明治の女性は強いと思う。
物資の乏しい時代を乗り越え、時代はめまぐるしく変化した。米ソの冷戦時代には、又、戦争が起きはしないかと心配し、ケネディ大統領暗殺は心に深く残っている。
私の学生時代は日米安保闘争の最中であった。講義は休講が多く、キャンパスは議論の広場だった。あまり勉強しないまま中退した。
東京で会計事務所に数年間勤務し、税務申告の仕事をする中、企業経営を学んだと思う。父の大ケガで長崎に戻ったが、すぐには後を継がず会社勤めを経験した。その後、自分で会社を設立し事業を起こした。
小さい頃から、父の影響もあり、政治と企業経営には大変興味を持っていた。
ある程度、事業が落ち着いた頃、地元ふる里のために役立ちたいと考え、町議会議員に立候補した。議会では総務、文教厚生、建設産業常任委員会を経験し、議会運営委員長の役を頂き行政の経験を積ませて貰った。環境問題では西彼衛生施設組合の副議長として、ごみ処理、し尿処理などの問題に取り組んできた。
今後は更に教育の問題、福祉医療の問題、中心市街地活性化の問題にも挑戦したいと考えている。
“地域の人々が安心して暮らせる町づくり”を目指して努力したい。そんな想いから、県や国とのパイプ役となれるよう県議会議員に立候補した。